『ウィキッド 永遠の約束』舞台版との決定的な違いとは? 映像で暴かれた“2人の共謀”
こうした舞台版と映画版のアプローチの違いは、グリンダの描き方にも深みを与えている。舞台版のグリンダは華やかな魅力とユーモアで物語を軽やかに牽引する存在だったが、映画版では彼女が「なぜ体制側に残るのか」という心理的葛藤を描くことに、より多くの時間が割かれている。その象徴として登場するのが、映画版のオリジナル楽曲「The Girl in the Bubble」だ。この曲の中で、グリンダは泡の表面に映った自分を見つめ、そこに閉じ込められた自らの姿を自覚する。
人々に愛され、人気者であることに喜びを感じる彼女は、その華やかな地位を自ら手放すことも、エルファバのように世界を敵に回して戦うこともできない。だからといって彼女は、正義を捨てるのではなく、あえてこの“機械仕掛けのバブル”の中に留まり、人々の希望となる「善い魔女」という役割を引き受ける過酷な道を選ぶ。称賛の嵐に包まれながらも、泡の中から一歩も出られないまま国を背負い続ける孤独。映画版のグリンダは、システムの濁流に呑み込まれながらもその中で生き抜こうとする、もう1人の重厚な主人公として描かれている。
このように、2人が「善」と「悪」という正反対の象徴へ分断されていく過程を、映画版は残酷なまでのリアリズムで描き出した。しかし、こうしたレッテルを剥ぎ取った先に息づく2人の友情は、本作でも力強く健在だ。社会が彼女たちを「善」と「悪」という記号に当てはめ、強引に引き裂こうとも、2人にとってはお互いが、ラベルを貼られる前の「ただの女の子」として存在しているのである。
そして映画版において、2人がそれぞれ「善」と「悪」の役割を引き受ける決断は、単なる悲劇的な別離ではなく、ある種の“共謀”のようにさえ映る。1人が人々の希望を一身に背負う象徴となり、もう1人が国を団結させるための共通の敵となる。そうして役割を分かつことで、彼女たちは互いの存在とオズの国の未来を守ろうとしたのではないか。この自己犠牲を伴う重層的な友情こそが、『ウィキッド』という物語が単なるファンタジーや勧善懲悪の枠に収まらない、大きな理由だといえるだろう。
『ウィキッド 永遠の約束』は、舞台版が大切にしてきた余白を、圧倒的な映像美と緻密な心理描写で丁寧に埋めてみせた。それは舞台版の価値を上書きするものではなく、長年舞台を通して感じ取ってきた“予感”に、1つの確かな形を与えてくれたような感覚だ。
私たちが生きる現実もまた、多くのレッテルに溢れている。その中で、自分自身の視点を取り戻し、相手の真実を信じ抜くこと。2人の魔女が命をかけて交わした約束は、今を生きる私たちに「自分の目で見極める勇気」を魔法のような熱量で教えてくれる。劇場を後にする時、空を飛ぶエルファバの緑色の肌も、バブルの中にいるグリンダのピンクのドレスも、単なるファンタジーの記号ではなく、2人が背負った生き様の象徴として目に映るはずだ。
■公開情報
『ウィキッド 永遠の約束』
全国公開中
出演:シンシア・エリヴォ、アリアナ・グランデ、ジョナサン・ベイリー、イーサン・スレイター、ボーウェン・ヤン、マリッサ・ボーディ、ミシェル・ヨー、ジェフ・ゴールドブラム
日本語吹替版キャスト:高畑充希、清水美依紗、海宝直人、田村芽実、入野自由、kemio、ゆりやんレトリィバァ、塩田朋子、大塚芳忠ほか
日本語吹替版スタッフ:三間雅文(台詞演出)、蔦谷好位置(音楽プロデューサー)、高城奈月子(歌唱指導)、いしわたり淳治(日本語歌詞監修)
監督:ジョン・M・チュウ
脚本:ウィニー・ホルツマン、デイナ・フォックス
製作:マーク・プラット、デヴィッド・ストーン
原作:ミュージカル劇『ウィキッド』(作詞・作曲:スティーヴン・シュワルツ、脚本:ウィニー・ホルツマン)/ グレゴリー・マグワイアの原作小説に基づく
配給:東宝東和
©Universal Studios. All Rights Reserved.
公式サイト:https://wicked-movie.jp