水野良樹=清志まれ×彩瀬まる、作家という存在との向き合い方 小説を書く上で大切にしていること
清志まれ名義で2022年に初の小説『幸せのままで、死んでくれ』を刊行した水野良樹(いきものがかり)が、2作目の長編『おもいでがまっている』を書きあげた。著者がよく知るマスメディア周辺を舞台とした前作に対し、新作はマンションの一室に孫とともに住む年老いた男、幼い頃に男から部屋を奪われた兄妹といった市井の人々を描き、新境地を開いた。人気グループで音楽活動をする水野にとって、小説創作はどのような意味を持つのか。彼の主宰するプロジェクト「HIROBA」に参加して「光る野原」を作詞し、同曲をもとに短編『みちくさ』(HIROBA『OTOGIBANASHI』2021年、所収)を執筆した小説家・彩瀬まると語り合ってもらった。(円堂都司昭)
「清志まれ」の方が、本来の自分に抵抗なく近づける感覚があった
――2作目の小説『おもいでがまっている』では1作目とかなり違う世界を選ばれましたね。
水野良樹(以下、水野):1作目は自分と近い世界しか書けなかったので、2作目はもっと一般化できる話が書きかった。そう思うなかで、自分の実家が今作に出てくるような平成初期の新興マンションで、手離した経験があって。僕の5歳から30歳くらいまでの思い出がつまっていたんですが、次に住む方がいて、自分のプライベートだった空間に知らない人の記憶が重なることが不思議で、物語になるかもしれないと思いました。それと、鷲田清一さんの『「待つ」ということ』をたまたま読んで、「待つ」ということを重ねたら小説になるかもしれないと感じて書きました。
今やっている「HIROBA」というプロジェクトは、みなさんに参加していただいて、いろいろな人の時間や人生が絡み合う瞬間を作りたいと考えているんです。
――「HIROBA」では、5人の作家が作詞して水野さんが曲を書き、様々な歌い手やアレンジャーとともに完成させたそれぞれの音楽をもとに、作家たちがあらためて短編小説を書いた『OTOGIBANASHI』(CD付き書籍)の刊行もありました。(※1)
水野:それまでお会いしたことのなかった彩瀬さんの作品群や人生とも、『OTOGIBANASHI』で僕はつながった。いろいろな人の時間や文脈がつながることによって個人の時間も物語になる。ただ、自分自身で物語をコントロールするのは難しいですし、SNSなどで多くの人の発言があふれ、情報はいっぱい入るけれど、自分の物語を生きるのは難しい時代です。今回の小説の登場人物も、待っていた家族が帰らなかったり、不覚にも誰かを裏切った人物が前に進めなくなっている。彼らがもう一度、自分の時間感覚をとり戻すストーリーにできたら、少しは今の社会とつながれるかもしれない。そんなことを考えて書いてみました。
彩瀬まる(以下、彩瀬):『おもいでがまっている』は構成が巧みで、驚くようなことがどんどん出てきてアトラクションみたいに一気にワーッと読んだ後、第一章を読み直して滋味深いなぁと感じました。読んだ時に1作目の『幸せのままで、死んでくれ』のことも頭にあって、なにかの役柄から降りられなくなった人が、水野さんの小説では大事なモチーフなのかなと思いました。前作は自身の希求から役に殉じたのではなく、自分のなかで欲望の核がつかめないまま、素晴らしい人になりたいと役に乗ってしまった人の話。今作は、ここを守りたいから役に乗ることに決めて、人生の大半を役に捧げることになった人の話。その違いを面白く読みました。
水野:役って、自然とそうなってしまう人も、自分から作ろうとする人もいる。僕はたまたま芸能の世界にいて、他者との関係のなかでできあがってしまう着ぐるみみたいな、虚構の自分を意識せざるをえないところに生身の自分がいます。だから、そこに興味があるのは確か。一般の方でも、『おもいでがまっている』の登場人物のように、父として、母としていなければいけない、男性として、女性としてあらねばならないとか、時代や周りの人との対峙によって、自分を役にはめることに苦しんだり快楽を得たりするのは、よくあることかなと思います。
彩瀬:役にはまりこんだ人を書く場合、うかつに肯定してしまう物語が多い。役をまっとうすることで歪みも起こるけど、いいこともあって、周りもきっとわかってくれるというような話。でも、水野さんの小説は、役の中枢には虚ろがあると喝破してくれる。役柄やペルソナを持ちながら自分を形成しても、虚ろと向きあい続けなければいけない。そこに対する誠実さが心地いいです。
水野:急に問いを投げかけますけど、彩瀬さんは「彩瀬まる」というペンネーム、作家の存在とどう向きあっていますか。僕は「水野良樹」という本名が表に出回っているじゃないですか。最初、僕に小説を書けというのは冗談だと思ったから、編集者さんに半分断るつもりで「ペンネームだったら書きます」と答えたんです。でも、OKだったからペンネームになって(笑)。小説を書くことにだんだん本気になっていくと、いきものがかりで名前を知ってもらえた「水野良樹」という実名の方が虚構じみて感じられるようになったんです。むしろ虚構の名前「清志まれ」の方が、本来の自分に抵抗なく近づける感覚があった。
彩瀬:作品を拝読して、どれくらい他者を見なければいけなかったかの環境が、水野さんと私ではだいぶ異なると思いました。以前の対談で、私は他者のことはあまり考えないとお伝えしました(※2)。読者は入れ替わるものだし、焦点を絞らなきゃいけないとはとらえていなくて、「彩瀬まる」に読者がなにを求めているかはあまり考えないんです。でも、『幸せのままで、死んでくれ』には「素晴らしい人間になりたい」という一文があって、その希求がある人は人生が過酷だろうと感じました。水野さんの「水野良樹」への対し方とは違って、私は「彩瀬まる」を気楽に扱っているのかも。
水野:仮に「水野良樹」が不祥事を起こしたら、グループや一緒に活動する吉岡聖恵に仕事を越えた、その人の人格に関わる変化さえ起こしかねない。だから、たぶん危機感が、自分をそうさせているんです。それがペンネームを持った時の自由度にもなっている。
彩瀬:ただ、ミュージシャン全員がそういう危機感を共有するわけでなく、わりと火傷する人も……。
水野:いっぱいいます(笑)。むしろ火傷の量を自慢しあうみたいな。
彩瀬:そのなかで火傷を忌避しようとする心が強いのが、水野さんの個性になっている。
水野:そういう方向で「いきものがかり」さんみたいな人格が、できあがってしまった感じがあります。しかも、これで僕が街に出たら声をかけられるとかスターらしかったらともかく、日常生活をなんの問題もなく過ごせているので……。
彩瀬:一日書店員をしても……。
水野:誰にも気づかれない(笑)。いきものがかりはよく知られているんですけど、僕個人の知名度とはかけ離れているんです。でも、現場に出ると、テレビに出ている人たちと急に一緒になるというギャップを何度も感じる生活をしている。顔を出したらすぐみんながわかってしまうアイドルや俳優の方だったら、別のことを考えたかもしれない。
――『幸せのままで、死んでくれ』では他人の言葉を話すことを仕事とするアナウンサーが主人公でした。それは、水野さんがこれまでたくさん作詞作曲をしてきたけれど、大部分は自身ではなく他の人が歌ってきたことと関係しているのではないですか。
水野:それは大いにあると思います。主語が自分ではないという感覚が、非常に強い。歌で書いている主格が曖昧だということに、ロマンと難しさを常に感じています。
彩瀬:お話を聞いて思ったんですけど『幸せのままで、死んでくれ』は設定からして、水野さん自身が感じたことかもって、業界から邪推される内容でしょう。作家のなかには自分の生身の精神性を出さない方も多いのに、水野さんはストレートにご自身の精神性を出していて、あまり逃げない方なんだな、もうちょっとずるく書いてもいいのにって(笑)。
水野:たぶん、音楽でずるく立ち回っているんで(笑)。
彩瀬:そうか、「水野良樹」さんだと生まれ持った魂や精神性を出しにくいから「清志まれ」さんで書くのが気持ちいいのか。
水野:それで小説にハマったところはあると思います。『幸せのままで、死んでくれ』で初めて小説を書いた時、女性キャラクターは性別が違うし、自分から遠いと思ったんですけど、『おもいでがまっている』では彼女(主人公の一人である深春)の言葉はもしかしたら自分に近い、けっこう自分が出ていると感じることが多かった。小説は、全体的に自分で埋められていく。むしろ歌は、空欄を作らなきゃっていう……。
彩瀬:空欄?
水野:僕らが歌うのはポップスなので、「ありがとう」という相手は僕が思う相手ではなく、例えば聴いた人が結婚式でお父さんお母さんに花束を渡す時、ご自身が主人公にならないといけない。歌が自分で埋まっていたらいけないんです。とにかく自分を希薄化させることが求められる。でも、小説は、登場人物に自分をどう注入するかに近い。