『オリエント急行殺人事件』ケネス・ブラナーが語る新ポアロ像 「白黒つけられる時代ではない」

 名探偵エルキュール・ポアロを主役としたアガサ・クリスティの傑作小説を映画化した『オリエント急行殺人事件』が現在公開中だ。フランス北端のカレーへといたる豪華列車オリエント急行に偶然乗り込んだ名探偵ポアロが、列車内で起こった殺人事件に遭遇し、通常の事件では考えられない“真相”にたどり着く模様が描かれる。

 リアルサウンド映画部では、本作の監督兼主演を務めたケネス・ブラナーにインタビュー。1974年にシドニー・ルメット監督によって映画化されたものをはじめ、幾度となく映像化されてきた本作を、なぜ現代によみがえらせたのか。その理由をじっくりと聞いた。(編集部)

「灰色の世界を、われわれは毎日生きている」

ーー本作の脚本を手がけたマイケル・グリーンは、『ブレードランナー 2049』『LOGAN/ローガン』など、これまでの作品でも人間の命をテーマに扱っていますが、『オリエント急行殺人事件』でも同様のテーマ性を感じました。実際に出来上がった脚本を受け取ったときの感想を聞かせてください。

ケネス・ブラナー(以下、ブラナー):まさにその通りで、グリーンは作家として、人間への洞察が鋭く深い人物なんだ。今回の脚本も、殺人事件をただの謎解きやパズルと見なすのではなく、人々の苦しみや痛み、情熱、人を失ったときの悲しみなどと結びつけたものになっていた。人間の感情を非常に理解しているところに、とても感動したよ。

ーーアガサ・クリスティの原作小説も、シドニー・ルメット監督が手掛けた1974年の映画版も世界的に有名な作品ですが、仕上がったものに自分の色を加えていくことについては、どんな意識で臨みましたか。

ブラナー:(ブラナーが演じた)名探偵エルキュール・ポアロが、“人間は、どれだけ獣より優れているのか”を追求するところに僕は惹かれた。物語の初めでポアロは、「この世の中は悪と善で分かれていて、中間などない」と言っているけれど、話が進むに連れてその信念は揺るがされてしまう。そういった部分を強調した映画にしたいと思ったんだ。ポアロはこの事件に関わったことで、人間の苦しみや悲しみ、正義というものを、時には踏みにじらなければならないということを学ぶ。以前と違う自分に変化することは彼にとって、複雑な過程で、その様相のなかでのポアロを描く点は、ほかのどの作品とも違うと思っているよ。

ーールメット版でアルバート・フィニーが演じていたポアロよりも、あなたのポアロはもっと人間味があると感じました。

ブラナー:もちろんアルバート・フィニーとは違うね。彼のポアロは40年前のもので、簡単に比較対象にはできないけれど、彼は彼なりの人間味がある力強く素晴らしい演技を見せていた。原作小説に“ポアロは首をかしげる“という表現があるけれど、アルバートは、駅に来るとき(少し大げさに首を振るジェスチャーを見せて)こうやってやっているんだ(笑)。アガサ・クリスティは33作の長編、50作の短編を書いていて、その中にも様々なポアロ像があり、100人の俳優が演じられるくらいのネタがあるんだ。そういう意味でアルバート版ポアロを非常に参考にした部分もあるね。僕の場合は、過去に失恋した女性カトリーヌの写真を出すといった、ロマンチックな部分を強調している。他のポアロで見るシニカルだったり、理想主義的だったりする部分も少し描いているし、様々な違いを見つけることができると思うよ。自分なりに考えて、ポアロ像を構築してきたんだ。

ーー最後にポアロが“選択”を迫られる場面もルメット版とは大きく違います。2017年という現在に、正義や人が生きていくということを描く意味として、この選択に行き着いたのですか。

ブラナー:この映画を通してポアロは、人間味のあるやり方について悪戦苦闘する。最終的に被害者たちの苦しみや痛みを認め、理解する一方で、“目には目を歯には歯を”という復讐の思想は動物的であるといった考えは持っていて、法の支配も信じて疑わないんだ。だから、事件は解決したけれど、彼の中では解決していないはずで、矛盾を抱えながらもポアロは列車を降りていく。人生を黒と白に分けることは不可能で、世の中はバランスよくできているものではないんだよね。

ーー本作のエンディングの方が、ルメット版より納得のいくものがありました。最後のカットも素晴らしかったです。

ブラナー:(最後は)ポアロが重荷を背負っていく心象風景を表したいと思った。原作小説は、“事件は解決した、これで終わり”という締め方で、オリジナル映画版ではシャンパンまで飲んでいる。でも、現代はそうはいかない。白黒はっきりつけられる時代ではない灰色の世界を、われわれは毎日生き延びているんだ。

ーー(『シンデレラ』『ハムレット』など)あなたの作品は豪華絢爛なイメージがあったのですが、今回の室内劇ということで、狭い空間でどう手腕を振るうのか興味がありました。

ブラナー:列車内というのは非常に限られた空間で、その中から外の風景をいかに効果的に使うかは考えた。終盤のシーンでは、絵画「最後の晩餐」を意識したワイドな見せ方もしたし、列車の外にある雪崩をしっかりと映して、映画全体の開放感にもこだわった。その一方で、列車内のカメラワークにも気を遣って、例えば、死体を乗客たちが発見するシーンでは、死体そのものをあえて映さず、観客達が乗客たちと同じ視点で見ていることを意識した。また、別のシーンでは、窓越しにカメラを置いて、人物の顔が三面に映るように撮ったカットもあって、嘘をついていることを表現したんだ。この映画には、そんな仕掛けがいくつも存在する。乗客たちの気持ちが落ち着かないのと同じように、観客たちをソワソワさせるカメラワークにしているんだよ。

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