『何曜日に生まれたの』最終回を考察 野島伸司脚本はバッドエンドもあり得るか?

 野島伸司オリジナル脚本、飯豊まりえ主演ドラマ『何曜日に生まれたの』(ABCテレビ・テレビ朝日系)が、いよいよ最終回を迎える。前回のラストで公文竜炎(溝端淳平)がサイン会でファンに刺されるという衝撃的な展開となっているが、最終回ではどんな結末を迎えるのか予想してみたい。

 物語は、サッカー部のマネージャーをやっていた高校時代、バイク事故をきっかけに引きこもりになった黒目すい(飯豊まりえ)の人生を中心に描かれてきた。すいと2人暮らしの売れない漫画家の父・丈治(陣内孝則)が、ある日、編集長・来栖久美(シシドカフカ)の指示で超売れっ子人気ラノベ作家・公文竜炎とのコラボ漫画を描くことになり、その主人公のモデルにすいを指名。そんな時、すいのもとに高校時代の同窓会の案内が届き、元サッカー部の旧友たちと再会したことをきっかけに、10年前の事故の真相が明らかになっていく。

『何曜日に生まれたの』すいの行動が公文の心を動かす 野島伸司らしさ溢れる衝撃のラスト

「どうして私を書くの」  その言葉とともに、公文(溝端淳平)に向けられたナイフ。逃げる隙はあったかもしれないが、彼は避けようと…

 表向きには、すいをモデルにして、現実社会とリンクさせて社会復帰の物語を創作しているが、その真の目的は、すいをプロデュースしていくことでコモリビト状態(引きこもり)から救い出し、止まっていた時間を進めること。すいだけでなく、同級生たちも新たな道を選択していく展開となり、彼女たちの再生と成長の物語と一見思われたが、最終回を前に公文の闇に触れ、実は公文と妹の蕾(白石聖)の再生の物語(?)だったという急展開を迎えている。

 今作は、『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)、『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)、『高校教師』(TBS系)、『未成年』(TBS系)など、ドラマ史における伝説的な作品を手がけてきた脚本家・野島伸司による、は5年ぶりの地上波連続ドラマオリジナル作品。かつての野島作品の特徴は、社会問題や禁断の愛といったタブーに挑戦していく姿勢と、先が読めないジェットコースター的展開の面白さだった。そこには、人の心理(特に暗部)を深掘りし、そこまでやるかと思わせるほど登場人物たちへの容赦のなさがあり、その過酷な運命の中から浮かび上がる強烈な愛や物語のメッセージが視聴者の心を鷲掴みしてきた。

 今はコンプライアンスが厳しい時代なだけにマイルドではあるが、それでも今作は「ラブストーリーか、ミステリーか、人間ドラマか、社会派か。先が読めない予測不能の衝撃作が日曜の夜に登場!」というキャッチコピー通り、現代社会の大きな問題である引きこもりをフックに、高校生時代の同級生たちの恋愛にまつわる人間関係の深い傷を抉り出していく。こうしたかつての同級生たちの青春と友情をテーマにした群像劇は、1992年の鈴木保奈美主演ドラマ『愛という名のもとに』(フジテレビ系)などでも描かれてきた野島の得意とするところで、令和の時代にそれを描くとどうなるのか、という面白さがある。

 ドラマのフォーマットも、オープニングやエンドロールで流れる60年代の楽曲The Holliesの「Bus Stop」という選曲や、主人公の黒目すい(飯豊まりえ)が雨に濡れる映像の中、ワイプでダイジェスト的な映像が流れるスタイルは、ドラマ『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』(TBS系)や『高校教師』など、かつての野島ドラマそのもので、それだけ過去の野島作品を意識しているのが分かる。

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