忌野清志郎はなぜ若い世代にも影響を与え続けているのか? jo0jiが明かす、幼少期からの影響
映画『愛し合ってるかい? 忌野清志郎が教えてくれた』の公開に伴い、リットーミュージックから関連書籍が続々と刊行された。 刊行されたのは『映画『愛し合ってるかい? 忌野清志郎が教えてくれた』オフィシャル・ブック』、『忌野清志郎 公式データブック』、そして、『歌詞(うた)の本棚 世界中の人に自慢したいよ』(歌詞:忌野清志郎、絵:百世)など。さらに写真家・操上和美による忌野清志郎のポートレート写真を使用したTシャツなども販売されている。
リアルサウンドでは、幼少期から忌野清志郎の音楽に触れ、影響を受けていることを公言しているシンガーソングライター・jo0jiにインタビュー。清志郎に対する思いや関連書籍の魅力について語ってもらった。
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いつも近くに忌野清志郎がいます
jo0ji:そうなんですよ。うれしかったです。
——『映画『愛し合ってるかい? 忌野清志郎が教えてくれた』オフィシャル・ブック』にもjo0jiさんのコメントが掲載されていて。「僕が年長のときに故郷の米子に清志郎さんが来たんです。『GOD』のときのツアーでした。」とありますね。
jo0ji:2005年だと思うんですけど、親に連れていってもらって。会場は米子市公会堂で、それが最初で最後の清志郎さんのライブでした。アルバム『KING』のツアー(2003年)はお父さんと姉ちゃんが2人で行ったみたいなんですけど、『GOD』のツアーは家族みんなで行きました。僕は海の近くで育って、そこからあまり出たことがなかったんですけど、2005年のライブは今もすごく覚えてるんですよ。ステージにスクリーンがあって、チャリに乗って会場に来る清志郎さんの映像が映って。そのまま舞台袖まで来て、ビャッ!とステージに登場して「清志郎だ!」って(笑)。でっかいバルーンが飛んできたのも楽しかったです。
——本当にしっかり記憶に残ってるんですね!
jo0ji:はい(笑)。家や車のなかでもずっと清志郎さんの曲が流れてたんですよ。父親が清志郎さんのファンで、漁師仲間と飲んでるとき、いつもレコードをかけてて。RCサクセションの『PLEASE』(1980年)とか『BLUE』(1981年)のジャケットは物心つく前から目にしてたと思います。海が荒れると仕事が休みになるんですけど、そういうときに四国や大阪までドライブすることがあって。そのときもずっと聴いてましたね、車の中で。子どものときにいちばん好きだったのは『GOD』(2005年)ですね。自分が作る曲にもかなり色濃く影響を与えているアルバムだと思います。
——「JUMP」が入ってるアルバムですね。
jo0ji:そうです。僕の「条司」という曲は、『GOD』に入ってる「愛と平和」の空気感をイメージしながら作っていたんです。「条司」はトヨタのカローラのCM曲だったんですけど、その曲を作っている時に、小さい頃、瀬戸大橋を車で渡ってるときのことを思い出したりもしてました。
——子供のときの記憶と清志郎さんの曲が結びついているんですね。jo0jiさんにとって、清志郎さんの魅力とは?
jo0ji:歌詞とかボーカルとかいろいろあると思うんですけど、すごいカリスマでスーパースターでありながら、親しみやすい雰囲気があるんですよね。歌もそうで、こちらに向かって語りかけてくれてる感じがあって。説教ではなくて、同じ目線で諭してくれるというのかな。あとはやっぱり声ですよね。清志郎さんの歌声は“忌野清志郎という楽器”だと思うし、どんな曲でもあの声があれば清志郎さんの音楽になるんだろうなと。
——ピッチも正確だし、日本語の歌詞がはっきり聞き取れて。
jo0ji:ソウルフルな曲も多いですけど、そこにめちゃくちゃ的確な日本語を当ててるんですよね。日本語で歌う意味がちゃんとある音楽だと思うし、「この言葉以外はない」というところまで考え抜いてたんだろうなと。自分で曲を作るようになってから、そのことをさらに強く感じるようになりました。それが自分のなかで一つの指標になっているというのかな。「自分らしい曲にするために、どんな言葉がふさわしいだろう」と考えてるときは、いつも近くに忌野清志郎さんがいます。
いろんな人に清志郎のDNAが受け継がれている
jo0ji:小さい頃から曲はずっと聴いてたんですけど、どの作品がどんなタイミングに出ていて、そのときの清志郎さんがどうだったのかは、あまりわかってなかったんですよ。映画を観て、「この頃ってこんな感じだったのか」と知ったこともけっこうあって。いちばんビックリしたのはRCサクセションの『シングル・マン』がリリースされた頃のエピソードで。「スローバラード」が入ってるアルバムなんですけど、当時はまったく売れなくて、すぐに廃盤になったっていう。「え、あの名盤が?」という感じじゃないですか。
——本当にそうですよね。1980年に再発されたとき、レコードの帯に「こんな素晴らしいレコードを廃盤にしていて申しわけありません。」と書かれていたこともよく知られていて。
jo0ji:「わかってもらえるさ」(1976年)のライブ映像も初めて観ましたけど、すごく虚ろな目で歌ってて。あの曲は中学、高校の頃にずっと聴いてたんですよ。仲のいい友達はいたんですけど、周りから浮いていたところもあったし、自分が好きなものを分かり合えることはあまりなくて。そういうときに「わかってもらえるさ」を聴いて、「いつか気が合う人と知り合えるのかな」なんて思ったし、救われたところがあったんですよね。僕は勝手に売れた後に作った曲だと思ってたんですけど、当時の清志郎さんの心境としては「いつか自分たちの音楽を分かってもらえる」という感じだったんだなって。
——いちばん不遇な時代に書いた曲なんですよね。
jo0ji:ビックリしました。これも曲を書き始めてから感じたことなんですけど、どうしてもそのときの自分が出てしまうんですよね、歌詞や曲に。僕も自分をさらけ出して曲を書いているところがあるし、清志郎さんにもきつい時期があって、もがき苦しみながら曲を作っていたことがわかって、「自分のやり方は間違ってない」と思えましたね。
——世の中的な大ヒット曲があるわけじゃないし、実は売れていた時期は少しだけなんですよね。
jo0ji:それが逆にすごいというか、みんなが知ってる曲がたくさんあるわけではないのに、後世への影響力はめちゃくちゃ強いじゃないですか。いろんな人に清志郎さんのDNAが受け継がれているし、やっぱり偉大だなと。僕もそうだし、もっと下の世代にも影響を受けている人がいるだろうし。「SWEET LOVER SOULS」に参加できたこともうれしかったです。小さい頃にライブを観たことがあるといっても、亡くなったのは10才くらいのときだし、伝説上の人物みたいな感じもあって。そういう人に間接的に関われたのは自分にとってもすごく大きかったです。
——『映画『愛し合ってるかい? 忌野清志郎が教えてくれた』オフィシャル・ブック』は、ゆかりあるキャスト陣の証言インタビュー、超ロング年表などが掲載されています。
jo0ji:すごく面白かったですね。年表にも「こんなことがあったんだ?」みたいなことがたくさんあって。矢沢永吉さんのライブの前座をやったときに「永ちゃん楽屋でクソしてますんでボクらが代わりにやりまーす」と言ってしまって、矢沢さんのファンの怒りを買ったとか(笑)。(本のページをめくりながら)あ、これもすごかった。「1981年2月27日 静岡市民文化会館で行われたライブにて、清志郎がステージに投げ込まれた成人図書を客席に向かって広げて見せたところ、教育委員会からクレームが入る。そのため「12月に予定されていた静岡でのライブがキャンセルになった」とステージ上から怒りのMC」っていう(笑)。
——そういうエピソードにも事欠かないですよね。言いたいことを言ってしまう方だったと思うので。
jo0ji:そうですよね。僕の「雨酔い」(うすい)という曲で梅津和時さん(SAX)に参加していただいて。それからお会いするたびに「清志郎さんってどんな人だったんですか?」って聞くんですけど、ぜんぜん話が尽きないんですよ。
色褪せてきたら、またいい感じになる
jo0ji:知らない作品もけっこうありましたね。「ライブ映像作品がこんなにたくさんあったんだな」とか、家にあったジャケットを懐かしく眺めたり。『ちんぐろ』(LOVE JETS/2003年)の黒柳徹子さんと一緒に映ってるジャケットとか、面白い発見もいろいろありました。アルバムの制作の背景がわかるのもいいですね。『Memphis』(1992年)は本当にメンフィスで録音したんだなとか。このアルバムに入ってる「世間知らず」もめっちゃ好きなんですよ。「オハラ☆ブレイク'25 A GO GO 愛し合ってるかい」に呼んでいただいたときもこの曲を歌わせてもらって。
——「世間知らず」のどんなところに惹かれているんですか?
jo0ji:また地元の話になるんですけど、親戚に6人くらい男がいて、僕がいちばん年下だったんですよ。漁師家系だからみんなガタイが良くて、マッチョイズムみたいなものが色濃くて。自分はそういうのがあまり好きじゃなかったし、親にボクシングをやれって言われたときも、「いやだ」って無視してたんです。僕だけやせっぽちで、“よろくそ”——米子の方言で“へたれ”みたいな意味なんですけど——って言われてて。そういうときに「世間知らず」を聴いてたんですよね。
——〈世間知らずと笑われ 君は若いよとあしらわれ〉という歌詞もあって。
jo0ji:まさにそういう扱いを受けていたし、「清志郎は俺のことをわかってくれてる」って感じていて。そういう曲が多いんですよ、清志郎さんは。自分のことをわかってくれてると思わせてくれる力がすごくあるなって思いますね。
——「世間知らず」は1970年代に書かれた曲のようですが、『Memphis』のレコーディング時は40才。大人になってからも、こういう気持ちを持ち続けていたのかもしれないですね。
jo0ji:小さい頃の気持ちがずっと残っていたんだと思います。曲を書いたり、歌うときはそこに立ち返っているというか。僕自身も、少年の頃の気持ちを忘れないように曲を書いてるところがあって。以前、ある人に「幼い頃のことを覚えていることが、いい曲を書くことにつながる」みたいなことを言われたことがあって。それこそ年長のときに見た清志郎さんのライブを覚えているのもそうだし、自分にもそういうところがあるのかなと。それも清志郎さんから勝手に受け継いだところかもしれないですね。
jo0ji:ステキな絵本ですよね。アーティストの血筋というか、表現の方向は違うけど、やっぱり親子なんだなと思いました。清志郎さんも絵を描かれてましたけど、親がやってることや好きなことって、否定したくなったりするじゃないですか。もしかしたら百世さんにもそういう時期があったかもしれないけど、今は消しゴムハンコという場所で表現されていて。すごくいいなって思いますね。
jo0ji:ありがとうございます(笑)。いい意味で“グッズ感”がなくてすごくカッコいいし、毎日でも着たいです。色褪せてきたら、またいい感じになるんじゃないかな。
——ちなみにjo0jiさん、東京の清志郎さんのゆかりの地に行ったことはありますか?
jo0ji:まだ行ってないんですよ。東京というか、都会があまり得意じゃなくて、すぐ鳥取に帰っちゃうので。たまらん坂(国立市と国分寺市の境目にある坂道。RCサクセションの楽曲「多摩蘭坂」のモチーフになっている)とか行ってみたいですけどね。それでいうと、野音(日比谷野外音楽堂)のステージで歌えたのは嬉しかったです。
——80年代、RCの野音ライブは夏の風物詩だったので。
jo0ji:それこそ親と一緒に、野音で演奏された「ヒッピーに捧ぐ」の映像をよく観てたんですよ。初めて野音のステージに立ったときは、父親もわざわざ鳥取から観に来て。泣いてたみたいですけど、それも含めてうれしかったですね。
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