『バイオハザード』は“幸福な堕落=落下”を描く成長物語 数々のホラーの系譜から読み解く

「期待を裏切るホラー」としての新作『バイオハザード』

 クレッガーはコメディ劇団の出身であり、一つの映画のなかで笑いと恐怖を混ぜ合わせてゆく監督だ。前作『WEAPONS/ウェポンズ』(2025年)でもそれをやってみせた。『ハーメルンの笛吹き男』さながらに、ある夜17人の子供たちがブーンと飛行機が飛ぶポーズをして走りだして消える。その背後には、人々を操り、人間から生気を吸い取る老婆が隠れていた。しかし、ブードゥー教的魔術で操られていた子供たちは、逆に主人公の少年に魔術をかけられ、攻撃機(ウェポンズ)のようなポーズで老婆に向かっていき、ゾンビのように喰いちぎる。子どもたちに襲われる悪の老婆という構図は、恐ろしくもおかしい。

 新作『バイオハザード』はよい意味で観客の予想を外してゆく。雪道でゾンビが車の周囲を回りながら襲ってくる爆笑の前半部は、「これは『バイオハザード』なのか」と疑いたくなる。『バイオハザード』といえばシリアスなアクションホラーだからだ。だが、「期待を裏切るホラー」であることこそ、本作の妙味だろう。

 実写版『バイオハザード』シリーズでは、第6作までアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が大活躍していた。アリスや人工知能「レッド・クイーン」の名前、ハイブと呼ばれる地下施設、鏡に映したようなクローンの存在と、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1865年)や『鏡の国のアリス』(1871年)が元ネタである。アリスが穴に落ち不思議な生き物(クリーチャー)たちに出会う古典文学を、「ゾンビの国」におき換えた「戦う女」の物語がこのシリーズなのである。『バイオハザード:ザ・ファイナル』(2017年)では、『鏡の国のアリス』のジャバウォックにも似たゾンビが空から襲ってくる。

 勇敢で文学的な広がりをもつジョヴォヴィッチのアリスに対して、ブライアンは腹もたるんだ普通の人だ。銃の扱いを知らず、恐怖から弾も込められない。従来のヒーローやヒロイン並みに行動できない。だが、これが恐怖と笑いを喚起する。さらに、ラクーンシティにでてくるアリスばりで射撃の名手の女性警備兵は、活躍するかと期待すれば、すぐに殺されてしまう。

 そもそも、ホラー映画に女性の主人公が多いのは、男性の登場人物が泣き叫べば観客は醒めてしまい、感情移入しづらいとかつてされてきたからである。『キングコング』(1933年)において、前人未踏の島の脅威の映像を撮影に行くスタッフがヒロインにうまく悲鳴をあげられるかテストする有名なシーンには、この感覚が凝縮されている。女性の叫びは観客の代替的反応となり、登場人物と観客を一体化させる。

 今では最後まで生き残り殺人鬼と対決する「ファイナル・ガール」が主流だが、それ以前からあった基本形は「スクリーミイング・ガール」だった。『悪魔のいけにえ』(1974年)のサリーは泣き叫ぶだけだったが、『悪魔のいけにえ2』(1986年)のストレッチになると殺人鬼一家を殺し、最後にレザーフェィスと同じ動作でチェンソーを振り回すのである。

 ただ、これらのヒロインに対して、『バイオハザード』のブライアンはしきりに独り言をつぶやく。ブライアンほど内面を語るホラーの主人公はいない。叫びではなくつっこむ彼のセリフのほうに観客は同一化してゆく。

「自分探し」と「落下」のテーマ

 妻から妊娠を告げられたブライアンは躊躇していた。父親になる自信がないのだ。彼は「中絶」も考えただろう。そのいっぽうで、彼の運ぶバッグには移植用の臓器が入っていて、子どもの「命を救う」とも途中まで思っていた。「配達(delivery)」には「出産」の意味もあるように、バッグを赤ん坊のように抱えて、ブライアンは葛藤のなかを走るのだ。レスリー・フィードラーの名著『アメリカ小説における愛と死――アメリカ文学の原型Ⅰ』(1960年)では、結婚や家庭や成熟から逃げることはアメリカ文学の主人公の典型的行動だとされているが、ブライアンはそれを地で行っているのである。

 その後様々な展開を経て、命からがら総合病院に到着したブライアンは、最終目的地へ向かうためのシーンで産婦人科の病室を通り抜ける。『バーバリアン』でも母性や赤ん坊は重要なテーマだったが、病室にはゾンビと化した赤ん坊たちが触手を伸ばし、束縛の恐怖を喚起する。そういえば、病院にたどり着く前、下水道に出没した体内から生物が飛び出す巨体のクリーチャーも妊婦か赤ん坊のようだった。抑圧されたものが回帰してくるのだ。

 産婦人科の病室にいるゾンビと化した赤ん坊たちは、『リング』(1998年~)シリーズの井戸から出現する貞子さながらのポーズでベッドから手を出して現れる(ちなみに、鈴木光司によるシリーズ最終作の小説『タイド』(2013年)において、山村貞子はシリーズの重要人物・高山竜司と異父の姉と弟であり、母の山村志津子に捨てられていた)。ブライアンは途中で父親になると決意するものの、やはり父になる恐怖は消えていない。

 しばしばブライアンは錠前を壊そうと銃を発砲する。あるいは、鎖のかかった鉄のフェンスに車で突っ込む。普通の映画ならば、鍵は壊れて、フェンスは倒れるが、本作ではそうならない。錠前は傷もつかず、車は乗りあげる。また、彼は銃弾や鍵をしきりに「探す」が、なかなか見つからない。精神的に監禁されたブライアンの「自分探し」の映画なのだ。ある男の受難の一夜の物語。試練を克服すれば、成長できるはずなのである。

 そして、この「自分探し」と対になるのが「落下」のイメージだ。病院の最上階に材料を届けるためブライアンは階段を登る。試練としての上昇のイメージである。だが、途中で疲れてエレベーターを使う。『ゾンビ』ではエレベーターの扉が開くとゾンビがなだれ込んできた。だが、本作ではエレベーターの扉は開かない。しかし、その代わりにエレベーターの天井が溶けだす。クリーチャーがエレベーター通路の上からエイリアンのように金属を溶かす酸を吐いてくるのだ。『ゾンビ』屈指の名場面をオマージュするのかという予想を裏切り、見事にアレンジしている。そして、ブライアンはこのクリーチャーを下に「落下」させる。同じく落下で言えば、これも病院にたどり着く前、ビルの屋上からゾンビが次々に飛び降りて攻撃してきたシークエンスも思い出される。

 ブライアンはようやく材料を28階に運ぶ任務を果たす。ブライアンは任務を遂行したのだ。英雄と呼ばれてもよい。ところが、彼はもともと感染していた腕からゾンビになってゆき、ワクチンを求めて暴れまわり、科学者たちを殺してしまう。そして、ワクチンも高層階からはるか下の地上に落下してしまう。完全にクリーチャーと化したブライアンは軍のヘリと対峙し、おそらく撃ち落される運命にある、というところで映画は終わる。登場人物はみな死んでしまうか化物に変わってしまう。どうだろう、この展開!

 しかしながら、やはり、これはブライアンの成長物語と考えることができる。「幸運な堕落(Fortunate Fall)」という言葉がある(むろんFallは「落下」の意味)。たとえば、アダムとイブは神の言いつけに背き、禁断の知恵の実を食べ、エデンの楽園を追放された。しかし、逆に人間は神から自由になったとも言える。この映画のキャッチコピーはたったひとこと、「逃げろ」だった。もう彼は父にならなくてよい。

 「落下」のイメージに満ちた本作にあっては、ブライアンも最後は爆撃を受けバラバラになって最上階から転落したのかもしれない。だが、彼は様々な義務から解放され「バイオハザード(生物災害)」となることで、幸せな成長を遂げたのだ。

■公開情報
『バイオハザード』
全国公開中
出演:オースティン・エイブラムス、ザック・チェリー、カーリー・レイス、ポール・ウォルター・ハウザー
監督:ザック・クレッガー
脚本:ザック・クレッガー、シェイ・ハッテン
製作:ロバート・クルツァー、ザック・クレッガー、ロイ・リー、ミリ・ユーン、カーター・スワン、アサド・キジルバッシュ
エグゼクティヴ・プロデューサー:オリヴァー・ベルベン、ヴィクター・ハディダ、リチャード・ライト、ロバート・ベルナッチ
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公式サイト:https://biomovie.jp
公式X(旧Twitter):https://x.com/biomovieJP

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