「武器はとにかく文筆」革命家・外山恒一、名文家としての顔ーー赤川次郎から糸井重里まで、大いに語る

■糸井重里に期待すること

ーーなるほど。一方で、『全共闘以降』にも書かれていましたが、かつて中核派に属していた糸井重里のように、政治活動からの離脱という立場を貫いている人もいます。

外山:〝正しさ〟の追求の末に内ゲバだの連合赤軍事件だのが発生し、さらにその先には、つまりそんなことやってる連中がもし〝勝利〟してしまった場合には、彼ら自身が批判していたはずの〝スターリン主義〟、左翼イデオロギーに基づいた恐怖政治の体制が生まれるに決まっているという論理的脈絡も見えてしまうわけです。糸井は、内ゲバの主要な担い手であった中核派での体験を振り返って、やがて〝正しい〟ということそれ自体を疑い始めるんですね。

  それで〝正しさ〟ではなく楽しさや面白さ、カッコよさを追求する方向に行く。糸井だけでなく、新人類世代の文化人たちも含めて、80年前後のサブカルチャー隆盛を牽引した人たちの問題意識はそういうものであったはずで、その結果としての〝政治忌避〟だったんです。

 ところがその後、彼らの多くは、湾岸戦争とか9・11とか3・11とかを契機に政治回帰していく。かつて自分たちがなぜ政治を忌避するようになったのか、その脈絡を忘れたかのような、単に状況に流されただけの転身で、彼らがいったんは否定していたはずの、左翼的で無邪気な〝正しさ〟を振り回し始めるという醜態を晒しています。

  そんな中で、政治を忌避しはじめた時の初心を忘れず、引き続き没政治的、というより反政治的にふるまい続けている糸井重里や、あるいは中森明夫といったごく少数の人たちはむしろ立派だと僕は思ってますよ。本当は糸井のような、〝政治の否定〟という先鋭的な問題意識をくぐり抜けた人たちこそが、その問題意識を手放さずに政治的な実践に再度踏み出すことを僕は望んでるんですけど、多くの〝元〟サブカル連中のように凡庸な左翼運動に先祖返りしてしまうよりは、引き続き〝政治忌避〟を貫くほうがずっとマシでしょう。

ーー他方、外山さん自身はセンスや文化の領域に埋没せず、政治に踏みとどまっているように見える。それはなぜでしょうか。

外山:糸井重里や中森明夫とは世代が違いますからね。僕は、政治を忌避することこそが最もラジカルに政治的だった時期が過ぎ去って以降に思春期・青春期を迎えた最初の世代に属します。魅力的な政治運動がすでに消滅しており、したがって政治経験の継承もなく、ほとんどゼロから政治的な模索を始めるしかありませんでした。

  その試行錯誤の過程で、やっぱり政治的な運動の負の側面を自らのものとして経験したりもします。しかしまあ、先行世代と違って、負の側面といっても人が大勢死ぬほどの悲惨ではなかったので、いやなことをいろいろ経験しつつも、サブカルチャーやアカデミズムの世界に避難する必要もなく、現場に踏みとどまりながら、そうした負の側面について考え続けることもできた。結果的には僕は糸井重里と同じような問題意識になり、〝正しさ〟ではなく〝楽しさ〟を志向する政治運動を追求してみたりして、〝正しい〟人たちからさんざん誹謗中傷を受けてきたとはいえ、襲撃されるとかってことはほとんどありませんでしたからね。そこらへんは世代的にラッキーだったのかもしれません。

■活動家としての引退を考えていた

外山氏のリングノート。気になる人物をはじめ出版社に持ち込む企画書を常に持ち歩いている

ーーこの先、どんなものを書きたいと考えていますか。構想があれば教えてください。

外山:この10年間ほど僕は「教養強化合宿」というのを頻繁にやっています。9泊10日の合宿形式で、左右の政治運動史や政治思想史、あるいは前衛芸術史やアングラ文化運動史を、20歳前後の若者たちに完全無料で〝詰め込み教育〟するという奇特なことをやって、善行を積んでいるところです。

  つい先日の、3月後半の第34回合宿で、出身者は400人を突破しました。今後もしばらくはこの〝後進の育成〟が僕の活動のメインになっていくと思います。

 実は昨日も松本哉と、「我々ももう50代だし、現場は引退だよね」、「うん、あとは若い者に任せて……」とオッサンらしい会話をしてました。コロナ状況下では、陰謀論的なものはともかく、ミシェル・フーコー的な〝生権力批判〟の文脈での反自粛運動を誰もやらないもんだから、仕方なく僕がちょっと暴れましたけど、実はコロナ騒動が始まるちょっと前ぐらいの時点で、僕は現場の活動家としてはもう引退したつもりでいたんですよ。

  あとは後進の育成をしながら、いっぽうで彼ら後進の若者たちのためにも書き残しておかなければいけないことが山積みになってもいるし、そういったことに活動の軸足を移していこう、と。コロナ騒動みたいに唐突に降ってわいたような事態に際しては、〝来た球を打つ〟的な実践に踏み出すことが今後もあるかもしれませんけど、基本的には僕はもうそういうスタンスです。

  合宿で10日間ずっと喋り続ける内容も、30回以上もやってればだいたいルーティン化してますから、それを脳内テープ起こし的に書き起こすこともできるんで、もういつ死んでもいいように、実際その「教養強化合宿・完全実況」という文章を書き進めていて、それらをnoteで少しずつ有料で売ってたりもします。

 僕にしては珍しく、現実政治に関する建設的な提案として掲げている「中華主義」についても一度ちゃんとまとまったものを書きたいですし、他にも企画はたくさん持っているので、それらを一つずつ具体的な形にしていければと思っています。

外山氏は、後進の指導と執筆活動はこれからも続けていくという。文筆家としての活動について、今後も期待したい

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