黒島結菜が背負う主人公としての『ちむどんどん』 “四分割”の物語は成功となるか
“朝ドラ”ことNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』、第3週「涙のサーターアンダギー」では子役から本役に変わり、いよいよ本格始動した。
『ちむどんどん』は四姉妹を描いた名作『若草物語』や『細雪』などをリスペクトして書いていると公式にアナウンスされている。朝ドラで四姉妹ものといえば『てるてる家族』があるが、『ちむどんどん』は四姉妹にしないで、三姉妹+兄という編成になっている。長男・賢秀=竜星涼、長女・良子=川口春奈、次女・暢子=黒島結菜、三女・歌子=上白石萌歌、これにはジェンダー平等時代に放送する作品としての配慮も感じる。
もともと、朝ドラはヒロインと男兄弟(とくに弟)という家族構成がよくあるのだが、いつもはあくまで主人公中心で家族の描写は少なめだった。が、『ちむどんどん』では四人兄妹をまんべんなく描くことも事前にアナウンスされている。
現時点では四人兄妹をそれぞれ手厚く描くことで、いつもは主人公ひとりが抱えるテーマを四人に分散しているようにも感じる。良子にはファッションと貧しさ、暢子には食とやりがい、歌子には音楽と健康……というように。ひとりにいろいろ背負わせるとしんどくなるところを、三分割すれば目先も変わって楽しめるという狙いを感じる。前作『カムカムエヴリバディ』が半年を三分割して三人ヒロイン体制をとり、時間という縦軸に三人を配置したことに対して、『ちむどんどん』は同じ時間に三人姉妹+兄を配置する工夫をしたといったところだろうか。
第3週、第15話の締めに「~~やんばるの小さな村のきょうだいはそれぞれに傷つきながらも大人への階段を登っていました」と言うナレーション(ジョン・カビラ)があった。四人は、それぞれの壁にぶち当たっている。
賢秀は長男のプライドがいい意味でも悪い意味でも影響して迷走している。おそらく男たるもの、長男たるもの、中途半端ではいられない、大きなことを成し遂げなくてはと思うあまり、地道にコツコツ働くことができないように感じる。父親・賢三(大森南朋)が大きな家と畑を借金して購入したように、70年代はそういう大きなことが男としての自信(価値)になる時代であったのだ。
男性が一家を率いることを期待された時代、女性は「一歩引いて立てる」ことが良しとされて、暢子は就職が決まっていた会社の人がまことしやかに語る認識にカチンとなる。おりしも、自信のあった走りで男の子にはじめて負けたことで、男には体力でかなわない現実を知らされてもいた。
暢子と賢秀が、男はこうあるべき、女はこうあるべきという画一的な世間の見方に抗いたい気持ちを男女それぞれ分散して受け持つ。男だから、女だからではなく、自分らしく生きるにはどうしたらいいか問題を暢子と賢秀がそれぞれ解決していくのだろう。
良子と歌子はやりたいことは見つかっているが、それを阻むものに苦しんでいる。良子がもっと学びたいしオシャレもしたいし恋もしたいが、貧しいがために満足を得ることができない。歌子は音楽が好きだが貧しさと病弱なため遠慮している。それと豆腐屋の智(前田公輝)に惹かれながらも彼が暢子を好きと感じているのでその想いも内に秘めたままである。