w.o.d.『RE:PLAY』ツアーファイナルで体感した“衝撃” 到達点を塗り替える圧巻の100分、音楽で共鳴した切実な祈り
ひたすら圧倒された。約100分にわたり繰り出され続けた3ピースの爆音。生々しくて、切実で、脳天貫くほどに鋭利で、アグレッシブで、それでいて美しくて、優しくて、どこまでもドラマティックだった。
10月8日、w.o.d.の『ONE-MAN TOUR 2026 “RE:PLAY”』ファイナル、Zepp DiverCity (TOKYO)公演。ズラリと形容詞を並べてみたが、どれだけ言葉を尽くしてもこのライブの感動を言い表すには物足りない。真にかっこいいロックバンドのライブとは、きっと言葉の届かない場所にあるものなのだろう。だからライブが終わった後、身体にぶっ刺さった衝撃をできるだけ丁寧に抽出し、今一度向き合って考えてみた。衝撃とは、どうやらそのバンドを初めて観た時だけに感じるものではないらしい。今のw.o.d.は、自分たちが生み出してきた衝撃を更新していけるバンドになりつつあるのかもしれない。
“更新”と書いたが、ライブを観に行く道中、4年前に同じZepp DiverCity (TOKYO)で観た『w.o.d. ONE MAN TOUR “バック・トゥー・ザ・フューチャーIV”』ファイナルのことをしばらく思い出していた。初のライブアルバムとして、後に全曲丸ごとリリースされた本公演は、本当にすごかった。4thアルバム『感情』に至るまで、リリースを重ねるたびに演奏のキレや音像のクオリティ、ルーツを昇華したソングライティングにどんどん磨きをかけていき、“剥き出しの音で魅せる3ピースのロックバンド”としてw.o.d.が刻んだ1つの到達点。それを示したのが、4年前のZeppワンマンだったように思う。
そこから彼らは様々な変化を遂げてきた。シーケンスを駆使したダンスロック「My Generation」がライブアンセムへと成長したのは最たる例で、そうした方向性も武器にしていきつつ、サイケデリックなミドルナンバーやバラードでもバリエーションが増えていき、音楽性は次第に拡張していった。だが、これは今回の『RE:PLAY』ツアーファイナルを観て改めて実感したことでもあるが、どんなに変化を遂げても、3ピースとしての骨太な演奏が軸にあることは決して揺るがない。いや、むしろその背骨が強靭だからこそ、“らしさ”が一切ブレないままバンドを一段とスケールアップすることができたのである。変化を重ねてきたことへの答え合わせと、元来持っていた鉄壁なアンサンブルのオリジナリティ。今回のツアーファイナルは、その両輪を完全にモノにしたことで、自らの到達点を更新し得るライブになったのではないだろうか。
もう1つ思ったのは、冒頭で綴ったような一見相反する複数の要素が、極めて自然体のまま1つのライブの中に溶け込んでいたこと。すなわち、衝動性やフラストレーションをラウドに爆発させつつも、決して気負いすぎたり自分を誇張しすぎることもなく、“ありのまま”で音楽を鳴らせていたということだ。それは昨年から今年にかけてリリースされた対になるコンセプトのEP『grunge is dead.』『YOU ONLY LIVE ONCE.』をどちらも“w.o.d.らしく”鳴らせていた時点ですでに予感としてあったかもしれないが、本ツアーはその予感を確信に変えてみせた。
というわけで、『RE:PLAY』ツアーファイナルはここまで書き連ねてきたことを喰らいまくるライブだったのだが、とにかくガツンときたのは1曲目だ。「RE:PLAY」。ヒップホップからグランジまでシームレスに駆け抜けていくミクスチャー感と、死から生へ“再生”していくような終盤の鮮やかなメロディ変化。めくるめく焦燥的な展開を1つに凝縮させたこの曲を、今のw.o.d.の最適解として鳴らし切っている姿に一気に引き込まれた。もともと持っていた個性も、積み重ねてきた変化も、時代への文句も、思うように行かない葛藤も、音楽に突き動かされたあの日の衝動も、全部ありのまま携えてかき鳴らす。そして、〈死んでんのか生きてんのか/分からないまままだ死ねない〉というサイトウタクヤ(Vo/Gt)の歌に追随するように、「TOKYO CALLING」「イカロス」が混沌とした時代に唯一確かなこと――“今を生きている”という真実を克明に照らし出していく。
4曲目「RISE」で早くも到達した最初のピーク。だが驚いたのは、その勢いを一切落とすことなく、何度もピークを更新しながらエンディングまで突っ走ってみせたことだ。徐々にピークを迎えるのではない。最初から最後まで、ずっとピークでクライマックス。それでいて背伸び感の全くない、ロックバンドとしてのナチュラルな佇まい。こうなったライブは、そりゃあもう圧巻である。
いくつか、そのピークを書き記しておこう。まずは、来月リリースのニューアルバム『ふれる』からいち早く披露された新曲たち。「アンリ」はグランジ直系のどっしりとしたミドルナンバーだったが、曖昧さを肯定していく風のような面も持つ1曲で、“閉塞と解放”を絶妙にブレンドしたアンサンブルの妙が光る。続く「Feelinʼ」はマッドチェスターをモダンに仕立て上げたような響きを持ち、Ken Mackay(Ba)の波のようにうねるベースライン、中島元良(Dr)の引き締めるようにタイトなドラミング、サイトウのファズの効いたギターの掛け合いが抜群だ。先の「RISE」も緻密に折り重なるアンサンブルに引き込まれたが、「Feelinʼ」は大陸的なデカさよりも、身を委ねたくなるダンサブルで軽快なリズムが気持ちいい。かと思えば、後半に披露された「かるがる」はシンプルに削ぎ落とされたロックンロールで、ふわりと宙に舞い上がったギターメロが、ベースラインと8ビートをエンジンにして果てしなく疾走していくかのよう。これぞロックバンドの専売特許とも言える1曲に、初めて聴くオーディエンスも大いに盛り上がった。
ピークはまだまだある。ダンスフロアを陽気な酒場へ変えつつ、ギターソロが醸し出す高揚感とリズム隊のグルーヴの掛け合いに酔いしれた「Take It Easy」。猪突猛進なリズムにノスタルジックなメロディ、サイトウのシャウトするようなボーカルがライブ前半のハイライトを刻んだ代表曲「1994」。雷鳴のようなギターに自由な生への渇望が滲み出た「NON-FICTION」。静寂の中でKenとサイトウが向き合ったところから始まり、心の叫びを軋んだ爆音に委ねた「サニー」。とりわけ、サイトウによるアニメ『ちいかわ』のエンディングテーマ「ひとりごつ」の弾き語りからなだれ込む形で披露された“別のアニソン”こと「STARS」は最高にかっこよくて痺れた。そして、ソリッドな爆音をZeppに充満させたダンスパンク「踊る阿呆に見る阿呆」から、狂乱のダンスフロアを生み出すアンセム「My Generation」への必殺の流れに至るまで、どんどんとピークが塗り替えられていく様は本当に素晴らしかった。新旧かなり織り交ぜられたセットリストになったが、これぞw.o.d.の王道だと言わんばかりの自信が終始漲っていたように思う。
ラストから2曲目、熱気漂うフロアに意外な1曲が投下された。「2024」、バラードである。まるでディストピアと化した世界に差し込む一筋の光のように、静かで、綺麗で、日々の喧騒で汚れた心が洗われていく。曲中、照明が徐々に落とされていき、真っ暗になった視界にw.o.d.の3人の姿だけが映った。それが、1曲目「RE:PLAY」でも感じた「“今を生きている”という真実」そのものを克明に照らし出した瞬間のように思えて、なんて美しい演出なんだろうと感動した。そうやって灯された光が消えることなく、何光年先へも届くように――そんな祈りとなって響き渡ったラストナンバーは「CAMPANELLA」。これもまた、もう一度音楽の衝動を信じたいと叫ぶ「RE:PLAY」と地続きに聴こえた。“始まりと終わり”が繋がり、まるで1冊の小説が閉じられるかのようなエンディング。音が鳴り止んだ後も、消えない余韻となって胸の奥深くで鳴り続けた。
終盤のMCで、サイトウはコミュニケーションの難しさについて考えながら新しいアルバム『ふれる』を作ったと語った。そして、年々音楽を好きになってきていて、自分にとっては音楽が人と“ふれる”ツールになっている、とも。
世の中便利になっているはずなのに、価値観の分断は加速し、足元を見れば普通に生きること自体が日に日に困難になっていく気がする昨今。やっぱりコミュニケーションって難しい。だが、そんな時代にこそ、言葉だけではなく、音楽を通した繋がりを見つめ直したいし、音楽だから届けられる想いを信じたい。音楽で、自分を“再生=RE:PLAY”したい。そんな純粋な祈りが、叫びが、ありのまま真っ直ぐこちらの手元まで届いてきたのが今回のライブだったのだ。嘘なき今をかき鳴らすw.o.d.の爆音は、同じく今を生きる我々の内なる衝動そのものでもあるのだろう。その共鳴ゆえ、ロックバンドのライブとしてこんなにも圧倒されたのかもしれない。これからもw.o.d.の音楽を聴き続けるが、ふとした時に何度も思い出すライブになるはず。僕らの手に確かに届いた、この夜の衝撃はきっと忘れない。