『ぼくほし』の“美しさと怖さ”をいつまでも忘れない 私たちの日常と地続きだった幸せな世界

 『僕達はまだその星の校則を知らない』(カンテレ・フジテレビ系)が9月22日に最終話を迎えた。

 最終話終盤で、「濱学院」理事長・尾碕(稲垣吾郎)と主人公・白鳥健治(磯村勇斗)を中心に描かれた、それぞれの立場の違いや長年の確執を越えて語らう人々の幸せな光景は、江見(月島瑠衣)の言うところの「インフレーション」、彼ら彼女たちの「新たな星の誕生」を予感させるものだった。

 最終話を観ながら感じた、温かくこちらを包み込んでくれるような、円くて柔らかくて幸せな何かは、もしかすると健治が感じた「ポポム」というものなのかもしれない。それとも学校という小さな社会を舞台に、この世界全体の悲しみと喜びを描こうとした脚本家・大森美香の思いの形だろうか。

 本作は、スクールロイヤー(学校弁護士)である主人公・白鳥健治の視点から少子化による共学化で揺れる私立高校の現状を見つめた作品だ。生徒たちだけでなく、学校に対するトラウマを抱える健治自身の成長をも描きつつ、さらには最終話で山田(平岩紙)の起こした裁判を巡って教師が抱える労働過多の問題にまで踏み込んだ本作は、学校という箱庭から、社会そのもの、世界どころか宇宙規模で全体を俯瞰していく異色の「学園ドラマ」だった。

 本作を観ていてまず感じたのは、大森美香脚本の「時代」の描き方のフラットさだ。高校生たちを中心に「新しい時代」の「いま」を描きつつ、そんな時代に取り零されそうな人々の思いもしっかりと拾い、なおかつすべてを超越した魅力を持つ宮沢賢治の言葉や、天文学の視点がちりばめられ、さらにはどこにも染まらない独特の感性に従って生きてきた健治の視点が加わることで、多くの人々の心を救うドラマになっていると思う。

 例えば、第8話において、大人に対する「こんな世の中になったのはお前たちのせいだ」という憤りを抱きつつ、自分の人生を動かすために、理想の世界そのものを作りたいと願う生徒・北原(中野有紗)を通して描く、現代の若者たちの鋭い感性は、大人たちをたじろがせる強さがある。一方で第1話の斎藤(南琴奈)の制服を巡る失言や、個人情報の漏洩など、とても「ウッカリ」では済まされないミスが目立つ副校長の三宅(坂井真紀)が、その本質を肯定する生徒たちによって救われる第4話を通して、誰も否定しない、極めて自然で多様な、本来あるべき社会を緩やかに具現化していたりもする。

 また、恋愛描写も興味深い。恋愛ドラマ以外のテレビドラマ(ホームドラマ、職業ドラマ、学園ドラマ)において恋愛を描かないことがトレンドになりつつある中で、主人公・健治は、教師・幸田珠々(堀田真由)に恋をする。第1話冒頭が、第5話終盤の、健治が珠々に自分の過去を語る場面から始まり、本作そのものが健治のプロポーズで終わることからもわかるように、本作の中枢とも言える部分に「恋愛」がある。逆に生徒同士の関係性は、恋愛に発展しないからこその美しさで溢れていた。

 特に、斎藤と鷹野(日高由起刀)の友情の美しさは、恋愛というゴールを想定せずに「異性同士が自然と支え合うこと」ができる現代の素晴らしさを実感させるものだった。一方で、第2話の藤村(日向亘)、堀(菊地姫奈)を中心に置いた「失恋はいじめか」問題や、第7話の島田(北里琉)の、教師・巌谷(淵上泰史)への好意を巡る話といい、自然の発露としての恋愛感情とそれによって生まれる痛みや戸惑いを丁寧に描いた作品でもあった。

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