『プライベート・ウォー』監督が語る、“伝説の記者”メリー・コルヴィン 「仲間のように思えた」

 英国サンデー・タイムズ紙の“伝説の記者”メリー・コルヴィンの生涯を描いた伝記映画『プライベート・ウォー』が、9月13日より全国公開中だ。世界中の戦地に赴き、レバノン内戦や湾岸戦争、チェチェン紛争、東ティモール紛争などを取材してきた女性戦場記者であるコルヴィンは、2001年のスリランカ内戦取材中に左目を失明、2012年に過酷な状況で包囲されている28,000人の市民の現状を伝えるために乗り込んだシリアで、シリア政府軍に包囲され、ロケット弾の砲撃で命を落とした。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらも、黒の眼帯をトレードマークに世間の関心を紛争地帯に向けようと努めた人生が明かされる。

 コルヴィンを演じた、『ゴーン・ガール』のロザムンド・パイクは、本作の演技で第76回ゴールデングローブ賞(ドラマ部門)主演女優賞にノミネートされた。監督を務めたのは、メキシコ麻薬カルテルと自警団の戦いに密着し、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた『カルテル・ランド』(15年)、武装勢力 ISIS(イスラム国)に支配されたシリア北部の惨状を世界に発信する市民ジャーナリスト集団に密着した『ラッカは静かに虐殺されている』(17年)など数多くのドキュメンタリーを監督したマシュー・ハイネマン。初の劇映画の挑戦となるハイネマン監督に、ドキュメンタリーと劇映画の違い、ジャーナリズムの現在、コルヴィンへの思いまで語ってもらった。

「コルヴィンに強いつながりを感じた」

マシュー・ハイネマン

ーー劇映画作品を撮るきっかけは?

マシュー・ハイネマン監督(以下、ハイネマン):たまたまかな。僕はドキュメンタリーが大好きだし、これからもドキュメンタリーを撮っていきたいと思っている。ドキュメンタリーを作ることを、ハリウッドのフィクションを作るきっかけにする人もいるけれど、僕はそうじゃない。単純にコルヴィンに強いつながりを感じたし、伝えなければと思った。コルヴィンの生き様は、劇映画としてしか描けなかったんだ。

ーー初の劇映画の挑戦にあたって、心がけていたことはありますか?

ハイネマン:ドキュメンタリーは、実在する人物たちを目の前にして作り、劇映画は脚本があって、役者があって……と映画作りの体験として当然違うものになる。ただ、自分のドキュメンタリー作家としてのこれまでの経験を、劇映画に使いたいと思っていた。例えば作品のルックスや雰囲気作りにはこだわって、どのフレームでもリアルに映るようにすることと、アドリブができる空気感を心がけていたよ。

ーードキュメンタリー作家として、リサーチにも力を入れましたか?

ハイネマン:何カ月も、コルヴィンと彼女が住んでいた世界に対してリサーチしたよ。ロンドンやアメリカなど各地を周って、彼女の同僚や友人たち、いろんな人に取材をした。

ーー主演のロザムンド・パイクとはどのようなやりとりを?

ハイネマン:パイクも、僕と同じようにたくさんの時間を準備に費やしてくれたんだ。コルヴィン独特の訛りを真似たり、彼女もコルヴィンの同僚に話を聞いたり、ダンスのコーチの人の元で、コルヴィンの体や動きに近づける作業をしてくれた。PTSDが人の心に与える影響についても彼女自身でリサーチしてくれて、僕らの間でもとにかくたくさん話し合った。彼女には、僕がドキュメンタリー作家というバックグランドからどのようにアプローチするのかということを話したりもした。

ーー紛争地域でのシーンと、コルヴィンが住んでいるロンドンでのシーンが交互に描かれる構成は意識的でしたか?

ハイネマン:僕がやりたかったことは、実際の戦地と、彼女の「心の中の戦地」を同時に掘り下げるということ。そのためには紛争地帯と彼女のホームであるロンドンの両方の場面を描かなければいけなかった。彼女がいかに戦地でのトラウマをロンドンに持ち帰っていたのか、言い換えれば戦争やPTSDというサイレントキラーが人々が持つモラルに対してどんな傷を負わせるのかを伝えたかったんだ。

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