大森元貴演じる関と同じ顔の“父”登場! 『いろはの恋は時代をかける』絡まり始めた恋の矢印

 江戸から来たいろは(上白石萌音)の言葉に、現代の教師たちが忘れていた大切なことを教わる。けれど、それだけで終わらないところが、このドラマの面白さだ。『いろはの恋は時代(とき)をかける』(TBS系)第3話では、いろはが授業の進め方をめぐり、同僚教師の真島玲二(山中柔太朗)と衝突。学ぶ喜びと、現代の学校が担う役割の両方を描きながら、彼女と関孝和(大森元貴)の切ない関係も明らかになった。

 今回、いろはが児童たちと向き合ったのは、算数の授業だ。タブレットを使わず、紙の円を配り、その面積を求める方法を考えてもらう。すでに塾で公式を習った児童にとっては、答えのわかっている問題。だが、いろはには、彼らが当たり前のように口にする「3.14」が特別な数字だった。

 江戸で暮らしていた頃、いろはが心の中で師匠と呼び、慕っていた関。円周を正確に測ろうと、途方もない計算に取り組んでいた彼の姿が、彼女の記憶によみがえる。関が苦労して導き出した数字を、未来の子どもたちが知っている。その光景に思わず涙がこぼれるいろはを見ていると、普段は意識しない知識の向こう側にも、誰かが問い、考え続けた時間があるのだと気づかされる。

 だからこそ、いろはは公式を確認するだけで授業を終えない。児童たちは紙の円に絵を描き、ピザのように切り分け、並べ直すうちに、その仕組みに気づいていく。言葉だけで覚えた公式は、忘れてしまうこともあるだろう。けれど、自分の頭と手を使い、「そういうことか」と納得した体験は、驚きや喜びとともに深く記憶に残る。「この体験は一生忘れねえ」といういろはの言葉には、自身も学ぶ楽しさを知っているからこその確信がにじんでいた。

 ただし、本作は、そんな授業を称賛して、現代の教育を切り捨てることもしない。タブレット授業についていけず、いろはのクラスへ移りたいと訴えた児童がいた。彼は、ゲームの話で盛り上がる同級生の輪に入れずにいた。その様子からは、家庭でタブレットに触れる機会が乏しく、ゲーム機も買い与えられていないのではないかということが窺える。新しい道具に触れる機会は、どの家庭にも等しくあるわけではないのだ。

 タブレットを使わないいろはに、同僚の真島や阿久津(大西礼芳)は異議を唱える。国の方針や効率を持ち出す彼らに対し、いろはは、教師が教えるべきなのは学びの考え方だと反論。そこで口を開いたのが、生琉(向井康二)だった。

 タブレットは道具にすぎない。それでも、学校で使った経験が、デジタル社会において、その子の「命綱」になるかもしれない。使いこなすことで、才能が開花する可能性もある。生琉の言葉によって見えてくるのは、授業を効率よく進めるためだけではない、ICT教育の意味だ。家庭環境によって生じる差を埋め、子どもの未来の選択肢を増やすことも、学校の大切な役割。その説明には、現代を生きる教師としての実感がこもっていた。

 そして、いろはに「道具」の価値を気づかせるのが、かつて聞いた関の言葉である。円周率が、発見者の手を離れ、誰もが使える当たり前の道具になる。だからこそ、自分たちがこの世からいなくなった先にも受け継がれていくのだと、関は語っていた。

 先人が残した知識を使うことにも、その成り立ちを問い直すことにも、学びの価値がある。いろはの授業の良さは、生琉の指摘によって失われたわけではない。「昔の方が良かった」という安易な結論に向かわず、異なる時代を生きる二人の視点から、子どもに必要な学びを広く捉えていく。そんな脚本の丁寧さが心に残った。自分の考えが及ばなかったところを認め、同僚に頭を下げられるいろはの姿にも、教える者でありながら学び続ける人の誠実さを感じる。

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