『マッサージフリークス』などをめぐる騒動から「ゲームとコンプライアンス」について考える

規制の“是非”以外に、仕組みそのものを考えるべきタイミングか

 今回取り上げた二つの事例は(いずれも具体的な理由は明かされていないものの)前者は「ユーザーの批判に対応する形での発売延期」、後者は「一企業の意向による契約終了」という形で、企業がユーザにコンテンツを提供できなくなった事例だといえる。双方ともに共通する問題点は、ユーザーを置き去りにしたまま販売方法や決済方法の変更を強制するような、アカウンタビリティの視点が欠けた状態で決定が下されたことだろう。

 実際、Steamでは配信できるコンテンツがSwitchでは配信NGになることや、『マッサージフリークス』がCEROレーティングにてD区分(17歳以上対象)と審査されていること、Switchには既にセクシャルなゲームがリリースされているにも関わらず、本作が発売延期になったという例外的な対応に関しては、プラットフォーム側の見解を知りたいところでもある。また、DMMとMasterCardの件についても、こうした判断に至った経緯を、特にMasterCard側の考えを知りたいと思う人は、カード会社による実質的な規制が懸念される昨今の情勢を踏まえると少なくないだろう。

 もちろんリベンジポルノや児童虐待など、実際の被害者が居るようなコンテンツには強い規制や排除の仕組みが必要だが、差別的な表現や性的表現を多分に含む制作物についても、程度は大きく異なるものの、そういったコンテンツの流通を制限する仕組みについて、今一度考える必要があるのではないかと考える。要は「コンテンツがそれを求めるユーザに適切に届けられる仕組み」作りと同時に、「見たくないコンテンツを見なくてすむような仕組み(ゾーニング)」の新しいカタチを考えることが不可欠なのではないだろうか。

 コンテンツを提供する企業や、決済等流通に関わる企業には、CERO区分などのレーティングに応じたアクセス制限や、販売の差し止めとその論拠を開示するような透明性のある運用を期待したい。少なくとも現状の仕組みでは前述した2つの事例のように、ユーザーとコンテンツに声をあげた人たち双方に対して不誠実なのではないだろうか。

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