ケネス・ブラナーはやっぱりすごい! 映画館で観るにふさわしい大人向けミステリーが誕生
ケネス・ブラナーはやっぱりすごい。鑑賞後にそう感じざるを得ない彼の最新監督・主演作『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』が9月15日より公開となる。2017年公開の『オリエント急行殺人事件』、2022年の『ナイル殺人事件』に続きブラナーがエルキュール・ポアロを演じる本作は、シリーズ3作目にして最もフィルムメーカーのクラフトマンシップが表れた美しいミステリーとなった。
イタリアの美しい水上迷宮都市で隠居生活を送っていたポアロ。彼の玄関先には、それでも多くの相談者が毎日列をなしている。そんなある日、ポアロを訪ねてきたのは、推理小説家のアドリアニ・オリヴァ(ティナ・フェイ)だ。彼女は「死者の声が聞こえる」という霊能者レイノルズ(ミシェル・ヨー)の降霊会に彼を招待する。そしてハロウィンの夜に“子供の霊が出る”と言われる古い屋敷で行われた降霊会。その直後に発生した殺人事件に、ポアロをはじめ参加者は悩まされることになる。
ブラナーが素晴らしい俳優であることは、決して新たな発見でも何でもない。英国を代表する王立演劇学校を“首席”で卒業、23歳の時にロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに所属した彼は、“シェイクスピア俳優”の異名を持つ舞台役者だ。80年代後半から本格的に映画の分野に進出した彼は、1989年公開の『ヘンリー五世』で監督デビューを果たし、初主演を務めた。そう考えるとキャリアの初期から『名探偵ポアロ』シリーズのように、主演と監督を同時にこなすことに挑戦していたわけになる。さすがシェイクスピア俳優と呼ばれるだけあって、彼の手がける作品にはどこかそういった趣が感じられるものが多い。2008年公開のマーベル・シネマティック・ユニバース作品『マイティ・ソー』も、アメコミ映画ながら例に漏れず、雷神ソーの神話的な物語とブラナーの重厚感がうまくマッチした作風が印象的だった。
特に90年代は監督や脚本、製作を務めることが多く、俳優としてのみならず、フィルムメーカーとしての手腕も買われていたブラナー。その実力は2015年公開の『シンデレラ』でも証明された。本作は議論を呼びやすいディズニー映画の実写化作品でありながら、公開週の週末興行収入ではディズニー配給作における過去最高の記録を打ち出した。加えて、批評家にも高く評価されたことが印象的だった。
さらに、ブラナーといえば2022年公開の『ベルファスト』で第94回アカデミー賞脚本賞を受賞したことも忘れてはならない。自身の幼少期の思い出を半自伝的に描いた同作で、ブラナー自身が投影されたバディ役のジュード・ヒルは『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』に父想いの賢い少年レオポルド・フェリエ役で出演しており、また『ベルファスト』でバディ父親を演じたジェイミー・ドーナンも、『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』に再び父親役としてブラナーの世界に招かれている。そして第95回アカデミー賞女優賞を受賞したミシェル・ヨーも面白い役柄で本作に登場し、ブラナーと共演している。本作の魅力は数多く挙げられるが、このオスカー俳優2人のアンサンブルは見どころのひとつだ。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』でマルチバースを体験するエヴリン役のインパクトが忘れられないヨーだが、『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』でもそれに負けないくらいインパクトの強い役を演じている。ポアロの旧友作家から「インチキ」と疑われている彼女の“ド派手”な降霊シーンは、ヨーが椅子に座ってぐるぐる回っている画だけで面白いのがずるい。しかし、そんなふうにちょっと笑ってしまうシーンがありつつも、本作は単なるミステリー映画ではなく、ホラー映画としての恐怖感を登場人物と観客に与えるのが非常に上手い作品だった。