Netflixシリーズ『ダウンタイム』が等しく照らした“救い”と“暗部” その身体は誰のものなのか

 パーティのにぎわいのなかで、客たちが次々と顔やふくらはぎへ針を刺されていく。話題のNetflixシリーズ『ダウンタイム』の第1話で描かれたボトックスパーティの場面は、一見“トンデモ描写”というか、こういった系統の作品に見かける誇張された演出だと感じた人も多いだろう。

 しかし、同じくNetflixで人気を誇る海外のリアリティショー『セリング・サンセット 〜ハリウッド、夢の豪華物件〜』では、実際に演者がパーティでボトックスを振る舞う光景があった。その出演者が派手な富裕層であることも含め、もちろん所得層によって感覚は違うだろうが、アメリカでは友人と集まって施術を受けるのはさほど珍しいことではないのかもしれない。顔に手を加えることは、いまや“人生を賭けた決断”というより、“週末の予定”に近いものになりつつある。

 そんなふうに整形の軽やかさを描いた矢先、ドラマの空気は一変。パーティでボトックスを打ったインフルエンサーの國分佳奈(景井ひな)が、昏睡状態で病院に運び込まれる。そんな彼女を救うために形成外科医の沼田文(松岡茉優)は豊胸をしていた彼女の胸からシリコンを取り除く。命をつなぐための、医師として当然の判断だった。しかし目覚めた彼女は、豊胸した胸を失ったことに耐えられず、自ら死を選んだ。遺された言葉は、命の恩人であるはずの文への“呪い”だった。

 「命より大切なものがある」そんな叫びを出発点とする本作は、「整形」というテーマを首尾一貫して中立な目線で描くことに成功すると同時に、一つの問いを私たちに突きつける。「その身体は、いったい誰のものなのか」と。

“答え”を急がないことで見せる、作品の誠実さ

 「整形」は、その是非が問われる題材だ。その上で本作は「美しくなりたい」と願う人の気持ちをきちんと抱きとめながら、整形に抵抗のある人が見ても置いていかれることがない。それでいて、施術の痛々しさも怖さもしっかり映す。さらにそこから、ビジネスとしての美容医療や商売にする側の論理、そこに絡む政治の思惑にまで踏み込んでいく。ルッキズムが根付いた社会へのコメンタリーにとどまらず、最終的には主人公の文と、カリスマ美容外科医・遠山凜(仲里依紗)それぞれの血縁を巡るドラマとしての見応えも十分だ。

 冒頭と結末にはやや強引というか、明け透けな部分もあるかもしれないが、総じて作品の中で提起される問いに対し、安易な答えを与えまいとする誠実な姿勢、それを紡いだ見せ方や脚本力には舌を巻いた。

 その誠実さを物語上で支えていくのが、文と凜の対立だ。「医療で命を救う」を信条とする文と、「美で人を救う」を掲げる凜。二人とも目の前の患者を救おうとしている点は同じだが、何をもって救ったとするかが決定的に違う。文が守りたいのは命と身体の安全で、凜が守りたいのは、その人が望む姿で生きられることだ。

 うまいのは、ドラマがどちらか一方を悪役に仕立てないことだろう。文の正論は、ときに患者の心を置き去りにする。凜の寄り添いは、ときに危うさを見落とす。そのため視聴者は、エピソードごとにどちらの肩を持つべきか揺さぶられ続ける。二人のどちらにも理があり、どちらにも落ち度がある。そう描かれているからこそ、作品全体が一方の主張に傾かずにいられるのだ。

 その揺さぶりが最も効いてくるのが、研ナオコ演じる坂下ゆり子のエピソード。75歳で末期がんを抱え、残された時間はわずか。そんな彼女が望んだのは、延命ではなく全身の整形だった。文が止めに入るのは当然だろう。体力の落ちた高齢者に大がかりな手術をすれば、残された時間をかえって縮めかねない。しかも密着番組のカメラまで入っているのだから、見世物にされているのではという疑念も湧く。視聴者側も、最初は文の言い分にうなずくはずだ。

 だがゆり子は、人生の最後くらい自分のために綺麗になりたいのだと譲らない。そして新しい顔で清々しく遺影を撮る彼女の笑顔を見ると、なんとも言えなくなってしまうのだ。そこに映されるのは自分で選んだ顔で人生を締めくくろうとする、一人の女性の幸せな表情なのだから。

 第1話の「命より大切なものがある」という叫びが、こだまする。初めは極端な主張にしか思えなかったその言葉が、ゆり子の晴れやかな顔を前にすると、わからなくもなくなってくるのだ。第1話で突き放された側の視聴者の心を、数話かけて静かに手繰り寄せる。整形を否定したくなる気持ちに、否定しきれない場面をぶつけてくる。この組み立てが、本作の巧さだったように思う。

 けれど、美しさがいつも人を救うとは限らない。救いのように見えて、実はそうではない場面も、同じくらい丁寧に描かれている。

 その筆頭が、安達祐実演じる板井佐緒里のエピソードだろう。何度手術を重ねても、満足という終点にたどり着けない。息子の親権を失った彼女の心の空白は、顔をいくら直しても埋まらず、施術は彼女を満たすどころか、次の施術を呼び込んでいく。見ているこちらの息が詰まるような安達の芝居も相まって、整形が依存に変わる瞬間の怖さが生々しく伝わってくる。

 そんな患者の「なりたい」を受け止め、気持ちに寄り添うはずのクリニックそのものにも、暗い影が差している。口コミは操作され、医療ミスは表に出ないよう処理される。第1話の悲劇でさえ、世論を誘導して批判の矛先が文一人に向かうよう仕向けられていた。凜もまた、過去の手術で患者の視力を奪った事実を抱えたまま、それを伏せてカリスマであり続けている。

 美容医療が医療である前にビジネスとして回っている以上、不都合な事実は売上を守るために伏せられる。そして凜が都知事と手を結ぶ中盤の展開も含め、本作が美容業界の闇を、仕組みの問題として描いた点も印象的だった。

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