小野島大が本人直撃取材

ART−SCHOOL木下が語る、活動休止と再出発(前篇)「新しいクリエイティヴ・チームを作ります」

 

 ART-SCHOOLが去る2月13日の東京・新木場STUDIO COASTでのライヴをもって活動休止期間に入った。リーダーの木下理樹は公式サイトで「新たな環境で活動を行うことを考えており、その準備期間として」の活動休止であり、「前向きな決断」であって、「新しい気持ちで皆様にART-SCHOOLの音楽を届け」るべく「必ず戻ってきます」と宣言している。これを受け、その真意を聞き出すべく、去る1月に木下理樹にインタビューを試みた。それが以下の問答である。当初これはライヴ前に公開する予定だったが、木下の強い意向で、ライヴ後の公開となった。

 ライヴはアーティストの気持ちの入った感動的なものであり、今後のART-SCHOOLへの期待をおおいに高めたのだが、ライヴ後に改めて木下の話を聞くことができた。今後のART-SCHOOLについての展望や、自らの表現者としてのあり方、シーンの現状などについて、より深く、率直に語っている。そのやりとりは明日に公開となるので期待してほしい。(小野島大)

「一緒に仕事をしたいと思った人たちを集めたチームとして会社を設立する」

ーー2月13日新木場STUDIO COASTでのライヴをもってART-SCHOOLの活動休止を発表されたわけですが、詳しい事情を教えていただけますか。

木下:ざっくり話すと…去年の5,6月にはキューンとの契約が終了していて、そこから、自分はどうしていこうかと考えて。それでソニー(・ミュージック・アーティスツ。所属マネージメント・オフィス)のスタッフとかなりミーティングしました。それで去年の12月には、だいたい構想が固まったんです。それは自分たちですべてコントロールできるようなクリエイティヴなチームを作ろう、というものでした。僕が10何年か音楽業界にいて、一緒に仕事をしたいと思った人たちを集めたチームとして会社を設立する。それは制作会社でありマネージメントでもありレコード・レーベルも兼ねるわけです。その設立準備のための活動休止ということですね。

ーーつまりキューンからもソニー・ミュージック・アーティスツからも離れて、インディペンデントとして活動していこうと。

木下:そうです。

ーー5月に契約完了ということは、最新アルバム『YOU』の発売(2014年4月9日)前には決まってたってことですか。

木下:その段階では契約終了とハッキリ決まってたわけではないけど、そういう雰囲気はあったかもしれないですね。

ーーアルバムリリース前にある程度決まってたってことは、セールスとかそういう数字的なことが原因というより…

木下:コミュニケーションがうまく行かなかったということですね。

ーーART-SCHOOLはEMIとの契約が終了して次のポニーキャニオンに決まるまでの間に一時的にインディーズでリリースしていましたが(2004年〜2005年)、それ以外はすべてメジャーでのリリースですね。メジャーへのこだわりはあったんでしょうか。

木下:いや…レコード・セールスの数字で言ったら、一貫して変わらないんですよ、ART-SCHOOLは。メジャーの時もインディーズの時も、どのレーベルで出そうが、一定している。音楽業界がどんどん縮小していくなかでも、変わらないんですよ。

ーーだからメジャーでやることへのこだわりはない。

木下:ええとね、キューンでやり始めた時は(2012年)めちゃくちゃこだわりはありましたね。でも結局セールスは変わらない。それに加えチーム作りがうまくできなかった。事務所の中でもチームが変わったんですけど、そこでもチーム作りがうまくできなかったんですね。

ーーキューンに移籍してセールスが伸びるかという期待感もあったけど、チーム作りがうまく行かなかったこともあって、あまり変わり映えがなかった。

木下:もちろん自分たちの責任が一番大きいんですけどね。それでも最後に出した『YOU』は、キューン時代の作品ではチャート・アクションも実売数も一番良かったんですよ。そこで結果を出したにもかかわらず契約を終了するってことは、レコード会社自体がもう余裕がなくなってきてるんだなと。今のART-SCHOOLのセールスの数字って、ソニーみたいな大きなレーベルでは大した数字じゃないけど、インディーズとしては大きいんですよ。なら独立したほうが話が早い。で、独立の仕方をどうするか。それを考えて、まずは態勢を整えようと。

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