『海が走るエンドロール』からみえる京アニの現在地 “フォトリアル”な美学の成長と拡大

 その上で改めて『海が走るエンドロール』のすでに公開されている映像やキービジュアルを見てみると、少なくとも現時点では本作が京アニの美学のなかで作られていることを想起させるものとなっていることがよくわかる。公開された映像では、冒頭から風景のショットが続く。これが実写をリタッチしたものか、あるいはアニメーションによるものなのかはまだ判別がつかない。ただどちらにせよ、この映像は「実写」そのものからは少し距離を置こうとしていることは間違いない。つまり『海が走るエンドロール』もまた、現時点では「フォトリアル」の延長線上にあるといえはしないだろうか。

アニメーション映画『海が走るエンドロール』超特報

 その上で最後に映るキービジュアルのとりわけ砂浜に目を向ければ、筆のタッチによって陰影をつけていることがわかる。筆者にとって、こうした画法は少なからず印象派のことを思い起こさせる。つまりもしこの映像に近いかたちで『海が走るエンドロール』が制作されるのならば、本作はこれまでの作風の延長線上にあるだけでなく、『二十世紀電氣目録』と同じようにそれを引き継ぎながらもさらに先へ進んだものになるのではないか。そう考えてみると京アニの作風は、今でも決して揺らいではいない。

 京アニが我々のよく知る「美学」を捨てないまま成長し大きなタイトルを手がけることには、大きな意義があるだろう。まず第一に、それは京都アニメーションが直面した理不尽な暴力を乗り越えた証そのものである。伝統が損なわれるどころかそれを保ったまま成長し、大きなタイトルの制作が次々と発表されるというこの状況は、そのままこの数年間京アニが歩んできた復活の道の大きなメルクマールだといってよい。

 他方この路線は同時に、京アニの、そして現在の日本の「アニメ」の現在地をも照らし出してはいないだろうか。むろん決して悪い意味ではない。むしろ現在アニメ産業において京都アニメーションがプレゼンスを再び高めていくことは、おそらく産業全体に対してもいい方向に作用している。それは京都アニメーションの「フォトリアル」な作風が、現在の環境においてもやはり唯一無二のスタイルだからだ。過度な写実主義に陥らずに「リアルさ」とサブカルチャー的な「アニメ」の感性を融合し、どちらも損なわずに高い水準で作品に還元できるスタジオは他にない。こうした作品が話題になることそのものが、アニメ産業全体で作品の多様性の保全につながるだろう。

 さらにいえばそれは、ファンが愛したサブカルチャーとしての京都アニメーションの作風が損なわれないどころかさらに成長・拡大していくことにもつながってゆく。もちろん京アニの作風が変わってしまうのではないかという不安もあるだろう。けれども京アニの美学の本質が作品において最も重要なことをどのように表現するかという点にある限り、それが容易に揺らぐとは思えない。それだけの信頼を築いてきたことは、旧来のファンが最もよく知るところだ。

 自身が培ってきた美学を損なわずに大きなタイトルを手がけること。京都アニメーションがいま立っているのは、ある種の収穫期だといってもよい。その実った果実の一つが『海が走るエンドロール』ではないだろうか。だからこそ筆者は一人の古くからの京アニファンとして、本作の公開を心待ちにしたいと思う。

参照
※1. 石岡良治『現代アニメ「超」講義』(PLANETS、2019年)107頁。
※2. https://denkimokuroku.jp

■公開情報
アニメーション映画『海が走るエンドロール』
2027年公開
原作:たらちねジョン『海が走るエンドロール』(秋田書店『ボニータ・コミックス』刊)
監督:石立太一
アニメーション制作:京都アニメーション
製作:海が走るエンドロール製作委員会
配給:松竹
©たらちねジョン(秋田書店)/海が走るエンドロール製作委員会

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