『クレイフェイス』に滲むただならぬ恋情 純愛と狂気のなかで男は今日も己を抱きしめる

“私だけに優しい殺人鬼”

 本作はいわば、典型的な「私だけに優しい殺人鬼」の物語であり、その中で良い塩梅のモラルを提示している点が良い。ケイトリンは、マットの連続殺人の事実に気づいた瞬間、ちゃんと怖がるのだ。婚約者がいながら気持ちが傾きかけていた後ろめたさも、その恐怖に重なる。「惹かれている」「けれど、これはいけないこと」その両方を抱えながら、彼女が倫理観を選ぶからこそ観客は感情移入することができ、2人の気持ちの切なさを見守ることができるのだ。孤独なマットが彼女に身も心も縋るのは明白で、ケイトリンも彼に惹かれていたことは2人のケミストリーを見ていれば自明であるものの、ネット上に出回っているデリートシーンや2015年9月頃の報道から、“ケイトリンからマットにキスする”シーンが存在したことがわかっている。

 もちろん、マットは同情されて然るべき男だが、復讐以上の罪をおかしている。特にジョンを殺したことで一線を越えてしまったし、そこに情状酌量の余地はない。しかも、あろうことかジョンになりすましてケイトリンと話した理由が、彼を殺したことや証拠の隠蔽ではなく、“彼に向ける君の眼差しを受けたかったから”なのが、百点満点すぎる回答で天を仰いでしまった。そのあまりにもまっすぐで歪んだ想いが、あまりにも強烈なのだ。

 そして物語は、デヴィッド・クローネンバーグの『ザ・フライ』のように、最終的にマットがケイトリンに自分を殺せ、と促す。自分の研究が生んだものを、自分の手で終わらせなければいけない。そこに仄かに残る彼女の人道的なためらいと、心の迷いがシーンそのものに切迫感を与えていた。

群衆の中で孤独になる2人と、おぼろげな輪郭

 この映画が、やはりダークロマンスとしても丁寧に描かれていると確証を得たのは、ラストで「If You Leave Me Now」が流れる一連のシークエンスだ。この曲は最初に治療室でケイトリンが気持ちを落ち着かせるために流したChicagoの名曲を電子音でアレンジし、Jasmine Jethwaが歌い上げるカバーソング。去ろうとする恋人に、「君を失えば自分のいちばん大切な部分まで失ってしまう」とすがる歌詞が、行き場を失った2人の想いに呼応する。

 本作の音楽を担当したフォルカー・ベルテルマンは、作中の恋のテーマを、映画の暗さと切り離さないように何度も書き直したと語っている。作り手は最初から最後まで、この物語のロマンス的な視点をいかに大事にしていたのかが伺えるのだ。

 マットがいなくなり、婚約者も失い、ラボもゴッサム市警に押収され、研究も信用も失ったケイトリンはゴッサムの街を歩き、マットの顔がのった新聞を手に取る。そして、すれ違う人々の顔のなかに、つい彼を探してしまうのだ。あの人は、まだどこかで生きているのかもしれない。不思議なことに、この場面の彼女からは恐怖があまり感じられず、むしろ生きていてほしいと願っているようにすら見えるのだ。

 そこへ物乞いの男が近づいてくる。ケイトリンが小銭を渡すと、男はかつてマットがしていたのと同じような仰々しいお辞儀をして立ち去っていく。何をするわけでもない、その男はトンネルに入っていくと重々しい扉を開けて、鏡のある部屋でマットの姿に戻る。そして鏡越しにケイトリンと言葉を、口づけを交わす。しかしカメラが引くと、そこにいるのは彼一人で、ケイトリンが彼の生み出した泥人形であることがわかるのだ。

 「すごいものを見せられたな」と感動すると同時に思い出したのは、哲学者の鷲田清一が『ちぐはぐな身体』で説いていた身体論だ。鷲田はその著書の中で、私たちにとって自分の体とは、結局のところ「像(イメージ)」でしかありえないと論じている。自分の目でじかに見たり、手で触れて確かめたりできるのは、手や足といった体の断片にすぎない。背中も、後頭部も見えないし、感情が一番あらわになる“顔”でさえ、自分では一度もじかに見ることができない。私たちは、そんなおぼろげな像を抱えて生きている。だから、人はその頼りない像を外側から補強しようとする。服に包まれたり、誰かに触れられたりすることで、ようやく「ここまでが自分だ」という輪郭を確かめることができる。そう考えると、自分の輪郭とは、自分ひとりでは決して完成しないものなのかもしれない、という論だ。

 もともと俳優であったマットにとって、その“顔”は常に観客や監督やカメラ、他人のまなざしのために差し出されてきた。そして治療の後の彼は、文字通り輪郭を持たない男になる。目の前にいる誰かと、その誰かに抱いた感情に反応して、体が形を変えてしまうのだ。誰よりも自分の像が不確かになったからこそ、誰かに触れられて、自分の輪郭を確かめることが必要だったはず。

 その役割を担えていたケイトリンを、表層だけでなく深層に触れてくれる他者を失ったマットは、自らの体の一部で彼女を形作り、それを抱きしめる。本来なら他者に触れられることでしか確かめられないはずの輪郭を、かろうじて確かめようとしているのだ。

 そうやって純愛と狂気の中で、男は今日も己を抱きしめている。

■公開情報
『クレイフェイス』
全国公開中
出演:トム・リス・ハリス、ナオミ・アッキー、デヴィッド・デンシック、マックス・ミンゲラ、エディ・マーサンほか
監督:ジェームズ・ワトキンス
脚本:マイク・フラナガン、ホセイン・アミニ
製作:マット・リーヴス、リン・ハリス、ジェームズ・ガン、ピーター・サフラン
配給:東和ピクチャーズ・東宝
全米公開:10月23日/原題:Clayface
©DC Studios. All Rights Reserved.

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