『ドラゴンボール』 孫悟空が愛用した亀仙流の道着、「亀」マークはどう変化した?
鳥山明の漫画『ドラゴンボール』のシンボルといえば、孫悟空やクリリン、ヤムチャなどが着用している亀仙流の道着だろう。厳しい修行を経て、初めて天下一武道会に出場した悟空とクリリンに亀仙人が贈ったものである。胸と背中の部分に「亀」のマークがあり、まさに亀仙人の弟子であることを象徴している。ちなみに、この道着の色はオレンジではなく“山吹色”なのだそうだ。
【写真】「亀」マークがもちろんある! ドラゴンボールZのアンダーウエア
さて、この道着だが、悟空が着用しているものはたびたびマイナーチェンジが行われている。原作の単行本をもとに、その変遷を見てみよう。
しばらくの間、悟空は素肌の上に道着を着ていた(クリリンも同様)。ところが、神様のもとで修行した悟空が3回目に出場した天下一武道会では、濃紺色のアンダーシャツが追加されている。天津飯との戦いでそのシャツを脱いだが、めちゃくちゃ重い仕様になっていたのだ。シャツを脱いだ悟空は身軽になり、天津飯に勝利を収めた。
なお、重量のあるものを身に着けて修行をする事例は、初期の『ドラゴンボール』で見られた。悟空は亀仙人の初めての修行で、亀の甲羅を背負わされている。しかも修行の後半はさらに重い甲羅を背負わされていた。
話を元に戻すが、次なるマイナーチェンジは悟空が界王様のもとで修行をしたときに贈られた道義である。胸のマークは変化がないが、背中の「亀」の文字が「界王」をかたどった、ちょっとオシャレなものになっている。
ちなみに、界王様曰く、素晴らしく丈夫な布で作っているそうで、少しの攻撃なら跳ね返してしまうというお墨付きの道着であったが、あっけなくベジータとの戦いで攻撃を受けて破れてしまった。そして、悟空が自ら道着を破り捨ててとしまった。界王様のプレゼントはあっけなくボロボロになってしまった。悲運な一着であったといえる。
さて、その後、ナメック星に向かう悟空は宇宙船の中で修行を重ねる。到着直前に着た道着は界王様から贈られたもので、胸と背中に「悟」の文字があしらわれている。これは歴史的な変化といえる。さきの「界王」のマークの道着も、右胸のマークは「亀」のままだったからだ。これは悟空が厳しい修行を重ね、自立した証しといえるかもしれない。
時間は流れ、悟空が人造人間編以降の闘いで身に着けていた道着は、胸にも背中にも何の文字もなくなった。帯も結び目がなくなり、胸の切込みも深くなるなど、よりスタイリッシュで洗練されたものに変化している。とはいえ、山吹色の道着に濃紺色のアンダーシャツという基本的なデザインは踏襲された。これは、悟空がずっと亀仙人をリスペクトし続けていたことも証しといえるのではないだろうか。
魔人ブウを倒してからは道着が完全に別物に変わってしまったものの、亀仙流の道着は初めての天下一武道会から魔人ブウ編まで、実に長期間にわたって愛用された。最近はコスプレ衣装としても発売されているようだし、『ドラゴンボール』を代表するファッションアイテムと言っていい。
ちなみに、悟空の息子・孫悟飯はピッコロに修行をつけてもらっているときに「魔」のマークの道着を着たり、未来の世界では「飯」マークの道着を使用している。こういった細かい設定が楽しめるのも『ドラゴンボール』の醍醐味といえるのではないだろうか。