映画『メラニア』を日本人が観る意義 ファーストレディの政治性と移民問題を問い直す
『メラニア』は過剰なまでにきらびやかな映画だ。泥臭い要素は一切描かれず、優雅で華麗なファーストレディが大統領就任式に向けて忙しく準備する姿が映し出されている。
この映画は、現アメリカ大統領ドナルド・トランプの妻であり、ファーストレディであるメラニア・トランプを追いかけたドキュメンタリー作品だ。ドナルド・トランプはあくまで脇役で、大統領就任式と大学アメフトのチャンピオンシップの日程がかぶっていることに難癖をつけるような、騒がしく振る舞ったりする場面はあるが、カメラの焦点は常に、2度目のファーストレディになる準備に邁進するメラニアに焦点を当てている。
ファーストレディは、選挙で選ばれた人物ではないという点で政治家ではないが、一国の政治リーダーのパートナーとして、そのふるまいは政治的影響力を持つという点で、私人でもない。
必然的に、この映画はファーストレディの「政治性」という側面を浮かび上がらせる作品となっている。
政治が熟議を通して意思形成していくものだとすれば、「政治とは言葉」である。選挙に当選していない彼女たちは基本的に言葉を持たないし、熟議に参加しないのが基本ではある。しかし、現に様々な影響を社会に与えているとすれば、それはいかにしてか。「見た目」でメッセージを発しているのである。
この映画は、ファーストレディとしてメラニアが、いかに見た目に気を使いファッションを選びつくしているかを赤裸々に描いている。それ自体がファーストレディの持つ政治性であり、この映画が過剰なまでにきらびやかな理由でもある。
ファーストレディとファッション
本作には、何度もメラニアとその専属デザイナーやスタイリストが衣装について細かく作業しているシーンが映し出される。彼女は元モデルだったので、衣装についての意見が的確だというスタイリストのコメントが作中でも使用される。
ミリ単位で修正の指示を出すメラニアとそれに対応するスタッフの慌ただしさは本作のハイライトの1つだ。服へのこだわりは彼女がモデル出身であるということもさることながら、それがファーストレディとしての存在感を出す最も有効な方法の1つだからだ。
メラニアに限らず、米国の歴代ファーストレディは、常にそのファッションが注目されてきた。近年のファーストレディの中で、ファッションが注目された存在としてミシェル・オバマが挙げられる。ミシェルは、親しみやすさと現代性を融合させ、手頃な価格帯のブランドを愛用し、公式な場ではフォーマルなドレスでノースリーブを着用して働く女性をエンパワーメントしたと評価されてきた。また移民や有色人種の無名のデザイナーを積極的に起用し多様性あふれるアメリカの美点をファッションで体現したのだ。(※)
ファッションで社会に大きな影響を与えたファーストレディといえば、1953年に就任したドワイト・D・アイゼンハワー大統領夫人、マミー・アイゼンハワーだ。それまでジェンダー的にニュートラルだったピンクという色を「女性の色」として定着させたのは、彼女がピンクの衣装を好んで着たからと一般に言われている。
話を映画に戻すと、本作は彼女が履く10cm近くありそうなピンヒールのクローズアップが多い。彼女は画面に映る間、常に高いヒールを身に着け続けている。さらには常にフルメイクで完璧な装いで髪の毛も一切乱れていない。つまりは、メディアに映るために完璧に作られた状態の姿だけが映されている。彼女がヒールを脱ぐのは、就任式の長い1日が終わって夜中に帰宅したときだけだ。
その意味で本作は、メディアでは語られない彼女の素顔に迫るものというよりは、ファーストレディの政治的ステートメントを生み出すファッションとはどういうものかを描いた作品ともいえる。彼女が、トランプ大統領のスピーチ原稿に対して意見を言うシーンが1つだけあるが、その言葉もトランプ大統領の言葉として世間に放たれる。ファーストレディは選挙に選ばれた政治家ではないから言葉を持たない、ファッションの意図も説明されない。政治家が言葉で世の中を動かすとすれば、ファーストレディはファッションで動かす。それを体現するかのように彼女は意図を語らない。
ただ、ファッションにこだわるシーンに多くの時間を費やしていることそのものに、ファーストレディという複雑なポジションにおける政治性が含まれている。このことは本作の重要なポイントとなっている。