宇多田ヒカルのライブをVRコンテンツでリアルに体感 スタッフに聞く“制作の裏側”
このような最新技術による撮影が行われた今回のプロジェクトだが、今回の制作にあたって工夫したポイントについて、竹石氏はこう続けた。
「”没入感”をいかに高めるかにこだわりました。ただ見られているだけではグッと来ないなと思って、自分がどの位置にいたらグッとくるんだろうかというのを、カメラの位置を1cm刻みでテストして。カメラとの距離も、どのぐらい近いとグッと来るのかベストな場所を見つけました。歌っているときのリズムの取り方やマイクはこう持つんだとか、細かな部分であらためて発見することも多くて、彼女との付き合いは長いですが、彼女の魅力をまたさらに見つけられる機会になったと思います」
昨年デビュー20周年を迎えた宇多田ヒカル。その間さまざまな活動を経てきた彼女だが、意外とこうした最新テクノロジーとの融合は新鮮だ。それについて梶氏はこう話す。
「宇多田ヒカルにとってVRは実は初めての案件ではなくて、ちょっと前に『30代はほどほど。』というインターネット番組で3DVR生中継をやったことがあったんです。もちろんその番組も良い反応があったのですが、今回はその時よりももっと大きな反響をいただいてます。じゃあその時と今回とで何が違うのかなと考えたときに、VRをやる前に生のツアーをやったことだと思ったんです。実は今回のツアー中にエゴサーチをかけると「宇多田ヒカルって本当にいたんだ!」っていう反応が多かったんですね。なるほどデビュー当初から派手にメディアに露出する子ではなかったし、本人が自分のことをツチノコと表現していたこともあったり、今まで全国ツアーを2回しかやったことがない。つまり、それまでファンの方々には彼女の作品に対するリアリティはあっても、彼女本人に対するリアリティは薄かったのだと。それが、今回のツアーで実際に存在を確認していただいて、もしかしたら後ろの遠い席だったかもしれないけれど、その体験があった後に今回のVRコンテンツで”めちゃくちゃ近くで”宇多田ヒカルを見ると、より一層リアルに感じてくれたんじゃないのかな、と思います。すなわち何が言いたいのかというと、ただ単にVRをやればいいのではなくて、どういうストーリーがあるのか、どういうタイミングでその体験があるのかが大事なんだと。闇雲に最新テクノロジーに飛び付くのではなく、どうすればより価値を感じてもらえるのかを送り手側が考えることが重要だと思います」
約8年ぶりとなった今回のツアー。前回のライブから時間が空いたこと、また復帰後初ということで感慨もひとしおのツアーであったが、そうした被写体の持つストーリー性もVR体験に影響を及ぼしているのだろう。最後に、多田氏へ今後の展開について聞いた。
「ゲームという架空の世界でなくて、今回は実際に存在する人間をVR体験にするということへ真摯に取り組みました。ゲームと比較して経験値は少ないですが、いろいろな方々の技術や知見を借りながら進めることで、当初想像していた以上の物ができました。また、想像だけではなく実際にやってみることの重要さも同時に感じました。『光』の最後に宇多田さんがこちらに振り向いて流し見する瞬間があるのですが、あれは、VRとはどういう技術なのかを理解した上で宇多田さんがやっていたことです。どうすればVR体験が新しい表現・体験になるのかをアーティスト側も考えることで、技術とアーティストの相互作用が働き、今回のような新しいものができるのだと感じました。今後技術がもっと進化すれば、今回のような今までにない新しい音楽体験が作られていくと思います」
宇多田ヒカルとVR技術が見事融合した今回のプロジェクト。日々進化するテクノロジーに伴って、音楽体験も進化していくのだろう。
(取材・文=荻原梓)