いま振り返る名作『ロックマンエグゼ3』:「生命」としてのインターネットとAIとのコミュニケーション

 未来を想像するのは難しい。

 しかし、この困難な課題に挑み続ける想像力こそが、ときには「名作」と呼ばれるあらゆる文化作品を生み出してきた。

「200X年・・・ あらゆる でんしききが ネットワークで かんりされるじだい・・・ しかし、そのべんりさとは うらはらに、 大きなもんだいを かかえていた・・・ コンピュータウイルスや、ネットワークはんざいの ぞうかである 

 科学省(かがくしょう)ウイルスけんきゅうしつ では、きゅうぞうする コンピュータウイルスに たいこうするため、にちや けんきゅうが つづけられている」

 これは、ゲームボーイアドバンス専用ソフトとして発売された『バトルネットワーク ロックマンエグゼ3』(2002年/以下ロックマンエグゼ3』)において「想像」された未来の社会だ。「あらゆるでんしききがネットワークでかんりされるじだい」とは、いまで言うところのIoT社会やスマートシティに近いものだろう。

 約20年前にゲームの中で想像されていた世界に、現実は近付いたのだろうか。いま『ロックマンエグゼ3』を思い出すことで、そのことを考えてみたい。

自律した人工知能とのコミュニケーションを実現したバトルシステム

 まずは、「ロックマンエグゼ」シリーズのバトルシステムを振り返ってみよう。これが、同シリーズを最も特徴付ける要素だと思われるからだ。

 同シリーズでは、ロックマンを始めとする人工知能「ネットナビ*1」たちに人間が指示を送るという形でバトルが行われる。

*1 私たちが思い浮かべる、いわゆる「人格を持った人工知能」は作中では「疑似人格プログラム」と定義され、「ネットナビ」あるいは単に「ナビ」と呼ばれている。

 人間がネットナビに指示を出すには「バトルチップ(チップ)」と呼ばれる、SDカードほどの大きさの記録媒体を用いる。バトルチップには「ソード」や「キャノン」といった武器を実装するプログラムが組み込まれていて、それらを実行するとロックマンはデジタル空間で剣や大砲を使えるようになるという仕組みだ。例えて言うならば、タブレットに「ソード」のデータが記録されたSDカードを差し込むとデジタル空間にも剣が現れる、というふうに考えてよい。

 このシステムは二つの点において画期的であった。ひとつは、トレーディングカードゲームの戦略性をアクションRPGに取り入れたことだ。というのは、バトルチップを戦闘に用いる際は、30枚一組の「フォルダ」を作成する必要がある。数百枚あるバトルチップを30枚に絞り込む際、そこにはプレイヤーの嗜好が反映されるとともに、チップの組み合わせによって試合展開を操作するための戦略的思考力も試されていた。これはちょうどトレーディングカードゲームにおいて「デッキ」*2を作成する際の思考法に似ており、プレイヤー間の対戦文化の隆盛にもある程度は貢献した。

*2 トレーディングカードゲームの対戦で使われるカードの束。40枚を一組とする場合が多い。

 そして「エグゼ」シリーズのバトルシステムが画期的だったもう一つは、このバトルシステムが「人格を持つ人工知能とのコミュニケーション」を生んでいる点だ。

 まず、ネットナビに指示を出し彼ら/彼女らを戦わせる人たちのことを作中では「オペレーター」と呼ぶ。ロックマンのオペレーターで主人公でもある光熱斗(ひかりねっと)は、オペレーターとして優秀な力量を持ち高い評価を得ているとともに、数々のネット事件を解決した人物である。

 熱斗とロックマン、あるいは他のオペレーターとネットナビは、ほとんど現実の人間同士のそれと変わらないレベルのコミュニケーションを交わしている。現実世界でのインフラのトラブルを、デジタル空間にいるナビに「相談」して解決してもらったり、目覚まし時計の代わりにナビに起こしてもらったりといった形で、自然言語を介したコミュニケーションが完璧に実現しているのだ*3。

*3 「ユーモアセンス」というプログラムをロックマンに組み込めば、「高度な」お笑いセンスをナビに実装することもできる。

 このように同シリーズは、オペレーターとネットナビの関係を中心として物語が作られている。そしてプレイヤーはゲーム内において、現実世界のフィールドでは「オペレーター」である光熱斗を、デジタル空間フィールドでは「ネットナビ」のロックマンを操作することでシナリオを進めていく。

 ところが戦闘が始まると、この構図は少し入り組んだものに変化する。というのは、戦闘はデジタル空間にいるロックマン単体で行うものではなく、先述したように現実世界からバトルチップのデータを送り込むことによって成り立つものだからだ。そしてそのバトルチップを選択/実行するのはプレイヤーである。

 つまりバトルチップを選択する瞬間は、プレイヤー自身が「オペレーター」になるのだ。あるいはプレイヤー自身が光熱斗になる、作中の「現実世界」とプレイヤーのいる「現実世界」がリンクする、と言ってもよい。同シリーズはほとんどが三人称視点で進行する作品だが、戦闘中にバトルチップを選択する瞬間だけは、光熱斗の視点とプレイヤーの視点がほぼ完全に同化するのである。

 そして「ロックマンとコミュニケーションを取る光熱斗」と「プレイヤー」とがシンクロすることによって、間接的に「プレイヤー」と「人格を持つ人工知能」との間にコミュニケーションが発生しているというわけだ。

あらゆるものに「生命」を見立てる日本的想像力

 以上のような、自律した人工知能とのコミュニケーションを志向する想像力は、日本のサブカルチャー作品群に多くみられる。例えば『ドラえもん』や『鉄腕アトム』などはその典型であろう。

 そしてドラえもんやアトム、あるいはロックマンのような、人間的知能を備えた人工知能のことを、スクウェア・エニックスのゲームAI開発者、三宅陽一郎は「人工知性」という言葉で定義している*4。これは、例えば「アルファ碁」のように単一の課題に最適化する形で知能を実現する現在の人工知能に対して、碁を打つ喜びや、対局時の緊張感などを身体的に感じ取れる人工知能を想定して作られた言葉だ。

*4 三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』(PLANETS、2020年)

 彼は「人工知性」が実現するためには、あらゆるものに「生命」を見出す日本人の「見立て」の想像力が必要だと主張する。現状では一つの「機能」や計算「能力」に過ぎない人工知能に、人間のような「生命」観を見出されることから研究を始めるべきだと主張するわけだ。ちょうど「ボーカロイド」のボーカル機能に「初音ミク」という生命が見出され、一つのジャンルを生み出したように。

 また、そもそもビデオゲームが現在ほど一般に普及したことにも、この日本的な「見立て」の想像力が大きく貢献している。1978年に登場した『スペースインベーダー』はその象徴で、それまでは単に「的」と「ボール」が記号的に描写されるしかなかったシューティングゲームに、「エイリアン」と「宇宙船」という生命(的なもの)を見出すことで、同作は一大ブームを築き上げた。

参考記事:「Netflixオリジナル『ハイスコア:ゲーム黄金時代』にみた、「キャラクター」の侵略的広がり」(https://realsound.jp/tech/2020/09/post-611650.html

 このように、あらゆるものに(たとえそれが「機能」であったり「記号」であったとしても)「生命」を見出す想像力が、多くの文化作品を支えてきた。ロックマンもその想像力のもとに誕生したキャラクターであると言っていいだろう。

 そして『ロックマンエグゼ3』においては、このあらゆるものに生命を見立ててしまう日本的な想像力が、かなり「奇形」的な使われ方をしていることに注目したい。

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