アリアナ・グランデ、最新作『petal』に至る“痛み”と向き合い続けた歩み 稀代のポップスターが歌声で引いた境界線
アリアナ・グランデは長いあいだ、痛みを別の表情へと変えるポップスターだった。
2017年、マンチェスター公演で起きた爆破事件。翌年に発表された4作目のアルバム『Sweetener』は、巨大な悲劇を背負いながらも、マックス・マーティンやファレル・ウィリアムスによる弾むビートの上で声を幾重にも重ね、悲しみや不安の隣に官能とユーモアを置いてみせた。『Sweetener』というタイトルは、その後の彼女をあまりにも正確に言い当てている。苦いものを甘くすること。消すのではなく、口に含めるものへ変えるということ。
2019年の5作目『thank u, next』では、その変換のスピードがさらに上がった。かつて交際していたマック・ミラーの死に加え、ピート・デヴィッドソンとの婚約解消、自身を追い続けるメディア。普通なら数年をかけて昇華されるような出来事が、ほとんどリアルタイムで音楽作品になっていく。しかも、そこで鳴っていたのは重苦しい告白ではなく、痛みを軽やかなポップへ変え、ときには自分自身さえ茶化してみせるようなサウンドだった。
そうした振る舞いによって彼女が身につけたのは、傷を、聴き手が受け取れる親密なポップへと変換する技術だ。その才能がひとつの完成を見たのが2020年リリースの6作目、『Positions』である。ストリングスと808、霞んだシンセ、細かく折り重なるハーモニー。『Sweetener』や『thank u, next』にあった外へ向かう力は弱まり、歌はもっと小さな部屋へと入り込んでいった。息を含んだ声や耳元へ寄ってくるような多重録音によって、彼女は声を遠くへ飛ばすのではなく、小さくすることで聴き手との距離を縮めたのだ。
この時期のR&Bは、アリアナにとって単なるひとつのジャンルにとどまらなかった。「あなたにだけ話している」という感覚をつくるための、なくてはならないアプローチだったのだろう。けれども、親密さはときに侵入へと姿を変える。傷を歌い、恋愛を歌い、不安を歌い、そうして距離が縮まるほど、皆が彼女について多くを知った気になっていく。誰と付き合っている? なぜ別れた? 痩せた? 声が変わった? 何を考えている……? ポップスターが差し出した親密さは、やがてオーディエンスの「もっと知りたい」という感情をくすぐっていったのだ。
2024年に発表された7作目『eternal sunshine』は、すでにその問題に触れていた。表面上は離婚や新しい恋愛についての作品だが、「we can't be friends (wait for your love)」をはじめ、恋人へ向けられているはずの言葉が、ファンやメディアへの言葉にも聴こえる瞬間がある。かつて私生活を歌うことは、彼女にとって主導権を取り戻す手段だったはずだ。しかし巨大なスターになればなるほど、自ら語ることもまた新たな解読を呼ぶ。告白すればするほど、次の告白を求められる。アリアナは少しずつ、「語ること」と「自分を差し出すこと」を切り離そうとしていったのだろう。
それを踏まえて聴くと、2024年のサウンドトラック『Wicked: The Soundtrack』は興味深い。グリンダを演じるため、アリアナは従来のポップ歌唱とは異なる発声を長期間訓練した。本人も『Vanity Fair』のインタビューで、「声との関係が永遠に変わった」と語っている。声の置き場所を変え、役柄を宿し、これまでとは異なる質感で歌う経験は、ポップスターとしての彼女にも大きな影響を与えたのではないか。
そして最新作『petal』で、アリアナの声はついに、距離を縮めるものから距離をつくるものへと変わっている。Apple Musicで本人が語っているように、今作の出発点にあったのは、それまでなら少し柔らかく書き直していたという“unfiltered rage=フィルターなしの怒り”だった。実際、歌詞は苛烈だ。元恋人とも、ファンとも、メディアとも取れる相手へ言葉を投げつけ、自らの痛みが音楽となり喝采を浴びることへの違和感までも口にする。
この二重性については、『Pitchfork』のエイミー・クリフも『petal』評のなかで、恋愛における有害な関係と、名声が生み出す有害な関係とを重ねて論じている(※1)。けれども興味深いのは、それほど激しいことを歌いながら、声が奇妙なほど静かなことだ。かつてアリアナを象徴した巨大なベルティングも華麗なランも、前面にはなかなか出てこない。高く薄く何層にも重ねられた声は、しばしばミックスのなかへ溶けていく。その聴こえにくさこそ、この作品においては重要なのではないか。歌えるのに歌い上げないし、怒っているのに叫ばない。アリアナほど「声を聴かせること」で価値を証明してきたスターにとって、これは驚きの変化だ。キャリア初期から「こんなに歌える」という驚きとともに語られてきた彼女が、『petal』では、もっと聴かせてほしいと欲望する耳から半歩退いている。
だからこそ今回、R&B的な滑らかさがやや後退し、ギターやインディーポップ、UKガラージを思わせるリズムが入り込んでくることも、音楽性が広がったという一言では説明できないはずだ。『Positions』までのR&Bが聴き手を自分のすぐ近くまで招き入れる音楽だったとすれば、『petal』では、ひとつの音楽のなかに長く居続けないこと自体が距離になっている。ロックへ行き、UKガラージへ行き、また別の場所へ移る。捕まえようとした瞬間には、アリアナはもう別の場所へ移ろっている。
『Sweetener』以降のアリアナは、恐ろしいほど多くの出来事を歌へ変えてきた。その力によって人は彼女に救われ、彼女を追いかけた。しかしその成功ゆえに、“アリアナ・グランデの痛み”はいつしか待望されるコンテンツにもなった。傷つけば、それについて歌うだろう。別れれば、何があったのか教えてくれるだろう。そしてまた、美しい曲にして返してくれるだろう。『petal』が拒んでいるのは、怒りそのものではなく、そういった役割なのではないだろうか。もちろん今回も、彼女は痛みをポップへ変えている。歌は渡すし、声も渡す。けれど、その向こう側までは渡さないのだ。
だからこそ、“petal=花びら”というタイトルが効いてくる。花びらは柔らかく、薄く、簡単に傷つく。『Sweetener』の頃、その柔らかさは、傷を甘さや光に変えて世界へ開いていくためのものだった。『petal』では少し違うのだ。声は相変わらず軽く、可憐で、こちらへ近づいてくるようでいて、どこか触れきれない。柔らかいままに閉じることができ、か弱く聞こえる声が、境界線になっている。
だからこれは、いくつもの出来事を経て強くなったアリアナ、という話でもないように見える。むしろ、強さを見せることからも、少しずつ降りている。高音も、告白も、回復の物語も、求められるたびに差し出す必要はない。歌はこんなにも近くにあるのに、その向こうにいる彼女まで近くなったとは限らない。
アリアナ・グランデというポップスターは、ずっと、声によってオーディエンスを自分の近くへと引き寄せてきた。その声を駆使して、いまは近さの加減まで自分で決めようとしている。『petal』から聴こえてくる静けさは、たぶんそのためのものだ。ツアーを終えたいま、彼女はしばらく表に立つ仕事から距離を置くことを選んだ。その決断もまた、『petal』の静けさと、どこかで響き合っている。
※1:https://pitchfork.com/reviews/albums/ariana-grande-petal/
■リリース情報
『ペタル(ジャパン・デラックス・エディション)』
発売中
UICU-9125/¥4,620(税込)
・7インチ・サイズ紙ジャケット仕様
・解説・歌詞・対訳付
<封入特典>
・ポスター
・フォトカード(5枚)
『ペタル(通常盤)』
UICU-1373 / ¥3,300(税込)
・解説・歌詞・対訳付
購入/配信:https://arianagrandejp.lnk.to/petalJP
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