難波弘之、人との縁で紡がれる音楽家人生 山下達郎や渋谷陽一らとの交流、積み上げた50年の歴史を振り返る

長戸大幸の誘いから始まった1stアルバム『センス・オブ・ワンダー』

ーー1stアルバム『センス・オブ・ワンダー』発売の経緯は?

難波:元GAROの日高富明さんのソロアルバムのレコーディングに参加した時、プロデューサーだった長戸大幸さんと知り合ったんですが、彼からいきなり「ソロアルバム出さない?」って言われたんです。最初は詐欺師かと思ったんですけど、あれよあれよという間にキングで作る話が進みました。僕は10代の頃から、熱心なSFマニアでした。オタクな上に、業界の右も左もわかってない状態。なので、自分の好きなSFの世界を題材にして、好き勝手にアルバムを作ってしまいました。レコーディング中に、さすがの長戸氏にも「何やってるかわかんない」って言われました。それでもアルバムを世に出させてくれたんで、すごい大らかな時代だった。キングレコードの宣伝の人には、いろいろブツブツ言われたりしましたけど(笑)。

ーー実は僕もレコードを持ってまして。手塚治虫さんによるジャケットアートも素晴らしい。

難波:SFマニアでしたから、手塚先生にジャケット描いてもらおう、中島梓さんに解説を書いてもらおう、みたいなことはすぐに思いつくんですよ。ただ、レコード会社がどうプロモーションするか、自分がミュージシャンとしてどう思われるか、を考える頭がない。音楽評論家の人にも、ジャンルがとっちらかってて、何がやりたいのかわからんと言われましたね。

ーーでも1stアルバムを今聴くと、いい意味でのとっ散らかり方が本当に面白いんです。プログレの世界にもSFを題材とした神秘性やスケールの大きなサウンドは結構あると思うんですけど、あのアルバムは中身の濃い短編集みたいなんです。曲名がSF小説へのオマージュになっていて、原作の世界を音に置き換えている。

難波:でも「都市と星」なんて、それこそもっとテクノサウンドになるかと思いきや、ケルトっぽいサウンドにしちゃったりとか、「鋼鉄都市」はミステリーだから、ちょっとブルースでジャジーな感じにしようとかね。「ソラリスの陽のもとに」は現代音楽みたいな曲を書いてもらうとかね、結局僕はオタクだからそういう勝手な妄想になるんです(笑)。

ーー難波さんご自身はキーボーディストとしてプロになったわけですが、その頃からアレンジャーやプロデューサーも含めた、総合的なミュージシャンになりたいと考えていらしたんですか?

難波:いや、基本的にはやっぱり僕、キーボードプレイヤーですよね。アレンジャーとしてもそこそこやってますけど、職業=アレンジャーではない。いちキーボードプレイヤーって感じです。当時は日本ではロックバンドではなかなか食えなかったんで、バイトのようにスタジオの仕事を始めたんですけど、80年代にはそっちが忙しくなっちゃって。だから、自分でアレンジするよりは、誰かにキーボードで呼ばれる方が多かったですよね。

 ただ、70年代終わりの頃のスタジオでの制作には、リズムアレンジっていう概念があんまりまだなかった。アレンジャーという存在は、ストリングスとかブラスの譜面が書ければなれるもの。やっぱり歌謡曲の時代だったから。リズムをアレンジするって概念は80年代からかな。スタジオに行くと、ドラムやベースのパターンは書いてないことが多かったし、ひどい時は、「達郎さんの『Sparkle』みたいにやって」と指示があったりね(笑)。それがあらたまったのは、筒美(京平)先生や萩田(光雄)先生が、ちゃんとスコアにリズムのパターンも書きだしてからですかね。そういう意味で、日本で最初にそれをやり始めたのは達郎かな。彼はやっぱオタクだから。どこそこのソウルはハイハットの音が聴こえない、みたいなオタク的分析から始まってるし、ポリリズムを取り入れたオケを作る元祖でもあった。

山下達郎からの影響、渋谷陽一との交流

ーー達郎さんのスタジオの現場は、70年代からすごく緻密だったんですか。

難波:日本の曲ってイントロのパターンがあっても、Aメロに入るとそれが崩れる曲が多い。歌謡曲ではAメロで歌が始まると、オケのレベルが下がったり、音数が減ったりとかするんです。でも、達郎の場合はそこを崩さない。例えば吉田美奈子もそうなんだけど、バンドがAメロで音量を下げると「下げないで。なんでそこで下がるの?」ってなる。「Aメロでパターンを変えるからダサくなるんだ」っていう感じでした。日本の歌謡曲とは違う作り方を始めたのは、やっぱり山下達郎や吉田美奈子が元祖でしたね。

ーーそれを間近に見ていた難波さんは、当然そこから影響を受けた。

難波:受けましたよ、すごく。レニー・クラヴィッツがプロデュースしたヴァネッサ・パラディが流行った90年代初めの頃に、ロックミュージシャンがちょっとフレンチポップな曲を書いた録音に呼ばれたんですけど、やっぱりAメロに入ったところでグルーヴが変わっちゃうんですよ。「ここで変えるとレニー・クラヴィッツにならないんだけど」って言ったら、「いや、これでいいんだよ」って向こうは言う。やっぱり日本の伝統なんだなって思いました。なんであの時ヴァネッサ・パラディがかっこよくなったか、わかってない人が多かった気がしますね。

ーーそういうお話をお聞きしてると、今回の2枚のベスト盤でのシティポップ的な選曲でもイントロと歌の関係とか確認したくなってしまいます。

難波:でもね、結局ね、お里が知れるといいますかね、シティポップ的な曲は数曲しかない。他の曲は、どんどん怪しくなります(笑)。80年代によく言われたのが、プログレのマニアからはポップすぎると言われ、ポップスファンの人からはプログレすぎて聴きにくいと言われ(笑)。

ーーでも、ご自身としてはどっちかじゃなくちゃいけないって決めるほうがおかしい、みたいな?

難波:まあ、そうですね。仲が良かった渋谷陽一に「ポップな曲書いたよ」って当時のニューアルバム『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(82年)を聴かせたら、「なんだよあれは。全然ポップじゃねえよ。頭から変拍子だしよ」って言われました。でも、その非難は、もう僕に対するお褒めの言葉だと思ってありがたく浴びましたけど(笑)。

ーーそういえば、80年代によく渋谷さんのラジオ番組を聴いていたんですが、難波さんがたびたび出演されていて。ミュージシャンとしての演奏よりも、ラジオで声を聴いたのが最初だった記憶があるんです。渋谷さんがお亡くなりになった時、難波さんもコメントを出されていたのが印象に残ってます。

難波:同じ時間にNHKとFM東京でお互いに番組をやってたんですよ。面白いから同じ日にゲストを交換しようって言って、僕が彼の番組に出て、彼が僕の番組に出たことがありました。彼は口が悪いんですけど、やっぱり基本的にはすごくマニアックなところが似てたんですかね(笑)。渋谷のeggmanで2人だけのトークショーをやったこともありました。

ーー今回、2枚のソロアルバムを通じて、難波さんのヒストリーをすごく興味深く感じたんですけど、夢の世界としてのリクエストとしては、難波さんのアレンジやキーボードの名演が聴ける他人の曲を集めたコンピレーションもあってほしいです。

難波:実はこれを弾いています、みたいなやつですよね。「悲しい色やね」(上田正樹)とか、「やっぱ好きやねん」(やしきたかじん)とか。

ーーかつてのアメリカのライノ・レコードみたいなオタクな会社がやりそうな企画ですけど(笑)。でも、今回はシンガーとしての難波弘之の魅力も堪能できます。

難波:いやいや、お恥ずかしい(笑)。1stの時は、まだ歌なんか歌ったことないから、ゲストボーカルで逃げ切ろうと思ってたんですよ。そしたらディレクターから「自分のアルバムなんだから、何曲かは自分で歌いなさい」と言われ、美奈子や達郎が見ている前で歌わされる、という恐ろしいことになりました。

ーーのちに達郎さんがセルフカバーもした「夏への扉」は最高じゃないですか。

難波:あの歌入れはね、本当にね、心臓が縮み上がるような体験でした(笑)。

ーーこうして自分にフォーカスした作品集が出ると、やはり歌も含めて、キーボードやアレンジでの自分らしさは意識されますか?

難波:例えば達郎のバンドでは、今はどういうサウンドにやったらいいかはよくわかってるつもりなんだけど、やっぱりごまかしながらいろいろ遊びますよね。本当に達郎が許さない場合は「うるせえな!」って振り向いて言うからわかりやすい(笑)。そう言われない限りは大丈夫なんで。若い頃はよく「余計なことやるんじゃねえよ!」って怒られましたけど。

ーー今回はCDでの発売ですが、せっかくなのでレコードにもなってほしいです。シティポップを支えていた影の偉人のアンソロジーとして、海外からの需要もありそうです。

難波:いやいやいや。レコードを出すほど売れてはおりませんけどね。でも、自分たちが知らない間に間宮貴子がレコードで再発されていたり、海外のコンピレーションのアルバムに自分の曲が入っていたりね。そういうのはこっそり買いに行ってます(笑)。

ーーそういえば、間宮さんはアルバム1枚きりで引退されて、今も謎が多いんですよね。

難波: 記憶が曖昧なんですけど、結婚するという話を電話でしたような。

ーー間宮さんの歌の魅力はもちろん、難波さんたちの演奏が素晴らしい。

難波: つくづく当時のスタジオミュージシャンってうまかったんです。あれが当たり前だと思ってたから。僕の「夏への扉」の田中(章弘)くんのベースや椎名(和夫)くんのギター、ユカリ(上原裕)のドラムとか、うまくてびっくりしますよね。当時は周りにああいう人ばっかりいたから、ありがたみがあんまりよくわかんなかったですね。今、ハイレゾとか、いい音で聴くとびっくりしますよ。じじくさい演奏だな、って(笑)。

ーーいやいや。じじくさいだなんて(笑)。

難波:みんなあの頃まだ20歳そこそこなんですよ。でも、すごくベテランの人みたいに聴こえる。僕自身、一番最初にバックスバニーでやった演奏が一番渋い。で、齢を取っていくにつれ、逆に若くなっていくみたいな感覚がある。若い頃は、いかにみんな背伸びして渋い音楽を目指してたかってことですよね。

ーーでも、時代を経てきたからこそ暖かい目でも見れる。

難波:若気の至りで笑っちゃうところもありますけどね。まあ、最近の売れてる子たちのバンドや、芸大系のバンドは面白いですよ。明らかに意図してかつてのシティポップをやソウルミュージックを目指してやってる。演奏もうまい。

ーー最近のリバイバルを説明する言葉として「バーチャル・ノスタルジー」というのがあります。80年代には生まれてないけど、あの時代の都市やカルチャーを懐かしく感じるという、ちょっとSF的な感覚。長くキャリアを続けてこられたからこそ、難波さんもその登場人物になっている気がします。

難波:ありますよね。僕、The HITS!?っていうオルガントリオで、レッチリ(Red Hot Chili Peppers)のカバー集『Hot Chili』を2011年に出したんです。その頃は若い子と対バンしたくて、ライブハウスにやたら出たりしてたんですが、新宿ロフトのイベントにに出ていためちゃくちゃかっこいい女の子バンドの子たちが、演奏後に物販に来てくれて。「どんなバンド好きなの?」って聞いたら、「村八分」っていうんですよ! 「俺、ユカリとか友達だよ」って答えたら、「ユカリさん、知ってますよ。シュガーベイブにもいましたよね」って言うんです。20歳くらいの子が(笑)。そういうことをネット上で知ったりするのは面白い時代になったなと思いますね。ちなみに、さすがに村八分のアルバムは持ってないって言ってました(笑)。

■リリース情報
難波弘之『シルバーグレイの街 〜 難波弘之アンソロジー』
MHCL-31282 / ¥3,300(税込)
2026年リマスター / セルフライナーノーツ掲載 / Blu-specCD2仕様
購入:https://lgp.lnk.to/YMJqsV

シルバーグレイの街 ~ 難波弘之アンソロジー 試聴動画

難波弘之『夏への扉 〜 難波弘之アンソロジー』
KICS-4266 / ¥3,300(税込)
2026年リマスター / セルフライナーノーツ掲載
購入:https://king-records.lnk.to/hiroyuki_namba

難波弘之『夏への扉 ~ 難波弘之アンソロジー』試聴動画

特設ページ:https://www.110107.com/s/oto/page/namba_anthology

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