『あんぱん』松嶋菜々子と戸田恵子が体現する“愛情” 嵩とのぶの再出発にかけた言葉
8月12日放送の『あんぱん』(NHK総合)第97話では、のぶ(今田美桜)に転機が訪れた。
三星百貨店を退職し、漫画一本で生きていく決意をした嵩(北村匠海)。けれども仕事の依頼はない。のぶを心配させたくない嵩は、仕事と偽ってカフェで時間をつぶしていた。
同じ頃、のぶは鉄子(戸田恵子)からクビを言い渡される。理由は「私の秘書にふさわしくない」からで、「お互いのためにこれが一番良い方法」と鉄子は告げる。突然の出来事にのぶは戸惑う。
鉄子はなぜのぶを解雇したのか? その答えは「ここにいてもあなたが探しているものは見つからない」という言葉にある。鉄子は、ある決意をもってのぶをクビにした。鉄子の真意は、八木(妻夫木聡)との会話からその一端を知ることができる。
「のぶさんみたいに清らかな人にはあての秘書は務まらんき」と言う鉄子に、八木は「あんたの方が怖くなったんじゃないのか。自分の清らかな部分を思い出して、泥水飲めなくなりそうで」と返す。どちらも本当だろう。のぶの清らかさは、逆転しない正義を探すことにある。第96話で、鉄子はそれを「あるかどうかもわからんもん」と言う。
理想を追い求めるのぶと現実の泥沼でもがく鉄子の間には、いつしか溝ができていた。子どもたちのために働いてきた鉄子とのぶは共通の理想を抱いており、その理想自体は変わらない。子どもたちのカードを八木の店に買いに来る姿からも、鉄子の思いは伝わってくる。
その上で、鉄子にとって、のぶとの決別は覚悟のあらわれだったのではないだろうか。きれいごとで済まされない政治の世界で、汚れ役を引き受けてでも人々のために尽くす。きっと鉄子はのぶを守りたかったのだろう。鉄子がのぶを切り捨てたのは、軍国主義に染まったのぶの後悔を知った後だ。鉄子は、のぶをもう一度苦しめるようなことは避けたかったのだ。たとえその思いが伝わらなかったとしても。
先人の背中という意味で、第97話で印象深かったのが登美子(松嶋菜々子)である。クビになったことを嵩に打ち明けられずにいたのぶに、登美子は「早く話しちゃいなさい」とうながす。のぶが登美子に会いに行ったのは、非礼を詫びるためというのは口実である。のぶはどうしたらいいかわからなくなっていたと思う。のぶには余裕がない。嵩を支えようと思っていた矢先に解雇され、嵩を気づかって平常を装うものの、自信にあふれた表情は影を潜めていた。
登美子は「男が外で働き、女は家で夫を支える」という考えの持ち主である。時代背景を考えると、そのこと自体に違和感はない。のぶに「なぜ嵩を支えるのか」と尋ねるのも自然な疑問といえる。のぶは、結太郎(加瀬亮)の「おなごも大志を抱け」という言葉を引き「一緒に探しゆうもんがある」と答える。もちろんそれは逆転しない正義だ。
のぶにとって、嵩を支えることは答えを一緒に探すことで「二人だったらきっと見つけることができる」と返す。登美子は「夢みたいなこと」と嘆息するが、決して否定しない。身勝手な母親像を体現してきたのが登美子であり、キャラクターに込められた真意が明かされたのが第97話だった。登美子自身の幸福観を通じて、それは語られる。
三度結婚し、夫に先立たれた登美子の夢は、清(二宮和也)が生きていて、幼かった嵩や千尋(中沢元紀)と暮らした「あの日に帰ること」。決してかなうことのない夢である。「胸に空洞ができて、風が吹き抜けていく」と話す登美子は、失われた時間が戻ってこないことを理解している。
嵩は、自分たちを置いて去って行った登美子が「泣いていたんじゃないか」と思いやる。幸福が自分の手を離れていくのを、なすすべなく見送るしかなかった登美子。残された子どものことを思わない日はなかっただろう。一緒にいれば、過去を思い出して、悲嘆に暮れることは明らかだ。前を向いて生きるために、登美子は再婚を繰り返したと推測する。嵩を振り回したのも、清の面影を重ねたためと考えれば納得できる。
嵩とのぶにとって思うように行かない日々だが、のちの足跡を考えれば、二人三脚で歩むスタートラインに立ったと理解することは可能だ。夫婦の再出発を見守る女性たちのまなざしは限りなく優しい。
■放送情報
2025年度前期 NHK連続テレビ小説『あんぱん』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00〜8:15放送/毎週月曜〜金曜12:45〜13:00再放送
BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜8:15〜9:30再放送
BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:今田美桜、北村匠海、江口のりこ、河合優実、原菜乃華、高橋文哉、眞栄田郷敦、大森元貴、戸田菜穂、戸田恵子、浅田美代子、吉田鋼太郎、妻夫木聡、阿部サダヲ、松嶋菜々子ほか
音楽:井筒昭雄
主題歌:RADWIMPS「賜物」
語り:林田理沙アナウンサー
制作統括:倉崎憲
プロデューサー:中村周祐、舩田遼介、川口俊介
演出:柳川強、橋爪紳一朗、野口雄大、佐原裕貴、尾崎達哉
写真提供=NHK