『TABOO LABEL Presents GREAT HOLIDAY』インタビュー
菊地成孔が語る、主催イベント『GREAT HOLIDAY』の狙いとSPANK HAPPYの再結成
菊地成孔主宰レーベル<TABOO>によるレギュラーライブイベント『HOLIDAY』の集大成となる『TABOO LABEL Presents GREAT HOLIDAY』が、5月13日に新木場STUDIO COASTにて開催される。同イベントには、DC/PRG、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールのほか、ものんくる、けもの、JAZZ DOMMUNISTERS、市川愛、オーニソロジーの7アーティストが出演。さらに90年代から00年代半ばにかけて活動したカルトバンド・SPANK HAPPYがこの日、新メンバーにて再結成し、追加出演することも発表されている。まさに<TABOO>にとって総力戦といえる同イベントは、いったいどんなものになるのか。菊地成孔本人にインタビューを行った。(編集部)
Tabooレーベルについて
――Tabooレーベルを立ち上げたきっかけから教えて下さい。
菊地:僕はジャズミュージシャンとして、10年以上の長きにわたってイーストワークスエンターテインメント(EWE)というレコード会社から作品をリリースしてきたのですが、音産不況の煽りを受けてこの会社が数年前に倒産してしまって、行き場を失ったんですね。それで、自分で出すことにしようと考えて、ビュロー菊地というインディーレーベルの事務所を立ち上げたんです。その第一弾となる作品が、JAZZ DOMMUNISTERSの『BIRTH OF DOMMUNIST(ドミュニストの誕生)』で、第二弾が僕の生徒であるKILLER SMELLSの『TARADO1&2』でした。第三弾で、そろそろ自分の作品を出そうかなと考えていたところ、SONYさんから「うちから出しませんか」とお声がけいただきました。インディーで好きなようにプロモーションや流通ができた方が、枠組みが決まっているメジャーより良いんじゃない?っていう選択肢も十分ありだったんですけれど、なにせ先行きは不確かですし、音楽は作れるけれどそんなに量産体制にはできないだろうなってこともあり、親方SONYの傘下に入ろうと決めたわけです。で、SONYは個人契約はしないということで、法人格を取りまして、契約しました。
当初は、ペペ・トルメント・アスカラールのアルバムを一枚出すだけの話だったんですけど、僕の活動が多岐に渡っていること、さらには若手のプロデュースもしていることなどなどがSONYの上層部にも伝わり、ありがたいことに「いっそのこと一作だけやるのではなくて、うちのヴィレッジレーベルっていうT-SQUAREさんが存在していたフュージョンのレーベルの中に、菊地さんが自由に活動できる個人レーベルを立ち上げませんか」というお話をいただいて、じゃあやらせていただきますと、5年前にTabooレーベルを立ち上げました。
――Tabooレーベルではここ最近、「けもの」や「ものんくる」などの若手アーティストを続々と輩出している印象です。
菊地:そうですね。自分の作品は、5年間のあいだでペペ・トルメント・アスカラールが一作、DC/PRGが一作、JAZZ DOMMUNISTERSが一作という感じで、そんなにラッシュしない程度の適度なリリースでした(笑)。今は若手のプロデュースに力を入れているほか、大西順子さんの復帰作や菊地凛子さんの歌手デビュー作など、言ってみればぎりぎりキワモノみたいなものを含めつつ、リリースしています。あと、2016年には『機動戦士ガンダム サンダーボルト』のサウンドトラックも出しましたね。
――若手の発掘に力を入れているのはなぜですか?
菊地:日本では、ジャズキャリアでスタートして、オルタナR&Bやオルタナヒップホップだとか、要するに比較的エッジなヒップホップやR&Bをやる若い層がいないんですね。欧米だと、特にUKはすごいんだけど、ジャズスキルを持っていて、音楽教育も受けていて、なおかつ打ち込みも綺麗にできる若いアーティストがいっぱいいるんですよ。文武両道っていうか、楽器も弾けるし、打ち込みもできるし、PCもすごい使えるという人たちが集まって、とび抜けたカリスマがあるわけじゃないけど、すごく高性能なオルタナR&Bを作る流れはあって。それは韓国にもあるし、世界中いろんなところにあるんだけど、日本にだけないんですね。日本のR&Bはまだ全然オルタナティブになっていなくて、極端にいうと鈴木マーチン(鈴木雅之)とかーーあれはソウルですけどねーーAIさんとか、MISIAさんとかが、決定的になっちゃっている。一方のジャズはジャズで、完全にフィックスされている。ジャジー・ヒップホップとかクラブジャズとかをやる人はいるけど、まだ高性能の歌モノとして、ジャンルとして独立してないですよね。
そこで、プレイ、コンポジション、作詞、歌唱、音楽性、アレンジなども含めて、非常に高性能なものを生み出すことができそうな新人を固めてやって、TABOOのレーベルカラーにしようかなと。2017年度には先ほど挙げていただいた、ものんくるの三枚目のアルバム『世界はここにしかないって上手に言って』と、けものの二枚目のアルバム『めたもるシティ』をリリースしました。2018年度は、第一弾として4月11日に市川愛さんの『My Love, With My Short Hair』、第二弾にオーニソロジーというアーティストのデビュー作をリリースして、第三弾では90年代から00年代にかけてやっていたSPANK HAPPYを復活させる予定です。若手といっても、ある程度キャリアのある人たちをメジャーデビューさせる感じですね。
ーー2018年の第一弾である市川愛さんは、どんなキャリアの方でしょうか?
菊地:市川さんはもともと、ネイティブの英語を活かしてジャズ歌手をやっていて、そのときに一度、JAZZ DOMMUNISTERSのコーラスで現場に来てたんですよ。で、JAZZ DOMMUNISTERSのレコーディングのときに、急にフィメールラッパーが来れなくなっちゃって、彼女のラップのバースがどうしてもその日までに必要だったんですよね。それで、廊下でコーラス待ちしてた市川愛さんにラップやりませんかって言ったら、できるわけがないと最初は断られたんですけど、まぁ覆面ラッパーということで名前も出しませんし、僕の言ったとおりやってくれればいいからって、ICIという名前にしてやってもらったところ、これが意外とうまくいって。ICIはJAZZ DOMMUNISTERSの現場にしか現れない架空の存在ということで、1stにも2ndにも重要な曲で参加してもらいました。その後、市川さんがある日、「もうジャズはやめたんだ。これからこういう音楽を始めるので、聴いてもらえますか」って、特に営業とかは関係なく音源を送ってきて。彼女は実は浜田真理子さんに心酔していて、浜田さんから「あこがれ」という曲を直接もらったそうで、これまでのジャズから一転して、ギター一丁で歌っていました。それを聴いて、じゃあプロデュースしましょうかという話になって。1stアルバムの『My Love, With My Short Hair』では、フォーキーサイドとオルタナR&Bサイドがあって、あとはちょっとジャズっぽいものとリミックスが入っています。僕のプロデュースとしては、あの人はずっと腰まであったロングヘアだったんですけれど、「With My Short Hair」ってアルバム名にもなっているように、再デビューするにあたってベリーショートボブにしてもらいました。あとは、日本語で歌う女性シンガーってことで、名前もAI ICHIKAWAっていうアルファベットから市川愛に戻してもらって。30代デビューのお姉さん女性ソロシンガーをプロデュースするって、TABOOレーベルで初めて、すでにバンドのメンバーシップや音楽性とかが固まっているものんくるやけものをブラッシュアップするのではなく、市川さんに関してはゼロからやっています。
――市川愛さんの音楽は、かなりポピュラリティーも高いものだという印象でした。
菊地:高いですね。ものんくるとけものは、ハイスキルと高い音楽性を重視していることもあって、言ってみれば癖があるんですけれど、市川さんは全然癖のない人で、オーバーグラウンダーとしての素質をもってるので。TABOOってのはどちらかというと毒々しいイメージがあるじゃないですか。そのなかで初めて出る健康的な人というか、普通の人ですね(笑)。今、プロデュースっていうと、AKB48みたいにまったく何もできない子たちを鍛えていくという感じになっていますけれど、ちょっと前のプロデューサー像というのは、歌は歌えるけれど作れない子とかに曲を作って、イメージやトンマナを決めてデビューさせるのが普通だったんですよね。そういう仕事をやってみましたという感じです。
――ものんくる、けもの、オーニソロジーについてはまた違うアプローチで?
菊地:ものんくるとけものに関しては、彼らはバンドですから、素材の良さを活かしたというか、「もうちょっとこうするといいんじゃないの?」程度のアドバイスをした感じですね。あとはTABOOレーベルは火の車なので、MVも僕が撮っているっていう。MV監督デビューですね。「オーニソロジー」というのは、Charlie Parker(チャーリー・パーカー)の曲の名前なんだけど、コーネリアスとか同じ一人ユニットで、辻村泰彦くんっていう奈良で活動していたジャズベースのR&Bソウルのシンガーです。今のところ、バックバンド、サポートメンバーはDC/PRGがやっています。うちは基本的に公募はしていないのですが、ときどき勝手にデモを送ってくる人もいて、彼はそうでした。そのデモがずば抜けてよかったので、即契約しようと。すでにガンダムの2にフィーチャリングで参加したり、市川愛さんのアルバムでデュエットをしたりしているんですけれど、今回いよいよ本格デビューという感じです。
――菊地さんがTABOOレーベルの運営も含めて、プロデュース業に力を入れようと考えたきっかけは?
菊地:僕は気が若いからまだステージにはあがりますけど、モダンジャズみたいなシルバー対応の音楽じゃない限り、55歳になるとそろそろもうガンガンに活動するってのはね(笑)。ジャズクラブでちっちゃく渋くサックス吹くんだったら80歳までできますけれど。引退とは言いませんけれど、少し活動を控えて、それよりやっぱり有能な若い人に今のエッジなものやってもらいたいなと。僕は実際の子どももいませんし、プロデュースをするのは音楽家として自分が発達していく過程でもあるんですよね。プロデューサーとして彼らと時には揉め、時には引っ張るというか。まったく育児と同じなんだけど(笑)、その中にはいろいろな子がいるわけですよね。父親の干渉をいやがって「部屋に入ってくんなよ!」っていう子もいるし、べちゃべちゃに甘えて、おしめの交換から何から全部「パパやって!」という子もいる。まあ、楽しんでやってますよ。とはいえ、父権的に厳しいこと言ったりとか、共に頑張って辛いとこ乗り越えて握手したりとか、そういうことは一切してないです。もっと全然カジュアルな感じで、スタジオたまに行って「調子どう?」って言って、音楽家の先輩として少しのアドバイスをして、あとは彼らがいい状態でアルバムを作れる環境を整えてあげて、活動を見守ってるという感じです。
それに、自分のバンドのDC/PRGやペペ・トルメント・アスカラールは、人数が多いから年間に何本もできないんですよね。でも、ほかのバンドをやっていれば1年中音楽ができる。あとは先ほど言ったように、日本にはジャズスキリングのオルタナR&Bが定着していないので、それをやろうという、音楽シーン上の役割分担ですね。本当は冨田ラボさんとかがやればいいと思うんですけど(笑)、ロバート・グラスパーの『Black Radio』以降のジャズをやるレーベルがほかにないので、うちがやろうかなと。