『監獄のお姫さま』“思い出”を共有できる面白さ 宮藤官九郎脚本の粋なはからいを読む
「考えないことにした、で、終了? …考えるのやめるのが正常ですか? だったら刑務官やめます! お節介はやめられないので!」
『監獄のお姫さま』(TBS系)第9話。ついに、先生(満島ひかり)が馬場カヨ(小泉今日子)たちの更生(復讐)計画に乗った背景が描かれた。刑務所内のカラオケ大会で歌われた松任谷由実の「卒業写真」のように、人ごみに流されていた女囚たちを集めたのは、先生だったのだ。
馬場カヨたちが出所後、姫(夏帆)は監獄の中でひとりぼっちで過ごしていた。実際には雑居房で複数名と生活をしているが、無罪を信じてお節介を焼く仲間はもういない。“姫”から“アスパラ“へ。呼び名ひとつで姫の置かれた状況の変化が明らかになる。そして囚人を番号で呼ぶ先生だけが、“姫”と呼び続けるのだった。
息子の勇介を吾郎(伊勢谷友介)に奪われ、仲間が去り、孤独を募らせる姫は日に日に弱っていく。いじめを跳ね返すことも、息子を奪い返す気力も失っているように見えた。そんな姫を不憫に思った先生は、匿名で姫の母親・民世(筒井真理子)に手紙を出す。「期待をしない」と囚人たちと距離を取っていた先生の、“らしくない“お節介。それは、刑務官である自分とは別のところにある、先生個人の正義ゆえの行動だ。
だが、民世もまた弱い人間だった。「(娘のことは)考えないことにしたんです」都合の悪いこと、望んでいないことが重なると、人は思考を停止する。そのうち、自分が何を望んでいたかも考えなくなってしまう。そうして、人ごみに流されていくのだ。その流れが誰の手によって作られ、どこに行きつくのかも考えられずに……。弱った姫も、面会にやってきた吾郎に言いくるめられ「やっぱり私、犯人です」と心を持っていかれてしまう。
刑務官は、悪を懲らしめ、善人を救う正義の味方のはず。しかし姫の事件に関しては、刑務官の立場で弱き者=姫を救うことができないと考えた先生は、馬場カヨの復讐計画ノートを取り出したのだろう。散り散りになる直前に叫ばれた馬場カヨのメールアドレスが唯一の連絡手段だった。しかし、“baba(ババ)kayo…“が、“baka(バカ)kayo…“になっていたため、どんなに待ってもメールは届かない。
そんなどこまでもツメの甘いおばちゃんたちの前に現れ、アジトの地図が描かれた折り紙の手裏剣を置いていく先生。刑務所内で迎えたクリスマスに、勇介にプレゼントしたものと同じ。あの瞬間を共にしていた仲間なら、誰もが忘れることのないアイテムだ。
「忘れてなかった! 覚えててくれた! フフッ!」アジトに集合した馬場カヨの手には、えどっこヨーグルト。これもまた彼女たちにとって決して忘れることのないアイテム。「はぁ〜もうなんか私ひとりじゃ、何にもできない!」そう、正義を貫くためには、考え続けなければならない。そして考えるためには自分を強く保ち続けなければならない。人を強くしてくれるのは正義を共にする仲間と、その存在を感じ続けることのできる思い出だ。
ああ、このドラマを見ていると、年を重ねるのも悪くないな、と思えてくる。宮藤官九郎脚本では、多くの作品のオマージュやパロディが出て来るが、その粋なはからいに「フフッ」となるのは、同じ“忘れることのないアイテム“を持っているような気持ちになる。かつて満島ひかりが出演していた映画『愛のむきだし』のサソリに扮していたのも、満島ひかりファンにとってはたまらない演出だろう。また、財テク(菅野美穂)がユキ(雛形あきこ)と共鳴するように演じる姿は、1996年にそれぞれふたりが主演したドラマ『イグアナの娘』と『闇のパープル・アイ』が連続して放送されていた時期を思い出させる。他にも歌やセリフで散りばめられた様々な演出で、ドラマの作り手と、そして同じところに「フフッ」となる人が世の中にいるのだという喜びを味わえる。そういえば時を経て殿=姫のために年末に仇討ちなんて『忠臣蔵』のようでもあるな。と、年を重ねたからこそ、あらゆる情報を繋げて見るのもまた一興だ。
アンデルセンの『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』をセリフに組み込んでくるのも、「敏感であること。考え続けること」それが、今を生きることなのだと訴えかけてくるようだ。