『進撃の巨人』とは何だったのか? 現代世界にも連なる「守るための戦い」という地獄
テレビアニメ『進撃の巨人』第1話のファーストショットは、空を飛ぶ鳥だった。
そして、セカンドショットはエレンの目のクローズアップだ。ここでエレンの瞳に空を飛ぶ鳥が映りこんでいる。
しかし、それ以降のショットで描かれるのは、超大型巨人を見上げて立ちすくむ人々の姿だ。この卓越した物語は、多くの人々が突然の巨人の出現に呆然としている時に、主人公だけは鳥を見ていた、というシークエンスから始まる。主人公エレンは、物語の始まりの時から他者とは違うものを見ている存在だったのだ。
この鳥は原作の第1話には出てこないが、後に原作においても鳥は象徴的な存在として扱われるようになる。例えば、物語の重要な転換点となる「マーレ編」最初のエピソードでも鳥のショットから始まり、セカンドショットはその鳥を見ているファルコの目のクローズアップとなる。
この一見なんでもない描写は、秀逸だ。地を這う人類と巨人の「争いの現実」と、空を舞う鳥が象徴する「自由への憧れ」。
本作は、人が争いをやめられないメカニズム(地獄)を描ききった稀有な作品であり、同時に、そこから逃れうる唯一の光をも描く。この作品が持つ力は、急速に混沌としてきた世界情勢を前に一層説得力を帯びるようになっており、まさに世界はこのようなメカニズムで動いているのかと実感させられる。
「守る」ために殺し合う人類の業
『進撃の巨人』は、母親を巨人に殺された少年エレンが、巨人を「この世から一匹残らず駆逐してやる」と決意し、兵団を目指すところから物語が大きく動き出す。エレンたちの生きる世界は、3つの高い壁によって守られており、兵団は巨人の脅威から人々を守るために存在している。
軍隊の存在意義は守ることにある。「全ての戦争は防衛戦争である」と言った人がいたが、どんな戦争も、内実はどうあれ宣戦布告の際には、国民や領土を守るためと称して戦いは行われる。プーチンですら、ウクライナに侵攻する際、NATOの東方拡大からロシアを守るためという理屈を持ち出しているし、ナチスドイツも同様だった。今トランプ米国大統領がグリーンランドを占有しようとしているのは、明確に侵略であるにも関わらず、それは中国やロシアの脅威の増大という理屈で展開される(それが事実かどうかはとりあえず置いておく)。ここで重要なのは、戦いとは「守る」という目的があって初めて正当化されるということだ。
誰もが「守ること」を口実に戦うというこの事実を、本作は視点を入れ替えることで説得力を持って描いてみせる。前半では巨人の脅威と戦うエレンたちの視点から展開していた物語が、今度は攻め込んでいたライナーたちマーレ側に視点を移し、侵略者と防衛者の構図を逆転させる。すると、侵略者たちもまた、自らの家族や立場を守るための戦いをしていたことが明らかにされていく。
彼らを戦わせるために、国は歴史を都合よく歪曲し、互いを悪魔化する。排外主義もそうやって生まれていく。本作では長きにわたる歴史教育によって相手を悪魔化するようになった人物(例えば初期のガビ)も登場すれば、諸外国からの脅威に晒され、数年間で急速に排外主義的になっていく人物(例えばフロック)も登場する。どちらも、昨今の現実社会でよくいる人間だ。こうなると人間は争うことをやめられなくなる。
しかしながら、この作品が時代を先取りしたということではない。むしろ、人類の歴史は常にこの繰り返しだったというべきだろう。そういう歴史の普遍性を、強い説得力を持って描いたのが『進撃の巨人』という作品なのだ。