『クレイフェイス』に滲むただならぬ恋情 純愛と狂気のなかで男は今日も己を抱きしめる

 怖いのに、目が離せない。その感情は恐怖か、それとも……。

 DCが『スーパーマン』『スーパーガール』に続く映画作品として選んだ題材が、バットマンのヴィランとして知られるクレイフェイスになるとは、誰が予想できただろう。スタジオとしても初の本格ホラーである本作は、前2作と比べて4分の1、または5分の1程度の低予算で作られた。主演のトム・リス・ハリスも、日本ではまだ“顔を見ればわかる”というほどの知名度はない。

 “顔”をめぐる物語の主演としては少し皮肉かもしれないが、スターの存在感に気を取られることがない分、ストーリーそのものに集中できるためこの手の作品には都合の良い配役だったと感じる。その証拠に、北米の週末興収ランキングでは初登場1位を獲得。そして観客の心を掴んだのは、ホラー描写だけではないように思う。

視覚的な痛々しさ以上に悲壮感溢れる男の物語

 本作は、スラムからスターの座まで這い上がった男、マット・ヘーゲン(トム・リス・ハリス)が、ゴッサムシティの裏社会のボスの女に手を出してしまい、代償として俳優の命とも言える顔に致命的な深い傷を負わされる。もうこの時点でどうしようもなくかわいそうなのだ。その同情が、彼が治験の済んでいない治療に手を伸ばしてしまう気持ちへの理解に繋がる。

 本作には街を壊すような派手なアクションはない。描かれるのは、ひとりの男の身に起きた、あの街ではよくあるような取るに足らない、しかし人生が一変してしまうような悲劇なのだ。その分、カメラは彼の孤独と恐怖にじっくり寄り添う。それが本作の良さであり、同じ街を舞台に同じくヴィラン誕生の過程を描いた『ジョーカー』を彷彿とさせる。

 もちろん、ボディホラーとしての痛さも折り紙つきだ。本作のヒロインとなるケイトリン(ナオミ・アッキー)が登場早々、ジャガイモの皮でも剥くような要領で自分の腕の皮膚をスライスしてみせる場面では座席ごとひっくり返りそうになった。『死霊のはらわた ライジング』のチーズおろし器みたいなシーンをDCの新作映画で観るとは思わないじゃないか。それに乱気流で揺れる機内での“応急処置”シーンも、大きな声で「今じゃ!ない!!」と手を振りながら叫び出しそうになってしまう。そして最後には顔も体も蝋燭のように、暑い日のアイスクリームのように溶けて落ちて排水溝に流れていく。その悲壮感や禍々しさに、リック・ベイカーが特殊メイクを手がけた『溶解人間』を思い起こす。

 ただ、そうしたホラー描写以上に私が惹かれたのは、本作のもう一つの軸となるマットとケイトリンのスローバーンな関係性だ。この映画は、ダークロマンスとしての魅力に溢れすぎている。

巧みにすくい取られる、繊細な感情

 マットとケイトリンは、お互いにアンダードッグで、「世界に評価されたい」という願望を強く抱いている。どれだけ演技を磨いても、顔で値踏みされる世界だからこそあっさり見限られたマット。アカデミー賞にノミネートされるほどまで上り詰めたが、あっさりと全てを失い、またゼロ地点に戻る。そこで出会ったケイトリンもまた、他者に裏切られ、1人で自分の信念を貫こうともがいていた。そんな2人が表層ではなく、深層で共鳴し、患者と医者以上に理解者として助け合い、惹かれ合うのに時間はかからない。

 その中でとても絶妙だと感じたのは、ケイトリンの気持ちの揺らめき方だ。彼女には婚約者のジョン(マックス・ミンゲラ)がいるが、結婚の話はどうやら進む気配がなく、関係は停滞している。それでも仲が良さそうで(「ソースこそがパスタなんだ」みたいな言い合いのセリフがとても良い)、男女というより家族に近い存在になっていることが伺える。

 だからこそ、マットから次第に“女性として”見られていることに気づき、照れて目を逸らしてしまうシーンの感情がすごくリアルに感じるのだ。まんざらでもないが、境界線は守りたいし、浮かれてはいけない。大人の女性としての揺れが、絶妙な加減で切り取られている。

 そんな2人の密かな想いが一気に色づくのが、ケイトリンが泊まり込みでマットを観察する夜の場面。治療の副作用で、細胞がマットの感情を読み取り、彼が思い浮かべた相手の顔となって表に出てしまう。そんな彼は眠りながら、憎しみを抱く相手から、最終的にケイトリンの姿に変わる。そしてその“彼女を模した自分の体”を、“自らの姿のままの手”で、そっと撫でるのだ。このシーンの、決して本来なら知られるはずがなかった想いが露呈してしまう、見てはいけないものを見てしまった背徳感と色気たるや。そのごまかしようのない想い、恋情が身体から溢れてしまう官能性が、繊細で素晴らしかった。

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