『ばけばけ』SNSのように変わる世間の矛先 江藤の“食い逃げ”記事で松野家に平穏は戻る?
NHK連続テレビ小説『ばけばけ』(NHK総合)第89話では、松野家に投げ込まれていたごみが、ある朝ぱたりと止まる。被害がなくなったのだから喜べばいいのに、空気はむしろ不穏だ。終わったのか、それとも次の手に出る前の静けさなのか。トキ(髙石あかり)とヘブン(トミー・バストウ)、そして錦織(吉沢亮)は、安心しきれないまま朝を迎えていた。
牛乳配達から戻った司之介(岡部たかし)が落ち着かない様子で、江藤(佐野史郎)の家が大変なことになっていると告げる。新聞には、江藤が“食い逃げ”をしたと書かれていた。役人たちが裏で動き、梶谷に書かせたのではないかと疑う江藤。外に出れば“食い逃げ知事”と野次を飛ばされ、家の中に閉じ込められる。権力者のスキャンダルとして消費されるには、あまりに雑で、あまりに残酷な扱いだ。江藤が何をしたのかより、別の叩ける標的が見つかったことのほうが先に立っているようにも見える。
ここで面白いのは、錦織の反応である。江藤を気の毒だと慰めるより先に、錦織が口にしたのは、松野家への攻撃が止まったことへの安堵だった。冷淡というより、現実を知っている人の判断だろう。世間の矛先が一度こちらに向けば、何が起きるかわからない。玄関にごみを投げ込まれる。外で指をさされる。仕事先で余計な目で見られる。そうした小さな被害が積み重なるほど、暮らしは静かに削られていく。だから錦織にとっては、今はこの家に被害が来ていないことがいちばん大きい。
それにしても、世間の関心というのはこうも簡単に動くのか。昨日までトキを騒ぎ立てていた空気が、今日は江藤へ向かっていく。一度熱がつけば、持ち上げるのも落とすのも同じ勢いだ。誰かを褒めそやした言葉が、そのまま刃物みたいに向きを変えてしまう。新聞がSNSに変わっただけで、仕組みそのものは昔から大きくは変わっていないのだろう。そう思うと恐ろしいし、静かに暮らすことがいちばん難しい世界だとも感じる。守ってきた生活が、外側で盛り上がった一つの怒りや噂で、あっさり揺さぶられてしまうのだから。
だからこそ、第89話で沁みたのは、家の中のやりとりだった。ヘブンが「自分のせいで迷惑をかけた」と謝ったとき、トキはそれを受け入れず「違います! そげなこと言わんでよしなさい」と強い口調で言い返し、誰かに罪を背負わせる形でこの状況を整理しようとしない。外の世界は、誰かを悪者にしてしまえば話が早い。だから「異人だから」「嫁にいったから」と理由をつけて、責める相手を決めてしまう。トキの振る舞いは優しさというより、2人の暮らしを守るための決意のようにも見えた。みんなで晩酌を囲む場面も同じだ。派手な祝杯ではない。ようやくいつも通りの夜が戻ってきたことを確かめ合うような時間だった。笑っていいのか、油断していいのか。まだ完全にはほどけない緊張の糸が残っているからこそ、食卓のあたたかさが身にしみた。
そして、錦織の校長就任の準備が進んでいく。生徒たちの前でそれを告げる錦織の姿は、立派だったというより、静かに腹をくくった人の顔をしていた。世間の風向きがどう変わろうと、学校の毎日は続く。守るべきものが目の前にあるからこそ、錦織はその役目を引き受けるのだろう。騒ぎが去ったあとに残るのは、結局いつも通りの暮らしなのだ。
■放送情報
2025年度後期 NHK連続テレビ小説『ばけばけ』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜~金曜12:45~13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:髙石あかり、トミー・バストウ、吉沢亮、岡部たかし、池脇千鶴、小日向文世、寛一郎、円井わん、さとうほなみ、佐野史郎、北川景子、シャーロット・ケイト・フォックス
作:ふじきみつ彦
音楽:牛尾憲輔
主題歌:ハンバート ハンバート「笑ったり転んだり」
制作統括:橋爪國臣
プロデューサー:田島彰洋、鈴木航、田中陽児、川野秀昭
演出:村橋直樹、泉並敬眞、松岡一史
写真提供=NHK