妻夫木聡が『あんぱん』に再登場する意義 “戦争”を背負うことができる役者人生の深み
NHK連続テレビ小説『あんぱん』第16週「面白がって生きえ」の予告編で嵩(北村匠海)が配属された小倉連隊の上等兵だった八木信之介(妻夫木聡)が再登場した。今作の中でも、とくに戦争についての描写は映画を観ているかのような重厚感があり、徴兵された嵩がいかに理不尽な暴力の世界に投げ出されたか、戦時中の全体主義が普通の人々の日常を変えてしまった様子を丁寧に描いていた。
個人の自由など当たり前のように許されない戦争の真っ只中、嵩は八木と出会った。八木上等兵の初登場シーンは、第10週「生きろ」第50話のラストで、近寄りがたいミステリアスなオーラを発してはいたが、軍隊に全く馴染めそうもない嵩を気にかけているような様子を見せていた。
八木は厳しいながらも暴力を振るわないばかりか、「『軍人勅諭』を明日までに暗記しておけ」とアドバイスしてくれたり、幹部候補生の試験を受けられるよう、口添えしてくれたりした。慣れない軍隊生活で戸惑うことの多い繊細な嵩を気にかけてくれた八木のおかげで乙種幹部候補生となり、古兵から不当な暴力を受けることもなくなった。
井伏鱒二の詩集を持っていた嵩に「同じにおいを感じた」という八木。嵩が戦地に赴く直前「教えてください。自分のような者が戦場で生き残るには、どうしたら……」と尋ねると、「弱い者が戦場で生き残るには卑怯者になることだ。仲間がやられても仇をとろうと思うな」と八木は答えた。
嵩の母・富美子(松嶋菜々子)も嵩が出征するときに叫んでいた。「卑怯者だと思われてもいい。何をしてでも生きて帰ってきなさい」「死んだらダメよ! 生きるのよ」と。これらの言葉が意味するのは、弱い立場の人間が過酷な戦場で生き残るためには道徳心や倫理観といった正しいと信じる行いを優先させてなどいられない。
確かに、正義感が強い人というのは「俺(私)がやらねば、誰がやる」という責任感の強さも持ち合わせていて、仲間がやられたら1人ででも反撃に向かうような勢いがありそうだ。ただ、本作の中でも描かれていたが、80年前の敗戦直前の嵩が配属していた小倉連隊には食糧もなく、極度の栄養失調状態で戦うエネルギーさえ補給されていなかった。
嵩のモデルである『アンパンマン』の作者・やなせたかし氏は、悲惨な戦争を体験して戦争には真の正義というものがないこと、しかも正義だと思っていたものが逆転することを実感した。主人公ののぶ(今田美桜)も愛国の鑑と讃えられ、教師となって軍国主義に染まっていったが、敗戦によって自分が教えていた正義が間違っていたことで罪悪感に苛まれた。
正義とは何か? 卑怯者とは? そして、逆転しない正義というのは何か? 『あんぱん』において、戦争について深く掘り下げたパートは、『アンパンマン』の原点が描かれているだけでなく、主人公ののぶにとっても、嵩にとってもそれぞれの人生観、それぞれの信条がかたちづくられる重要なシーンが描かれていたのである。その戦争編でキーパーソンとなったのが八木上等兵で、妻夫木聡にとって1998年の俳優デビュー以来、朝ドラ初出演というのも話題となっていた。