名作『MOTHER3』は糸井重里の「人間讃歌」だった 独特の作品性にみた“愛され続ける理由”

 2月21日、『MOTHER3』がNintendo Switch Online向けに配信となった。

 発売から20年近くが経った現在もなお愛され続ける同作。その魅力はいったいどのような点にあるのだろうか。復刻を機に考える。

前作に大胆な味付けを施し発表された「MOTHER」シリーズの第3作『MOTHER3』

MOTHER3(ゲームボーイアドバンス Nintendo Switch Online) [Nintendo Direct ソフトメーカーラインナップ 2024.2.21]

 『MOTHER3』は、2006年にゲームボーイアドバンスでリリースされたRPGだ。「MOTHER」シリーズのナンバリング第3作にあたる作品で、初作『MOTHER』、第2作『MOTHER2 ギーグの逆襲』(以下、『MOTHER2』)に引き続き、コピーライターなどとして活躍する糸井重里氏がゲームデザインとシナリオを手掛けている。プレイヤーは、森や砂漠、火山、雪山など、さまざな環境が存在するノーウェア島を舞台に、とある村に生きるさまざまな人・動物の視点から、彼らの身に起こった日常/非日常の出来事を見つめていく。

 シリーズのこれまでの作品とは異なり、群像劇のスタイルをとっている点が最大の特徴。全8章で構成されている物語では、特に序盤から中盤にかけて、章ごとに主人公が切り替わっていく。また、バトルでは「BGMのリズムにあわせてタイミングよくボタンを押すことで、通常攻撃の回数が増える」という新たなシステムが採用された。この点もまた、オーソドックスなコマンドバトルという形をとっていた過去作から大きく転換された点である。このようにシリーズのベースに大胆な味付けがされたことから、(特に広く評価された前作『MOTHER2』に比べると)賛否の分かれる作品でもある。一方で、同作をRPGジャンルのライフタイムベストとして挙げるフリークも少なくない。

 「MOTHER」シリーズをめぐっては、2022年2月10日に『MOTHER』『MOTHER2』がおなじくNintendo Switch Onlineにて配信され、好評を博していた。約2年という長い期間を空け、第3作が満を持して配信されたことに、シリーズファンは大いに熱狂した。

『MOTHER3』が特別な作品であり続けられる理由は

 発売から20年近くが経っても愛され続ける理由のひとつは、糸井重里氏による独特の世界観だろう。これはシリーズの第1作・第2作にも共通する部分である。たとえば、『MOTHER3』の舞台となっているノーウェア島には、主人公たちを含む善良な人間と共生する形で、謎の悪役であるブタマスク軍や、彼らによってキマイラ化された動物たち、超常的存在のマジプシーなどが暮らしている。それぞれをとってみれば、現実とはかけ離れた設定を持つ奇異な存在であるものの、実際にはビジュアル/パーソナリティに愛くるしさや不思議さ、憎めなさを持つケースも多く、そのことが作品の世界に“ほのぼの感”を生んでいる。ともすると、同作はそのシナリオのなかで「社会派ファンタジー」のような顔をプレイヤーに見せるが、必要以上に重く受け止めなくて済むのは、そうした性質によるところが大きい。「MOTHER」シリーズといえば、この独特な世界観を連想する人も多いはず。前作・前々作に比べると、シリアスさを多分に含むストーリーテリングが賛否を分ける分岐点となった『MOTHER3』だが、そのような変化が盛り込まれたことで、個性をよりはっきりと感じられるようになったとも言えるのではないか。

 2つ目として挙げるのは、設定の緻密さだ。『MOTHER3』は、見方によってさまざまな捉え方のできるシナリオが特徴のひとつであり、必ずしも勧善懲悪とは言い切れないストーリーには、独特の意味深さや味わいがある。そこを同作の魅力に挙げるファンは少なくない。たとえば、舞台となるノーウェア島のなかでも、とりわけ物語の中心に位置するタツマイリ村は、ある出来事がきっかけでそれまでの暮らしが激変していくことになるが、一見すると「悪役による文明侵略」であるこの出来事もまた、深く知るほど、単純に悪事へと分類できない複雑な顔を持ち合わせる。セリフ回しなどに代表される人物の描写からそのような背景を感じさせられる点が非常に巧みであり、そのことが『MOTHER3』の大きな個性ともなっている。

 そして、そうした伏線は最終的に、ミステリー大作を読んでいるかと錯覚するような衝撃の結末へと収束していく。各所に説明不足とされる箇所が点在していることは否めないが、そのように「プレイヤーに考えさせる」というアプローチもまた、同作が支持される理由のひとつであると言えるだろう。

 ともすると、『MOTHER3』では「ほぼ一本道の物語」「決して濃密とは言い切れないボリューム」などが批判点として挙げられてきた。しかし、そこに存在する設定の緻密さを考慮すると、同作はゲームというより、小説や映画のような作品性を内包しており、そのことが結果として、「曖昧さ」「ひとつの筋道」「コンパクトなボリューム」という個性につながっている可能性がある。エンターテインメントとして制作・摂取される傾向の強いゲームの分野において、文化性を前面に出した『MOTHER3』のような作品は、特にシリーズのこれまでを知っているフリークにとっては、受け入れづらかったのかもしれない。

MOTHER(ファミリーコンピュータ Nintendo Switch Online)

 今回の『MOTHER3』配信を受け、糸井重里氏は、『ほぼ日刊イトイ新聞』にて連載するエッセイ「今日のダーリン」にこのようなことを記している。

「ぼくは『MOTHER=母=おかあさん』について思ったり考えたり話したりすることを、子どもの頃から、ずっとじぶんに禁じてきたような気がする。ものごころ付く前に両親が離婚したので、母はいないものだと思って生きることになった。(中略)母がいないこと、母との関係がないことについて、ぼくは『平気』だと思っていて、平気で過ごしてきた。で、それを何十年もやってこられたのだけれど、ぼくの『母』についての実感のなさは、たぶん、心に、なにかしらの無理を強いてきたのではなかったか。その禁じてきた『母』ということばをでかい声で言える機会を、ここに見つけたのだと思う。」

 『MOTHER3』は、糸井重里氏の人生そのものをベースにした人間讃歌なのだ。その答え合わせができただけでも、同作のNintendo Switch Onlineへの対応は、シリーズファンにとって大きな意味を持つ出来事となったのではないだろうか。

© 2006 SHIGESATO ITOI / Nintendo
Sound:© 2006 HAL Laboratory, Inc. / Nintendo
©1989 SHIGESATO ITOI/Nintendo
© 1994 Nintendo/APE inc. Scenario:©1994 SHIGESATO ITOI

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