“あの人のゲームヒストリー”第十三回:山里亮太

南キャン山里亮太に聞く、ゲーム遍歴と“配信”の楽しさ「子供のころ以来じゃないかってくらい楽しい」

「転がり込んだ彼女の家で『モンスターファーム』を……」

ーー大学時代は寮生活でしたが、ゲームはできる環境だったんですか?

山里:いやいや、全然やってましたよ。部屋は学年が1個ずつ違う人の3人部屋なんですけど、ウエマツさんという1番上の先輩が言うことは絶対だったので、「テレビは野球、ゲームは『パワプロ』(『実況パワフルプロ野球』)以外ダメ」というルールでした。まあ、そのルールは先輩が起きてる間だけなので、寝静まったのを見届けて『ドラクエVII』をやっていました。

ーー隠れてゲームしなきゃいけない状況ではあったと。

山里:寮のテレビが古いので、スイッチを入れたら「ビン」って音が鳴るんですよ。そしたらウエマツさんが起きてきて「お前ドラクエやろうとしてるだろ」と言うので、「いや、ウエマツさんのパワプロのサクセスでいい選手作っておこうと思って」って返して、「ありがとう、じゃあやっておいて」って寝て、みたいな。でも、卒業前にアキレス腱をバッチリ切っちゃって、メチャクチャ怒られました。

ーー『パワプロ』あるあるですね。

山里:あと、なぜかその時に1番ハマってたソフトが『爆走デコトラ伝説』なんですよ。トラックをただ走らせて、荷物を壊れないように運んで、稼いだお金でデコトラをチューンナップしていくゲームで、後ろではずっと演歌が流れてて。毎日学校から帰ってきて、寮の友達と夜を明かしてました。

ーー本物のトラック野郎じゃないですか(笑)。山里さんはそこからNSCに入って、芸人としてのキャリアをスタートさせるわけですが、ゲームからは遠ざかっていったんですか?

山里:当時お付き合いさせていただいていた彼女の家に転がり込んでいたので、彼女の家にあるプレステで『モンスターファーム』をめちゃくちゃやってましたね。持ってるCDを持ち寄ったりして。

ーーわかります。手持ちのCDがなくなって、中古のCDを買いに行ったり。

山里:そうそう。最新作も出るみたいなので、それも個人的に楽しみです。別れて一人暮らしをするようになってからは、テレビがなかったこともあってゲームから遠ざかってました。NSCで「一人酒とゲームだけはやるな」って言われたので、真面目に言いつけを守ってたんですよ。

ーーなぜゲームがダメだったんでしょう。

山里:「人の作ったもので楽しんでるようなやつは売れない」って言われていたんです。NSCを卒業してからは、先輩とも話をさせてもらうようになって、次長課長の井上(聡)さんから「バーチャ(バーチャファイター)やるから見てて」って誘われて、一言も喋らずにずっと井上さんのバーチャを見てることはありました。自分の家でゲームをするようになったのは、東京に出てきてからですね。番組のリフォーム企画で「家にプロジェクターをつけて、そこで『スーパーマリオ』をやりたい」という夢を叶えてもらったのがきっかけだと思います。でも、定期的に「ゲームやってないでネタを書け」と集中する時期があって。

ーーその時期は一切やらなくなると。

山里:仕事のストレスのはけ口にゲームをやり込むことが多かったんですけど、「これじゃダメだ」と思って、データを全部消したりするんです。そうすると一気にやる気がなくなるので。ドラクエとかでも、はぐれメタルを倒すために半日ずっと使って、夜になったときに「レベルは上がったけど、俺は何も成長してない」って急に虚しくなったりして。

ーーオンラインのゲームには手を出さなかったんですか?

山里:Xboxを買ったんですけど、初めての対戦相手がアメリカの子供で。ずっと「F●CK!!」って言われ続けて、それが怖くなってネット対戦から身を引きました。そこから『不毛な議論』つながりでプレイした『ドラクエX』がトラウマから解き放ってくれるまで、結構時間がかかりましたね。

ーーそれが2012〜13年のことでした。

山里:レベルも低かったんですけど、リスナーが接待してくれて、経験値を分けてくれたり、ゲーム内でオフ会をやったり、僕が作ったキャラクター「恵方巻きちゃん」の見た目が幼女でみんなに引かれたりして。

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