是枝裕和監督『ルックバック』の存在意義を考える 原作の強みと実写映画ならではの“改変”

 藤本タツキの漫画『ルックバック』は、2021年に『少年ジャンプ+』で発表され、漫画業界のみならず多くの人々に衝撃を与えた読み切り作品である。その後、2024年に押山清高監督によるアニメーション映画版が公開され、驚異のロングランヒットを記録するに至った。

 新たに公開された、3つ目の『ルックバック』は、是枝裕和監督による実写映画版である。アニメーション映画に続き、再び映像化された本作『ルックバック』は、はたしてどのような出来だったのか。ここでは、実写映画版である本作の存在意義がどこにあるのかについて考えてみたい。

 まず本作を観て強く感じるのは、原作漫画に対して、やはり基本的に忠実なバランスを選択したという印象である。物語の大きな流れや藤野と京本の関係、そして作品の核となる出来事については、原作から離れてはいない。アニメーション映画版もまた原作に忠実な内容だったことを考えると、これは予想できたところである。

 近年、漫画作品をアニメーションや実写映画へと映像化する際に、原作に忠実であることが、以前にも増して重視されるようになってきている。原作の魅力を大切にし、読者が知っている物語やキャラクターを損なわないようにすることには大きな意味がある。原作とはかけ離れた改変をおこなえば、原作ファンから批判を受け、SNSなどでネガティブな評判が広がるリスクが増大しているのも、現在の状況の特徴である。

 しかし、原作漫画自体が高く評価され、その内容をほぼ忠実に映像化したアニメーション映画版が存在していることを踏まえると、さすがに実写映画版までが同じアプローチを取ることには、疑問をおぼえざるを得ない部分もある。商業的な理由以外に、ここにどのような価値があるのかという視点を持ってしまうことは否めないだろう。

 そこで重要になってくるのが、漫画やアニメーションとは異なる、生身の人間が藤野と京本の姿を演じ、現実の風景のなかにその身体を置くという、実写映画ならではのリアリティという点である。本作は、まさにそこに存在意義を見出そうとしているように感じられる。

 とりわけ印象的なのは、メインの登場人物である藤野と京本、二人の子ども時代である。是枝裕和監督は、これまでも子どもたちの反応を、劇映画のなかでドキュメンタリー的ともいえる自然なものとして捉えてきた。本作においては、原作者の出身地でもある秋田県にかほ市で、本当に二人が暮らし、漫画を描いてきたというリアリティを、美術や撮影によって実体へと近づけている。

 学校の喧騒や田んぼの風景、漫画を描く過程や、自分たちのペンネームが載った『週刊少年ジャンプ』をいち早く買うため、深く積もった早朝の雪の道を進んでいく描写など、映画化するにはやや短いボリュームの原作を、実在する、もしくはさせた風景や生身の俳優の演技によって、豊かに拡張していく。

 これによって、『ルックバック』という物語が、漫画やアニメーションの世界から、どこか現実の世界へと続いているような感覚が生まれたように感じられてくる。ただ、これは少々過剰な試みに感じられなくもない。われわれは、果たして『ルックバック』を、いままで以上に現実に近づけて観る必要があるのだろうかという疑問がついて回るのである。とはいえ、こうしたやや病的とすら感じられるアプローチなくしては、今回の実写映画化の意味が生まれ得なかったことも事実なのだろう。

 また、現在の日本の映画界の状況を思えば、この試みにはもう一つの意義を見出すことができる。それは、漫画やアニメーションにはどうしても出すことのできない、実写映画ならではの魅力を、両作のファンにアピールすることができるという面である。趣味が細分化されている現在、自分の好みの作品を日常的に楽しむ人々は、自身の範囲から他のジャンルや媒体へと越境しようと思わない場合も少なくない。そんな観客に、実写映画だからこその“実在感”を示してみせているのである。

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