『あんぱん』は最終話でなぜ“死”を描かなかったのか 「賜物」ともシンクロした命への覚悟
「さて『あんぱん』今日で物語、完結です」
『おはよう日本』(NHK総合)の赤木野々花アナウンサーの朝ドラ送りがこれ以上ない簡潔さで爽快だった。
NHK連続テレビ小説『あんぱん』最終週「愛と勇気だけが友達さ」(演出:柳川強)は1988年、昭和が終わる前年、アニメ『それいけ!アンパンマン』が紆余曲折を経て制作され、のぶ(今田美桜)と嵩(北村匠海)をはじめとして、これまで関わってきた人たちがテレビを感慨深く観る。ただ、羽多子(江口のりこ)、登美子(松嶋菜々子)、千代子(戸田菜穂)、そして薪鉄子(戸田恵子)は既に鬼籍に入り、晴れ舞台を見ることが叶わなかった。
たくさんの子どもたちに「愛と勇気」を届けるアンパンマンを観て、のぶは自分のできなかったことをアンパンマンが代わりにやってくれたと考える。でもそのアンパンマンの理念がなかなか世の中に伝わらなかったとき、のぶだけが頑張って伝え続けた。彼女がいたからアンパンマンがここまで人気者になったのだ。アンパンマンとのぶは一体に違いない。
アンパンマンに愛情を注ぎすぎたのか、のぶは病気に罹り手術を受ける。余命わずかと宣告されたが、5年生きることができた。その時間を、のぶと嵩は穏やかに幸せに過ごした。
北村匠海はインタビューでこう語っている。
「柳井嵩として1年間この作品と向き合ってきて、僕は誰が何と言おうとこれはのぶの物語で、嵩の役割は、のぶをずっと見守り続けることだと思っていました。だから最後まで、のぶの話に、のぶと嵩、二人の話にしてほしいと願っていました。ふたりの最後のシーンを撮ったとき涙が出そうになりました」(※)
嵩のモデルであるやなせたかしは妻の暢が亡くなってから20年、生きる。ドラマではのぶが「うちのこの残りの命、嵩さんにあげるきね」と言うが、実際の暢も似たようなことを言ったそうで、その言葉どおりやなせたかしは長生きした。ドラマでは、嵩の晩年は描かれなかったので、のぶの命がアンパンマンに宿ったように筆者は感じた。そう、北村匠海の言うようにやなせたかしの物語ではない。のぶが亡くなったあとの嵩の物語はまた別の物語である。
主題歌「賜物」のオーケストラバージョンがかかり、のぶと嵩が緑道を歩いていく、その背後には無数の胞子のようなものが舞っている。空にはアンパンマンのような雲。そのラストシーンは、「手のひらを太陽に」の〈ぼくらはみんな生きている〉の歌のようであった。
はじめて「賜物」を聞いたときドキッとした。〈いつか来たる命の終わりへと近づいてくはずの明日が 輝いてさえ見える〉と死を予感させる歌詞があったからだ。あとから公開されたタイトルバックに使用されていない部分には〈時が来ればお返しする命 この借り物を我が物顔で〉とあった。ああそうだ、命には終わりがあって、「お返しする」という考え方は実に謙虚で、そういうふうに思えば、他者の可能性を自分の正義感や欲望のためにどうして剥奪できるものだろうか。
限りがあって自分でコントロールできないものを丁寧に使い切ろうという歌である。野田洋次郎の絞り出すような声がまさに切実に染みてくる。オーケストラバージョンで荘厳な感じすらした。
なぜにどうして、『あんぱん』はこんな朝の座禅のような物語になったのか。また、主人公の死を描かなかったのだろう。終盤、主人公、あるいはその人に近しい人物の死を描くことは朝ドラに限らずドラマにはよくある。近年の朝ドラ史を振り返ると、『カーネーション』(2011年度後期)は主人公が闘病し、亡くなるまでを描いている。「おはようございます死にました」は名言。『エール』(2020年度前期)は最終回がヒット曲メドレーという異色企画で、最終回前が実質最終回となり、そこで主人公の妻が闘病生活に入る。『らんまん』(2023年度前期)は主人公の妻がいつ亡くなるのか不謹慎ながら注目されていたし、亡くなったあとの主人公の振る舞いが感動を呼んだ。
『マッサン』(2014年度後期)は亡くなった妻の手紙が涙を誘い、『あさが来た』(2015年度後期)は亡くなった夫の幻が妻を応援する。『半分、青い。』(2018年度前期)では主人公の親友が震災で命を落とし、そういう展開が必要だったかが物議を醸した。