菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 第1回(前編)

菊地成孔が読み解く、カンヌ監督賞受賞作『黒衣の刺客』の“アンチポップ”な魅力

「久しぶりにこれだけ黒澤明監督の影響を受けた映画を観た」

 ストーリーの進行もゆっくりなら、製作期間も長く、5年の歳月を費やしています。妻夫木聡さんが「台湾の有名映画監督の作品に出演します」と語ってからずいぶん時間が経った印象で、やっと公開されたと思ったら、セリフがほとんどなかった。しかも、日本で公開されたのは「日本オリジナル・ディレクターズカット」であり、海外版では妻夫木さんの出番はもっと少ないし、忽那汐里さんは出演すらしていない。いずれにしても、彼らが大活躍することはないので、そこをお楽しみにしているファンの方はガッカリするかもしれません。

 しかし、妻夫木さんは非常にいい役を演じている。中国人同士の血なまぐさいお家騒動に紛れ込んだ遣唐使の役で、冷徹なアサシンの心を溶かす。かなりの“天使役”で、ストーリーの鍵は握っています。中国を舞台にしたチャンバラ映画でありながら遣唐使である日本人を天使役にするということは、やっぱり台湾映画だからできたのかなと思いますね。
 
 いずれにしても、パンフレットを読んでも彼が演じる「鏡磨きの青年」がどんな過去を持ち、この話に登場する人物か劇場パンフレット以外にはまったく書かれていません(笑)。というか、全体的に説明が省かれた映画で、ストーリーは非常にシンプルであるものの、そうとう分かりにくい。馴染みのない固有名詞がたくさん出てくるし、遠景の撮影が多くてクローズアップが少ないから、主人公以外の女性の顔がなかなか判別できない。そういう“謎”が深みになっていて、ハリウッド的な、或は香港式のガチガチのエンタメにしない、というのがベーシックなコンセプトだとはいえ、これも辛い方には辛い点でしょう。

 そんなこともあって、それほど多くの観客が入っていない、という話もある。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014年/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)も、アカデミー賞をはじめとする数々の映画賞を受賞しているのに、それほど興行収入は多くありませんでした。賞と批評と興収はまあ、そもそも100%の関係ではない、とはいえ、観客は、『セッション』(2014年/デミアン・チャゼル)に代表される毒々しかったり、萌え記号や刺激が強かったりする映画が観たい気分なんじゃないでしょうか。バブル末期で、かなりの前衛もお洒落なら喰える、という時代ですら前述の『楽園の瑕』はノーを喰らった。『黒衣の刺客』は、カンヌで念願の監督賞受賞しかし観客をガツガツ呼び込むには格調が高すぎた。まあ時代ですよね。

 あとびっくりなのは「最近、ここまで黒澤明リスペクトな映画見てねえよ!!」というぐらいのリスペクトっぷりで、まあ、ホウ・シャオシェンはもう68歳で、この時代にここまで分かりやすい黒澤オマージュをするのは彼くらいの年齢でしかありえないのかも知れません。冒頭にある様に、これは本人がはっきりと発言している訳だから、言行一致な訳ですが、殺陣が『七人の侍』(1954年)の宮口精二さんの動きなんですよね。最小限の動きで、相手の攻撃をギリギリで躱す。ちなみに、宮口さんは黒澤監督に「殺陣なんてやった事ないから出来ない」と言って、黒澤に「僕の言うとおりに動いてくれればそれでいいので」と言われて、そのとおりに演じたところ、剣術の達人の様にしか見えない、あの演技が出来た。という有名な逸話があります。『黒衣の刺客』の切りあいのシーン――特に傾斜がかかった白樺並木で戦うシーンの激しく、かつ最小限のムーブしかしないミニマリズムは、『七人の侍』宮口さんが2人いて、鏡面で戦っている様な感じです。あと、女主人公の父親が、もう千秋実さんにしか見えない(笑)。

 他にも『蜘蛛巣城』(1957年)で三船敏郎が実際に矢を撃たれた有名なシーンと、そうとう似たシーンもあり、「これ、日本まで来て、同じ城で撮ってないか?」というぐらいでした。何れにせよ、久しぶりにこれだけ黒澤明監督の影響を受けた映画を観たな、という感じ。宴会の群舞や、男性主人公の顔つき等も『隠し砦の三悪人』や『乱』を否が応でも想起させ、僕よりも映画に詳しい方が観たら、他にも多くの場面で同じことを感じると思います。

 映画の引用問題は音楽におけるリスペクト/パクリ問題と似ていて、受け手のリテラシーによって見方がかわり、またどのネタを使うかというところで、制作者のセンスが問われるところ。本作については、黒澤映画の影響を堂々と見せ、それがまったくみっともなくない。リスペクトの良例だと思います。

 さらに、本作は音楽が素晴らしく、カンヌ映画祭でも「最優秀映画サントラ賞」を受賞しています。私は不勉強で知らなかったんですが、音楽を担当したリン・チャン(林強)は台湾のロックシンガーで、日本でいうところの矢沢永吉さんのような人だそう。ただ、実際に彼が作った曲というのはごく一部で、それぞれの場面ではその国の民族音楽が使用されていました。日本を舞台にしたシーン、忽那汐里さんが巫女として踊るところでは、篳篥などを含めた、本格的な雅楽が演奏され、中国の国内でも田舎だ宮廷だ、宴席用だ、農作業用だと場面に応じて音楽を変えているのですが、衣装やセット、台詞等と同様に、音楽も時代考証ががしっかりとしており、本当に息を呑むような素晴しさです。坂本龍一さんが『ラスト・エンペラー』の音楽で中国楽器を使ったように、エキゾチックな雰囲気の曲をつくるのも、いわゆる“カンヌ対策“ということになるかもしれません。

 ただ、これがリン・チャン氏の仕事かどうかは判然としません。たまに流れる、プログレ的なシンセの曲があるんですが、「あ、コレだけじゃないかな」と思ったりまします。というのは、絵に演奏シーンがある様なものではない、純然たるアンダースコア(劇伴)がこの曲だけだからなんですが。

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