ベネット・フォディを中心に見るインディーゲーム小史 第六回

『Getting Over It with Bennett Foddy』に込められた作者の願いとは 壺おじを通じて“対話”をする私たちとフォディ

クランクのついたゲーム機

 ときは2015年に遡る。フォディはPanic Inc.の創立者であるカベル・サッサーから、新型ゲーム機用にゲームを作ってほしいというアプローチを受けた。

 今でこそ、『Firewatch』(2016)、『Untitled Goose Game』(2019)、『Thank Goodness You're Here!』(2024)といった話題作で「目利きのインディーゲームパブリッシャー」の声望を得ているPanic Inc.だが、この時点ではゲームの会社とは見られていなかった。創業から20年近く、かれらはMacやiOS向けのアプリを開発するソフトウェア会社だった。

 そんな会社が創立20周年を迎えるにあたり、「記念となるハードウェアを作りたい」と考え始めたのが事の発端だ。当初は時計などの案が出されていたが、カベルがシャープ製のメモリ液晶ディスプレイに惹かれたことから路線が変わってくる。

 カベルはその液晶ディスプレイに、少年時代の憧れだったゲーム&ウォッチの面影を見た。そこで浮かんだのは、自分たちのゲーム機を作ること。それも、かつての任天堂のようなとびきりレトロなやつを――そのアイディアに魅了された。

 ずっとソフトウェア専業でやっていた会社がいきなりハードウェアを、しかもゲーム機を作る。単なる創業記念のノベルティではなく、正式な事業として。だれがどう見ても無謀である。当然、会社の内外から猛反発を受けた。それでも、カベルともうひとりの創業者であるスティーブン・フランクはその反対を押し切って、ストックホルムの個性派電子楽器メーカー「Teenage Engineering」の協力を取りつけ、ゲーム事業へと漕ぎ出した

 最初、Ashvilleというコードネームで呼ばれていたそのゲーム機は、やがて『Playdate』という名で世に出ることになる。タテ2.99インチ、ヨコ2.91インチのほぼ正方形。その上部に解像度400x240の2.7インチの画面と指でつまんで回せるクランクを備えた、1bitのゲーム機だ。

Playdate

 要するに、ここにもノスタルジーに狂った人間がいた、ということだ。その狂気はかれらとニューヨークに住むもうひとりのレトロマニアを結びつけた。

 フォディはPlaydateのアイデアを聞いて興奮をおぼえた。1bit機? 最高じゃないか。そして、以前から構想していたゲームにぴったりだと考えた。ゲーム開発初心者だった2008年にTIGSourceにプロト版をアップし、その後挫折したゲームだ。

2008年にプロト版をリリースしたゲーム

 アイソメトリック視点で『椿三十郎』をモデルにしたサムライが敵をバッサバッサと斬り伏せていく、ターン制チャンバラアクション……それは『Zipper』というタイトルで、Playdate発売の2022年にリリースされることとなる。

『Zipper』

 直接のインスピレーション元はもちろん、80年代のZX Spectrumのゲームだった。『Highway Encounter』(1985)である。ロボットを操ってハイウェイ上のエイリアンやドラム缶を排除しつつ、エイリアンの基地を目指すゲームだ。こちらはリアルタイム制のタクティカル・アクションであったけれども、フォディはクランクというPlaydate最大の特徴に合わせるために『Zipper』をターンベースにした。

『Highway Encounter』

 本作はフォディにとって“レトロゲーム的美学への総決算”でもあり、別辞ともなる。かつて、あれほど燃え盛っていたZX Spectrum風ピクセルアートへの情熱は冷めてしまっていた。

 2005年から08年までのあいだは、インディーの80年代的レトロスタイルは当時の「砂色のAAAシューター」に対するカウンターとして機能していた。同時に、フォディたちのような個人開発者の理想を体現する旗印でもあった。だが、インディーブームでピクセルアートのゲームがあふれるようになると、そのようなスタイルは「昔の”砂色シューター”よりもありふれて退屈なものになった」とフォディは感じるようになった

 カウンターカルチャーとして登場したものが人気を集めるにしたがいメインストリームへと取り込まれ、当初あったはずの反抗や叛逆の色を薄れさせていってしまう。

 それは彼が愛したネットのインディー開発者コミュニティにも生じていた。アマチュアあがりの開発者たちが誰からも支援を受けずに小さな作品を連発していた2000年代のインディーとは異なり、2010年代になると有望なプロジェクトや開発者はパブリッシャーからまとまった資金を提供され、何年もかけてじっくりとアイデアを練り上げることのできる環境が整った。TIGSのようなフォーラムは次第に衰えていき、フォディの愛した世界は黄昏を迎えた。

 それは過去の再演でもある。かつて、80年代の個人開発者たちは90年代にゲーム業界の本格的な産業化の波へ否応なしに巻きこまれた。産業として成熟して過程では、だれもが”インディペンデント”なままではいられない。あるいはインディーの定義そのものも書き換わっていく。

 かつてのネットの仲間たちがヒットメーカーとなったり、逆にひっそりと退いていく一方で、NYUで学ぶ若き才能たちはインキュベーションプログラムから賞を得て、パブリッシャーと契約し、はなばなしくデビューしていく。インディーの景色はすっかり様変わりしていた。フォディももはや、昔のフォディではない。

 クリエイターとして円熟期を迎えつつあった彼は、2021年に8年間勤めたNYUに別れを告げる。それは、打ち込んでいる最中のプロジェクトに取り組むためだった。

2021年のNYU退職時のツイート

 そうして満を持して登場するのが、2025年の『Baby Steps』だ。

<第七回へつづく>

【脚注】

*1……ATARIは競合他社からの引き抜きを恐れてゲーム開発者の名前を隠匿していたことで悪名高い。それに反発したウォーレン・ロビネットは『Adventure』(1980)で隠し面にこっそり自分のクレジットを挿入した。これがビデオゲームにおけるイースターエッグ(隠し要素)の始祖とされる。

*2……2014年から2015年にかけ、インディーゲーム『Depression Quest』についてのレビュー買収疑惑に端を発して起きたオンライン上の一連の騒動。メディアからユーザー、開発者までを巻き込んで界隈を二分し、特にゲームの言論におけるジェンダー間やメディア-ゲーマー間の対立に根深い爪痕を残した。フォディの関わったインディー業界も無縁ではなく、当時のIGFでは内輪の仲間をえこひいきする不平等な審査が横行しているとの疑惑をかけられ、『Depression Quest』開発者を擁護したフィル・フィシュも盗作を告発されたうえ、自身のスタジオのウェブサイトをハッキングされた。このときにフィッシュはコミュニティに愛想を尽かし、引退を表明。以降、表舞台から姿を消した。

*3……『The Stanley Parable』の作者であるデイヴィー・レデンが友人である無名のゲームクリエイターの作品についてナレーションで解説していく……という体裁のメタフィクション的短編ゲーム。『The Stanley Parable』によって一夜にして有名クリエイターとなったレデン自身の内省が投影されているといわれる。

*4……のちに仕様が変更され、現在ではサーバーが休止状態にある。もともとクリア後の仕掛けは数百万本級のヒット作となることを想定しておらず、当初から動作が不安定だったという。

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