深田晃司、『ナギダイアリー』で悲劇を“表”にしなかった理由 「人生の大半は劇的ではない」

「なぜLGBTQ+なのか?」と問われない未来へ

ーー映画の中で、あえてそこをセンセーショナルに描いていないのが印象的でした。

深田:透明化させられて、言葉を塞がれている状況というのは、社会的な偏見や差別による「暴力」です。でも、その当事者の苦しみや痛みにフォーカスしすぎると、すぐにマジョリティ向けのエンターテインメントとして消費されてしまう。透明化というのは社会からだけでなく、物語の表象からも透明化されてきた歴史があります。時々描かれるとしても、社会問題やメッセージを担う存在として描かれがちです。だからこそ、彼らが当たり前にいて、当たり前に悩んでいることを日常の風景の一部として描きたかったんです。本作でも同性婚ができないことへの葛藤などは描いていますが、彼らの痛みを過剰にエモーショナルに描くことはここではしません。結局、彼らを不可視化せず、日常の営みを描くことを積み重ねていくことが、やがてはマイノリティを特別視する偏見や差別を減らしていくことに繋がってくるだろうと信じています。映画もテレビもWEBの映像も、社会におけるあらゆる表象を担い影響を与えていく、その責任を自覚しなくてはなりません。

ーー特別なテーマとして扱うのではなく、あくまで“当たり前に存在する日常”として描くことが重要だということですね。

深田:いろんなところで言っているんですが、どんな映画であっても「なぜこの登場人物はヘテロ(異性愛者)なんですか?」という質問は出ないわけですよね。マジョリティにとってヘテロであることも男女が恋愛することも当たり前になりすぎていて。でも、「なぜこの登場人物はLGBTQ+なんですか?」という質問は、どこの国でも当然のように出ます。その非対称性については常に考えないといけません。それは社会において多くのマイノリティが透明化させられてしまっているからであり、またその社会の慣習や空気感をフィクションの世界もまた長年にわたり内面化し、透明化に加担してきたからでもあります。ヘテロのキャラクターが恋愛を描く時に理由なんていらないのに、LGBTQ+のときだけ何か意味がなければ描いてはいけないなんてことは本来ないはずです。今はまだ過渡期だからそういった質問が出てしまうのだとも言えると思いますが、10年、20年、30年と経ち、ヘテロセクシュアルのキャラクターには理由がいらないように、セクシュアルマイノリティもまた特別な意味もなく映画に登場することが当たり前になって、そういった質問自体が無効化されていく時代が来るといいなと願っています。

ーー寄子に絵画を教わる春樹役の川口和空さんと、圭太役の藤原聖さんはオーディションで選ばれたそうですが、お芝居が本当に素晴らしかったです。

深田:大人の俳優もそうですが、子役の俳優ほど彼らの才能頼みなところがあって、そこに懸けるしかないところがあるんです(笑)。オーディションで二人が来たときに「見つかった!」と思いました。オーディションでは、終盤の2人が友梨と向き合うシーンをやってもらったのですが、そのお芝居を見て泣きそうになりましたから。本当に素晴らしくて。ただ一つ想定外だったのは、オーディションから撮影まで数カ月空いたので、中学生だった藤原聖さんの背がすごく伸びていて、高校1年生の川口くんと大差なくなっていたことですね(笑)。

「生きる本質は『エモーショナルじゃない方』にある」

ーー深田監督の作品といえば、『淵に立つ』や『LOVE LIFE』など、子役が素晴らしいお芝居をしていると劇的な展開が起きる印象が強かったので、逆に「何か起こるのでは」と身構えてしまいました(笑)。

深田:すみません。いつもそうではないということで(笑)。

ーー今回は、物語全体を通して衝撃的な事件や悲劇的な出来事が起きるわけではないですが、そこは意識されたのでしょうか?

深田:そこまで意識してないですね。悲劇的な展開を描く時でも、描くべきはその「劇的な瞬間」ではなく、「その周辺」だと思っています。例えば『LOVE LIFE』でも子どもが亡くなるという悲劇的な展開がありますが、子どもが亡くなる瞬間自体よりも、その後に残された人々だったり、劇的な出来事の周辺を描きたいという感覚が強いんですね。私たちの人生において、ドラマチックでエモーショナルな瞬間なんて数パーセント、いや0.5パーセントもないと思うんです。人生の大半は、エモーショナルでも劇的でもなく、だらだらと理由もわからず続いていく日常です。映画はどうしてもエモーショナルなほうにフォーカスして作られがちですが、私たちの生きる本質は「エモーショナルじゃないほう」にあるんじゃないかという気がしてならないんです。でも、逆説的な言い方になりますが、本当は葛藤も苦しみも、もしかしたら喜びもそこに潜んでいるのではないかと。例えば中学生たちの身に起きていることも、彼らにとっては十分に劇的なことだと思っています。『ナギダイアリー』で描かれるその日常の背後には、ウクライナでの戦争であったり、都市と地方の格差であったり、悲劇的なことが常に偏在していて繋がっています。それを劇中で「表にするか裏にするか」の違いだけで、向き合い方は自分の中では変わっていません。

ーー日常の背後にあるものという意味では、奈義町の自衛隊の訓練の空砲が響く描写も非常に象徴的でした。

深田:あれは本当に奈義町の日常なんです。毎日ではありませんが、練習日には朝からずっと鳴っている。東京にいると聞こえないのは、単に距離が離れているからで、たまたまでしかない。原発の問題などとも同じように、国防という国の必要によって、ある種の負担が地方にかかっている。そう考えると、私たちみんなが関係者なんですよね。映画を観て、なんとなくそういったことも感じてもらえればいいなと思っています。

ーー劇中でのカメラオブスクラを使ったワークショップのシーンがとても印象的でした。これまでの監督作品の中でも、カメラや写真、絵といった「表象」のようなものが印象的に使われていると感じるのですが、何か深い意図があるのでしょうか?

深田:深い意図があったかというと、そんなになかったかもしれないです(笑)。ただ、自分の中でのいわゆる「映画的なモチーフ」であるというのはあったと思います。カメラオブスクラに関して言えば、そもそも『東京ノート』の中で実物は出てこないものの、エピソードとして出てくるんです。それに、私自身が普段映像のワークショップを行う時に、カメラオブスクラを使ったワークショップをやることがあって、それに近い情景になっています。

ーーご自身のワークショップの体験も反映されているんですね。

深田:そうですね。それに、映画の起源であるカメラオブスクラを映画の中で出せるチャンスなんてなかなかないので、ワクワクしますよね(笑)。以前、優れた演劇とは何かという議論の時に、「いろんなタイプの言葉や会話のレイヤー(日常の会話、演説、歌など)が一つの舞台できちんと示されている演劇が豊かである」ということを聞いたことがあります。それを映像表現に置き換えて考えてみると、映画も19世紀末に突然生まれたわけではなく、その前には写真の技術やカメラオブスクラの歴史があり、絵画や音楽、演劇の影響を受けてきた総合芸術です。だからこそ、一つの映画の中にカメラを使う映像であったり、絵画であったり、写真であったりと、いろいろな映像のレイヤーが映っていること自体が、作品を豊かで奥深いものにするのではないかと思っています。

■公開情報
『ナギダイアリー』
全国公開中
出演:松たか子、石橋静河、川口和空、藤原聖、藤間爽子、水間ロン、申瑞季、松山ケンイチ
監督・脚本:深田晃司
撮影:四宮秀俊
美術:大月由香里
音楽:李沛芩
エンディングテーマ:イーノ・チェン
編集:Sylvie Lager
製作:スターサンズ、八朔ラボ、Survivance、Momo Film Co.、Nathan Studio、ワンダーストラック
制作プロダクション:Lat-Lon
配給:スターサンズ
©2026 ナギダイアリー・パートナーズ(スターサンズ/八朔ラボ/ワンダーストラック)/ Survivance / Momo Film Co.
公式サイト:https://starsands.com/nagidiary

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