源義経=チンギス・ハン説を利用した陰謀とは? 博覧強記の作家・東郷隆が描く“隕石伝奇”が凄い
「博覧強記」という四字熟語がある。さまざまな書物を読み、そこから得た知識をしっかりと記憶していること、あるいは知識が豊富なことを意味する。そして私が、現役の日本の作家で「博覧強記の人」と思っているのが東郷隆だ。
ある程度以上の年齢の人なら、大阪商工会議所秘密会所所属の殺人許可証を持つ丁稚を主人公にした「定吉七番」シリーズを覚えているかもしれない。ミリタリーファンならば、T-55型戦車を主役にした「ヘルガ」シリーズを覚えているかもしれない。歴史時代小説のファンならば、膨大な作品を楽しんできたことだろう。実にバラエティに富んだエンターテインメント作品を書き続けている、博覧強記の作家なのだ。
そんな著者が近年、深い関心を寄せているのが“隕石”である。2024年に刊行された『異端考古学者 向井幸助 1994年の事件簿』は、30数年前の日本が舞台だが、物語の発端は西暦238年。この年、中国東北部に落ちた隕石により燕王・公孫淵が滅びる。魏の司馬懿仲達は隕石の魔力を恐れて倭国に送ったものの、やがて行方不明となり長き歳月が過ぎた。「遼河隕石」と呼ばれるその隕石をめぐる騒動に、考古学者の向井幸助が巻き込まれていくという、とんでもない現代伝奇ストーリーであった。
その前作に続き、作者が再び隕石を題材に書き上げたのが本書『龍石流転 廃帝溥儀の秘宝』である。時代は1931年から翌年にかけての日本と満州だ。『異端考古学者』とつながる部分もあるが、独立した物語として楽しめるため、未読でも特に気にする必要はない。本書を読んで興味を覚えた人は、『異端考古学者』にも手を伸ばすといいだろう。
主人公の速水林太郎は出版社の嘱託で、考古学関係の本を作っていた。まだ若いが、本人も考古学に通じている。ある日、山陽本線の下り列車に乗っていた彼は、軍の臨時列車優先による待機時間を嫌って駅を出て、奇妙な巨石のある生石神社(おうしこじんじゃ)に赴いた。そこで出会ったのが、社会現象学者を名乗る太安近(おおの やすちか)と、その秘書で巫女の家系だという一ノ瀬阿礼(いちのせ あれ)だ。この名から、古事記の編纂をした太安万侶と稗田阿礼を想起する人もいるはずだ。もちろん、それを意識したネーミングである。
巨石の正体を推理したことで太安近に気に入られた林太郎は、ふたりと別れたあと、紀州・田辺で暮らす博覧強記の学者・南方熊楠を訪ねる。そこで熊楠から、以前彼を訪ねた軍人の川田三郎が、大正時代に出版されてベストセラーになった小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』について詳しく話を聞いていったことを知る。
ご存じの人もいるだろうが、作者は南方熊楠を主役にした『名探偵クマグスの冒険』という歴史ミステリを上梓している。ヴィクトリア朝のロンドンに滞在していた熊楠が、奇怪な事件を次々と解決していく面白い作品だ。また、小谷部全一郎の提唱した「奥州で悲劇的な死を迎えた源義経が密かに生き延び、大陸の覇者・チンギス・ハンになった」という説は、現代では完全に否定されている。しかしフィクションの題材としての魅力は大きく、小説やマンガで繰り返し使われてきた。
さて、その説を川田三郎はどう利用しようとしたのか。奉天特務機関長・土肥原賢二大佐の下で働く陸軍中尉の彼は、清国の廃帝である愛新覚羅溥儀と会見し、気に入られる。だが彼には、とんでもない目的があった。満洲を国家にして溥儀をトップに据えようとする動きの中で、「義経=成吉思汗説」を使って建国神話を捏造しようとするのだ。さらに関東軍作戦主任参謀の石原莞爾もかかわり、溥儀の所持する「龍石(隕石)」も利用しようとする。そして紆余曲折を経て安近たちと大陸に渡った林太郎は、この陰謀に巻き込まれていくのである。
本書は読者に、ある程度の歴史や民俗学の知識を最初から求めている。だが、何も知らなくても気にせず読めばいい。今なら分からない単語があっても、ネットで検索すればすぐに出てくる。溥儀をはじめとする実在人物(脇役で甘粕正彦も登場)や、当時の関東軍の動きなど、知れば知るほど面白さが増していくはずだ。さらに、ちょっとした描写にも時代考証が行き届いている。いったいどれだけの知識があればこんな文章が書けるというのか。作者の博覧強記には驚くしかない。
しかも「国家権力が、いかにして歴史を圧殺し、捏造するのか」が、起伏に富んだストーリーの中で見事表現されている。作者は川田三郎を単なる悪人ではなく、龍石に憧れる“夢追い人”として活写している。なんとも憎めない人物だからこそ、彼の目的の罪深さが際立つようになっているのである。
言うまでもなく、歴史の圧殺や捏造は現代でも世界各地で行われている。隕石伝奇ともいうべき本書のテーマは、人間の歴史が続く限り強く訴えかける力を持つだろう。そこにこそ、本書の魅力と価値があるのだ。