『毛虫のボロ』が成し遂げたことの意味とは? 宮崎駿監督による“紛れもない本気の新作”を徹底考察

「CGへの挑戦」−高いハードル−

 本作の制作状況を追ったドキュメンタリーでは、宮崎監督による初の本格的なCG(コンピューター・グラフィックス)アニメーションへの挑戦が焦点になっていた。

 プロデューサー・鈴木敏夫の発言によると、今回の公開の半年ほど前に、いったん作品は完成をしたものの、宮崎監督が作品の出来に納得せず、製作スタッフを一新させ、大がかりな作り直しが行われたということが伝わっている。

 製作中の映像を見ると、当初から背景美術は、従来と同じく手描きによって描かれていることが確認できるため、全てをCGで製作することはもともと構想されていなかったと考えられるが、実際に完成した作品は、いままでの宮崎監督の作品のように、かなり多くの部分が手描きで製作されているように感じられる。また、手描きに見えるようにCGが使用されている部分も多い。

 これらの情報をあわせて考えると、手描きとCGの良いところを折衷する計画で製作が進められていたが、いかにもCGに見えるような表現は用いられず、完成した時点で宮崎監督が気に入らないと感じた箇所を、従来の方法で描き直したということだろう。それは、スタッフの数年がかりの努力を一部、無に帰すという決断でもあるはずだ。最終的なクレジットでは名前が消えているスタッフもいる。その裏には、宮崎監督の作品づくりへの独自の基準があった。

「ラセターがさ、宮崎が(CG)をやってたって言ったら絶対覗きに来るでしょう? 『まだこんなレベルか』って思うに決まってるじゃない。恥ずかしいものはやりたくないじゃない」

 宮崎監督が『終わらない人 宮崎駿』(NHKドキュメンタリー)のなかで話題にした、友人でもあるジョン・ラセターとは、ピクサー・アニメーション・スタジオの代表的人物であり、いまではウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの作品をも統括する立場にあるクリエイターだ。そんなラセターに対して恥ずかしくないものを作るというのが、宮崎監督の望む最低ラインだった。そんな想いをまだ知らない『毛虫のボロ』CGスタッフたちは、「作り出したら早そうな気がする」と発言するなど、完成イメージを軽く見積もっていたようだ。その意識の差はおそろしく大きい。

 果たして、ここまで高い要求をクリアーしなければならないスタッフたちは、割に合うのだろうかと心配にすらなってくる。「スタジオは人を食べていくんですよ」と宮崎監督自身が言うように、多くの才能と努力は、宮崎監督のイマジネーションを“忠実に”具現化するためのパワーへと変換されてしまう。

 これに近いのは、小津安二郎監督の映画づくりだ。小津監督は自らカメラ位置やアングルを決定し、小道具などの美術も自分で決めることが多かった。カメラマンや美術スタッフたちの自主性の大部分は、その環境下では制限されてしまうのだ。ある美術スタッフはそれが理由で、比較的自由で新しいことが試せる黒澤明監督の方へ移籍したという。だが監督の能力が高ければ、その意志が強く反映された作品が魅力的になるというのは確かではある。

 また、日本のCG技術自体が、スタジオジブリのベテラン作画スタッフほどの洗練に達していないという問題もある。押井守監督が自作『イノセンス』でCGを多く使用しながらも、感情を込めるようなキャラクターに関しては、従来のように手描きの手法を選択した理由もそこにある。宮崎監督はCGキャラクターの感情表現について不満を漏らしていたが、これはCG技術の状況をよく把握できていなかった宮崎監督が、手探りで製作を行っていたためであろうと思われる。

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