EXILE THE SECOND『Summer Lover』インタビュー

EXILE SHOKICHIが語る、音楽ルーツと変わらぬ情熱 「ストリートの空気を吸収できたのは大きな財産」

 EXILE THE SECONDが、ニューシングル『Summer Lover』をリリースした。表題曲は80'sポップスのテイストを取り入れ、爽やかなグルーヴを響かせる“最強のサマーチューン”。グループの新境地ともいえるサウンドを展開している。今回は本作を機に、ボーカル&パフォーマーのEXILE SHOKICHIにインタビュー。SHOKICHI曰く、「SECOND史上最高に爽やか」で「歌い手として楽曲に乗っていくことを意識」したという「Summer Lover」の話題はもちろん、バンドへの興味から始まったという彼自身の音楽ヒストリーや、海外シーンに目を向けた楽曲制作におけるスタンスなど、SHOKICHIの“ミュージックラバー”ぶりが伝わる内容となった。(編集部)

ストリートの空気を吸収できたのは、大きな財産

ーー今日はSHOKICHIさんの音楽的なルーツもしっかりと掘り下げて聞いていきたいと思います。SHOKICHIさんは北海道の出身で、10代後半から20代前半にかけては、THA BLUE HERBやMIC JACK PRODUCTIONなど、北海道のアンダーグラウンドシーンのヒップホップをよく聞いていたそうですね。

SHOKICHI:そうですね。アンダーグラウンドヒップホップが僕のルーツです……って思われがちですけれど(笑)、音楽に目覚めたきっかけはバンドでした。中一のときに兄貴のいる友達が、X JAPANのHIDEさんが使っていたB.C.リッチ・モッキンバードを持ってきて、僕はそこで初めてエレキギターというものを目にしたんです。それでHIDEさんに憧れて、ロックを聴いて育って、自分でもバンドもやるようになりました。ヒップホップとの出会いは、それから少し経ってからです。寒い地域だからこそだと思うのですが、北海道ではみんなで家に集まって、猫背になって頭を揺らしながらアンダーグラウンドヒップホップをじっくり聴く文化が根付いているんです。だからTHA BLUE HERBやMIC JACK PRODUCTIONのB.I.G.JOEさんは、僕らにとってものすごくカリスマでした。B.I.G.JOEさんがオーストラリアの監獄からラップをして、それをMIC JACK PRODUCTIONのメンバーが電話越しに録音した楽曲「LOST DOPE」(2005年)を聞いたときは、心から震えました。僕にとっての本当のソウルミュージックで、そういう意味では北海道のアンダーグラウンドヒップホップに影響を受けているかもしれません。今、自分が映っている映像を見ると、ちょっと猫背だったりするんですけれど、それは間違いなく北海道のヒップホップを聴きすぎたせいだと思います(笑)。

ーー当時はクラブにも通っていた?

SHOKICHI:札幌のGHETTOっていうクラブには、毎週のように通っていました。その名の通りアンダーグラウンドな場所にあって、いかにも“地下のクラブ”っていう雰囲気なんですよ。僕は同じ大学だったシンガーの佐藤広大とJack Potというグループを結成して、その後、また少し違うシーンでWILD STYLEというクルーに所属して、symphonyという4人組のグループになったんですけれど、Jack Potとして札幌で初めて歌ったのはGHETTOでしたね。当時は18歳だったので本当にペーペーで、クラブのクロークとかもやりながら、朝方のお客さんもまばらな時間帯になってようやく歌わせてもらう、みたいな。下積み時代ってほどのものではないですけれど、自分にとってはかけがえのない時間で、あそこでストリートの空気を吸収できたのは、大きな財産になっています。ちなみに、WILD STYLEのクルーにいたひとりがDOBERMAN INFINITYのSWAYなんですよ。

ーー当時から親交が深かったんですね。

SHOKICHI:SWAYは僕の一つ下で、一緒にいろんなイベントに出ました。毎週のように会って、自分たちでイベントのチケットも売って、終わったら反省会をするような日々でした。当時のSWAYは今よりも服のサイズが三段階くらい大きい、すごく気合いが入ったB-BOYで(笑)。しかも、おしゃれでかっこよかったし、ラップでも常に新しいフロウを研究していたから、みんなから一目置かれていました。みんなより一歩先を行くタイプで、その後、彼は単身カナダに行ったんです。

ーーかっこいいですね。SHOKICHIさんはその頃、どんな感じでした?

SHOKICHI:僕はもうR&Bが大好きで、特にR・ケリーを心底リスペクトしていたので、髪型を真似てコーンロウにしたりしていました。針金パーマでアフロみたいにして、キリシタンでもないのに十字架をぶら下げて教会に通ったりもしていました。黒人文化のバックボーンもしっかり学びたいと思っていたんです。ゴスペルも聴いていましたね。

ーーR・ケリーのどんなところに惹かれましたか?

SHOKICHI:シンガーとしてももちろん素晴らしいのですけれど、プロデューサーとしても優れた楽曲を数多く生み出しているところが、僕にとっては刺激的でした。僕自身、バンド時代から自分で曲作りをしていたこともあって、彼が自分で作曲して自分で歌っているところに惹かれたんです。バンド時代はみんなでお金を出し合って、5チャンネルくらいしかないMTRを買って、オリジナル曲を作ったりしていました。初めて曲を作り上げたときの感動は今も忘れません。恥ずかしいんですけれど当時は、「これまでにない名曲ができた、俺たちは天才だ」くらいの勢いで盛り上がって、その曲を何度もリピートして聴いていました(笑)。その時から今に至るまで、“曲を作る”ということへの情熱は変わりません。EXILEに加入させていただいてからも、自分でピアノを弾いて曲を作って、HIROさんやATSUSHIさんにデモを渡したりもしていました。

歌詞を重視するようになったのは、EXILEに入ってから 

ーー作詞に力を注ぐようになったのも、やはり学生時代からですか?

SHOKICHI:実は、昔は歌詞をそれほど重視していなくて、「歌詞なんてなくても良い」くらいに考えていました。だから、当時のオリジナル曲は歌詞なんてあってないようなもので、デタラメの英語を並べたりもしていました。とにかくメロディとビートがすべてという考え方だったんです。歌詞を重視するようになったのは、EXILEに入ってからですね。EXILEのライブを経験して、「歌詞でこれほど多くの人々にメッセージを伝えることができるんだ」って衝撃を受けて、改めて音楽の可能性に気付いたというか。音楽に深い意味を持たせたり、音楽で人を勇気付けたりするうえで、歌詞はすごく力を持っています。最近では、メロディよりも歌詞に考える比重を置いているくらいで、何をしているときも歌詞のアイデアを探しています。音楽をやっていて一番やりがいを感じるのは、やっぱり人が感動してくれたときで、そこにも歌詞はダイレクトに響くんですよね。

ーービートに対する関心はここ最近、変化していますか? ソロアルバムの『THE FUTURE』では、最先端で活躍するビートクリエイターが多数参加していましたが。

SHOKICHI:『THE FUTURE』以降、ビートの感性はすごく成長できている実感があります。というのも、最近は海外に行くことも多くて、向こうのアーティストとライティング・セッション(共作)をさせてもらったりすることが多いんです。彼らは一つひとつの音に対するこだわりが強くて、ビートひとつとっても音と音の空間とか、その深さまで徹底的に作り込むんです。そういうやり方を見ているうちに、このビートはここまで深くしたいけれど、Jポップのトラック数の多いメロディを組み合わせるとここがぶつかるなとか、そういうことまで感じられるようになりました。“音の形”まで意識して追求できるようになったというか。その分、ミックスのときのことを想定して、ここの音数を減らしておこうとか、トータルで音楽制作を考えられるようになってきたと思います。以前、プロデューサーのT.Kuraさんが「とにかく量を作ることが大事だよ」って教えてくれたんですけれど、成功と失敗を繰り返す中で、その意味がようやく深いところで理解できたのかなと。

ーー音作りという観点から見たとき、今もっとも刺激を受けている同時代のアーティストは?

SHOKICHI:たくさんいて難しいですが、中でもドレイクはあらゆる面で刺激を受けているかもしれません。もちろん、ケンドリック・ラマーとかも大好きなんですけれど、ドレイクの楽曲へのアプローチだったり、ミックスの仕上げ方とかは、やはり別次元のクオリティーだと感じています。僕はいつも同じスピーカー、同じ距離感で新譜のチェックをするようにしているんですけれど、ドレイクのビートは本当にパーフェクトです。キックひとつとってもすごく深くて、音の輪郭がありありと感じられる。3月にドレイクの『More Life』がリリースされたとき、ちょうど僕はLAにいたんですけれど、やっぱり周囲のみんなは盛り上がっていましたね。「ドレイクが新作出したってよ!」みたいな感じで。その後、日本のスピーカーで聴いて、本当に素晴らしいと感じました。

ーー海外のリスナーは、ビートに対する感性が鋭い印象があります。日本と海外では、音楽の楽しみ方にどんな違いがあると考えていますか?

SHOKICHI:海外の方々は、まだ聞いたことのない新しい音楽に対する追求心が強いと感じています。常に新しいものを探しているというか。DJ文化に対する理解が深くて、DJの地位が日本よりずっと高いのも、そうした追求心があるからかもしれません。それと、ラジオ局がすごく影響力を持っていますね。日本でいうところのテレビ番組くらいのイメージ。だから作り手も、いかにラジオでかけてもらうか、ラジオで話題になるにはどうすればいいかを考えている。ラジオが文化として根ざしている印象があります。最近だと、とにかくSpotifyが流行っていて、Spotifyのプレイリストでいかに紹介されるかが、すごく重要になってきているみたいです。それもラジオ文化の延長にあるのが興味深いところですよね。未知の楽曲を聴きたいという欲求があって、それに基づいた発展の仕方をしているのが、海外の音楽シーンの面白いところです。

ーー日本ではプレイリストの文化はまだあまり根付いていない印象です。海外の音楽シーンとは距離を感じます。

SHOKICHI:そこは課題でもありますが、日本の良いところでもありますよね。日本は国内マーケットがちゃんとあるから、そこで自給自足ができてしまう。だから、海外の音楽シーンとはまったく違う発展の仕方をしています。でも今後、新しい技術を通じて日本のJポップをどんどん海外に発信できたら、もっと面白くなりそうです。実際、Jポップの楽曲を海外クリエイターが手がけることも多くなっていますし、壁はどんどんなくなってきているのでは。日本人って基本的に真面目で技術力もあるから、世界のシーンと良い形でつながって、さらに良い音楽を発信できるようになったら良いなと思います。

ーーたしかに、最近のJポップでは海外クリエイターを起用したコーライト(共作)が目立ちますね。LDHの最近の楽曲だと、PKCZ®の「PLAY THAT feat. 登坂広臣,Crystal Kay,CRAZYBOY」はアフロジャックさんがプロデュースを手掛けていますし。

SHOKICHI:今は何人かのクリエイターで作曲するのが世界的にわりと基本で、ひとりで作るよりも主流になっています。その方がよりたくさんのアイデアを詰め込めるし、僕もその作り方は刺激があって面白いと思います。バラードじゃない限りは、僕も大抵、誰かとコラボして作っていますね。その方が出会いも増えるし、音楽の幅も広がるので。

関連記事