『にじいろカルテ』にみる相互ケアの形 岡田惠和の筆致が生む豊かなコミュニケーション
「がさつで無神経なのかなぁ。ある日いきなり旦那が出ていっちゃって。わたし、めちゃめちゃ幸せだったのよ。(娘の)日向が生まれて可愛くて可愛くて。……(中略)全然気づかなくて、旦那も幸せだと思ってたの。そしたら急にある日いなくなっちゃって」
「子どもを産みたかった」という氷月に続いてそう嵐が吐露するように、いつも明るく村の人のサポートをしている彼女たちにも、その裏側には普段見えない苦しみがあることがわかる場面。岡田脚本ではおなじみの悪い人がひとりも出てこないファンタジー的な世界観のドラマでありながら、その実はしっかりとキャラクターの多面性が描かれていることに感心させられる描写でもある。
「悩みを吐露し、周りはそれをただ受け止める」という儀式のような会話劇は、前クールのドラマ『姉ちゃんの恋人』(カンテレ・フジテレビ系)最終話にも同様のものがあったから、岡田惠和という脚本家が、「人が話す場」を作ることにかなり意識的であることがわかる。
主人公の真空は、冒頭の霧ヶ谷による何気ない言葉に惹かれるようにして虹ノ村へやってきた。そこはとても温かい場所で、誰もが彼女を快く迎え入れてくれた。第1話のラストでは、そんな村人に気を許したのか、はたまた罪悪感からか、彼女もまた「嘘をついていました」と言って、隠していた病気のことをみんなの前で吐露しはじめるのだった。
その告白に対して朔(井浦新)が答える「いいんじゃねぇの。医者で患者か、最強じゃん」は、「ただ受け止める」という意味での最上級の包摂の仕方であったように思う。本作では、人は話し出すことによって互いに支え合い、救われていくのだ。