高橋一生と柴咲コウ、“言葉を交わさない”熱演の秀逸さ 『おんな城主 直虎』の壮絶な別れ

 33話は複数の点で、18話での彼らの会話を反芻させる部分がある。直虎が18話で、「我はおのれで選んだのじゃ、井伊を守ると」という言葉は、33話で龍雲丸(柳楽優弥)が直虎に言う「家は放り出すこともできた、そうしなかったのはあの人がそれを選んだから」という言葉に呼応し、直虎と政次が同じであることを暗に告げる。18話での「我が女子であるから守ってやらねばならぬと考えておるのならお門違い」という直虎の言葉は、政次が直虎を守るためにこの道を選んだことを知った直虎が言う「守ってくれなどと頼んだ覚えは一度もない」という言葉に呼応し、政次の直虎への変わらぬ恋心とその悲劇を余計に際立たせる。そして最後に政次のためにできることを直虎が決断する時に直虎は「我をうまく使え、我もそなたをうまく使う」という18話での自身の言葉を反芻する。井伊の人々を守るため、直虎のための政次の死を無駄にしない、より磐石にするための「次の一手」に行き着くのである。

 直虎は「送る」運命を持った人物だ。彼女は多くの愛する人々を見送り続けてきた。直虎が「政次が行くというなら私が送ってやらねば」と言った後に「我が送ってやらねば」ともう一度繰り返したのは、幼なじみとしての「私」と井伊家を守る城主としての「我」、両方の意味で、送らなければならないという思いだったのだろう。

 2人は、たとえ違う場所にいたとしても、互いの思考を推測しながら碁を打ち続けていた。それがよく1人で碁を打つ家康(阿部サダヲ)とは違うところだ。それぞれの場所で次の手を思索する2人の手が交互に映され、やがて2人は意を決し、それぞれの行動をとり始める。

 政次の死後、彼の辞世の句が読み上げられ、イメージとして2人の姿が登場する。直虎を嬉しそうに待ち、振り向く政次の目に直虎の姿は映るが、哀しみの表情を浮かべた直虎の目には政次の姿は映らず、2人で興じた碁盤だけがそこにある。

 南渓(小林薫)から「政次が死ねばあれは死んでしまう、翼が1つでは鳥は飛べぬ」と言われていた直虎は、片方の翼を自ら切り落とした後、その苦しみからどう這い上がり、井伊家をどうやって守っていくのだろうか。

 政次が井伊家の嫡男虎松(寺田心)の身代わりに子供を殺めたことを知った時、彼女は泣きながらその首を1人で埋葬した。それは、死んだ子供を悼むことと同時に、政次が負ってしまった罪とその心情を慮ってのものだったのだろう。「地獄へは俺が行く」と覚悟を決めた彼の重荷を少しでも担おうとした彼女は、彼の死の際に「地獄へ落ちろ」と投げかけながら、自分自身も唯一無二の人間を手にかけたことによる地獄の苦しみを味わうことになるのかもしれない。

 直親、政次をはじめ亡き井伊谷の人々の全ての思いを背負い、それでも彼女は多くの仲間と共に井伊家のために生きていくのだろう。その姿を、その生き様を見届けることができることが、とても楽しみである。

■藤原奈緒
1992年生まれ。大分県在住の書店員。「映画芸術」などに寄稿

■放送情報
『おんな城主 直虎』
[NHK総合]毎週日曜20:00〜20:45
[NHK BSプレミアム]毎週日曜18:00〜18:45
作:森下佳子
主演:柴咲コウ
制作統括:岡本幸江
プロデューサー:松川博敬
演出:渡辺一貴、福井充広、藤並英樹
公式サイト:http://www.nhk.or.jp/naotora/
写真提供=NHK

関連記事