“リベラルテック”と“カリフォルニア現代思想”とは何か? 東浩紀×桂大介インタビュー前編
株式会社ゲンロンが毎月1回配信しているYouTube番組「東浩紀と桂大介のリベラルテック月報」(以下、リベテク)。ゲンロン創業者で思想家の東浩紀と、ゲンロンが主導して開発・運営する動画プラットフォーム「シラス」のCTOである起業家・エンジニアの桂大介が、思想とテックのふたつの目線で最新のAI関連ニュースを解説していく他にはない番組だ。
二人は『Forbes Japan』3月号にもインタビューで出演しているが、そのなかで東は「かねてより、シリコンバレーのあるカリフォルニアがパリと並ぶ現代思想の源泉だと考えている」という新鮮な視点を提示。さらに二人は「コンピューター文化の起源はガレージにあり、日曜大工的に自分の手で何かをつくるところから始まっている」ことや「インターネットは本来、(中略)『国家的なものや巨大産業に対する抵抗運動』として出てきてい」ることが忘れられているのではないかという問題意識も披露している。他方で、同インタビュー掲載後の半年間の世界の動きを見ると、たとえば日本でも邦訳が出て話題になったアレックス・カープらの『テクノロジカル・リパブリック』(日経BP)に象徴されるような“テックと国家のつながり”はますます強まっているようにも思える。
そこで、テック業界の現状についての二人の認識や、そのなかでリベテクが目指す“リベラル”とはなんなのかについて、たっぷり聞いた。前後編に分けてお届けする。
リベテクとシラスが目指すオルタナティブなITの実践
――まずあらためて、リベテクを始めたきっかけはどのようなものでしたか?
東浩紀(以下、東):身も蓋も無いきっかけを言ってしまうと、この番組は「シラス」の知名度アップを目指して始めました。シラスは技術的な最先端をおさえて開発された動画プラットフォームであり、テックと社会の関係についての思想的な挑戦でもあるのだということをきちんとアピールしたかったんです。
桂大介(以下、桂):ゲンロンは人文・思想系の本を出していたり、トークイベントを開催している会社として知られていますが、以前からITにも明るい会社です。東さんだってもともとITオタクなところがあって、思想だけでなくテクノロジーの話にも詳しいですから。
――つまりリベテク的な思想の実践としてシラスの開発・運営が先にあり、その意味を分かりやすく伝えるためにリベテクを始めたと。シラスでの挑戦とはどのようなものですか?
東:一言でいえば、「インターネットのテクノロジーはスケール化以外にも使うことができる」ということの実践です。分かりやすいたとえを出すと、いまは政治家が広報のために動画を利用するとしたら、「YouTubeの有名な政治系番組に出て100万回再生を目指す」というような話になりがちです。でも、政治家というのは本来自分の選挙区で当選すればよいわけで、そのために必要なのは3万人だとか5万人の地元の有権者にしっかりリーチすることのはず。つまり、本当は100万人に届ける必要はない。それなのに、インターネットが広告の分配システムに依存するようになってしまった結果、みんなとにかく100万回再生を目指すことしか考えられなくなっている。これはテクノロジーの使い方として間違っているだろうと。
シラスは有料課金のシステムを導入することによって、スケールを追わなくてもサステナブルな言論活動を展開できるプラットフォームとして開発しています。その点で現代のインターネットの使い方に関するオルタナティブを提示しているつもりです。ただ、そういう思いでやっていることは世の中には伝わりづらいので、まずは先端のテックニュースを思想的な観点を交えて解説することで間口を広げてみようと考えたわけです。本当はもっとガジェットや社会現象も取り上げる番組にするつもりだったのですが、番組を立ち上げた当時からいまに至るまでAIブームが続いているので、取り上げるニュースもAI関連のものばかりになっている状況ですね。
桂:いまはAIの技術が大きく台頭してきたことで、巨大AI企業が国家との関係も含めていろいろな問題を次々と起こしています。これはもちろん、それ以前のビッグテック競争の時代からあった「巨大プラットフォーム企業は国家とは違って選挙のような民主的なプロセスを経ていないのに、いつのまにか覇権を握って世界のあり方を決めてしまっていた」という状況がもう一段階バージョンアップしたものとも言えるのですが、いずれにせよそのなかで我々の「リベラルテック」という立ち位置や問題意識はよりクリアになってきている。その意味では番組を始めたタイミングも良かったかなと思います。
「カリフォルニア現代思想」とは何か?
――いまの状況のなかでクリアになってきているお二人の問題意識の話は、リベテクが目指す“リベラル”とは何かという思想的な問題にも関わってくると思います。まず前提として大きなところから伺うと、東さんがパリの現代思想と同じくらい重要だとおっしゃっているカリフォルニアのテック思想は、思想史的にはどのような特徴があるのでしょうか?
東:アメリカ特有のリバタリアニズムやフロンティア精神といった政治思想的な面と、人類が繰り返し抱いてきた「技術が全てを解決する」という技術至上主義の夢が合体したものだと考えられると思います。
後者の技術至上主義から説明すると、これはけっしてアメリカだけのものではありません。「共産主義とは、ソビエト権力プラス全土の電化のことだ」という有名なレーニンの言葉がありますが、ソ連もまた「社会問題をすべて科学技術の問題に分解して解決しよう」という発想をもっていた。これは元をたどれば当然ながらマルクス主義に行き着く。マルクス主義風に言えば、私たちの社会のあり方を決めているのはイデオロギーではなく「生産関係」です。なので、社会を改革するためにはまずこの生産関係を変えなければいけない。ここで言われている生産関係というのは別に抽象的な事柄ではなく、たとえば蒸気機関が発明されたとか電気が使えるようになったとかいった話で、そういう技術的な配置が私たちの社会を規定しているという話なんですよね。
そういった伝統の延長線上にある技術至上主義にアメリカ特有のリバタリアン的な強い個人主義が合体し、かつ現実のIT革命がそれに乗っかってできているのが「カリフォルニア現代思想」だ、とひとまずは言えると思います。ただ、さらに細かく見ていくと、ヒッピー文化やカウンターカルチャーのような神秘主義的でサブカルチャー的な要素が混ざり込んでくる。なので、簡単に「こうだ」と断言できるような単純なものでもありません。
――その複雑さと関わってくるのではないかと思うのですが、たとえばアレックス・カープらの『テクノロジカル・リパブリック』がナショナリズムに傾いた主張をしているのは、もともとIT思想の源流にあったというリバタリアニズム、すなわち「政府を信頼せず個人でやっていく」という思想と相反しているようにも思えます。ピーター・ティールやアレックス・カープはカリフォルニアの思想を別の方向に転換していると考えてよいのでしょうか?
東:いや、そこはそう単純な話ではないと思います。たとえば1996年にジョン・ベリー・バーロウたちが書いた「サイバースペース独立宣言」という有名な文章があります。そこではサイバースペースの自由を謳い上げるリバタリアン的な価値観が反映されているとともに、その自由はアメリカの独立とも重ねられています。つまり、そこにはすでに、ナショナリズムというか、アメリカニズムが強く入っているわけです。「アメリカは真の自由を実現する最先端の国で、その延長にIT革命があるのだ」という発想です。これは「世界史を導く運命の国としてのアメリカ」という発想とも言い換えられる。つまり、『テクノロジカル・リパブリック』はその方向性を正当に受け継いでいるとも言える。
さらに言えば、これはいわゆるユダヤ=キリスト教的な終末論の最新バージョンだとも言えます。ヘーゲルがナポレオンの登場に歴史の終焉を見出し、マルクス主義がプロレタリアート革命に楽園の到来を夢見て、アレクサンドル・コジェーヴが第2次世界大戦の終戦に、さらにはフランシス・フクヤマが冷戦の終結に世界史の終わりを見たように、アメリカのハッカー達にしてみればAIのシンギュラリティによって歴史が終わるわけです。これらはすべて同じかたちをした発想なのであり、今回はそこに「アメリカだけが特別な国だ」というアメリカ例外主義が絡み合っているという整理が正しいのではないでしょうか。
――なるほど。ティールやイーロン・マスクがそういう発想を持っていそうなのに比べ、たとえばアンソロピック(Anthropic)はAIの開発の速度を遅らせることを主張していて、“リベラル”で善良な思想を持っているというイメージがあるのですが、そこはどう捉えていますか?
東:僕はそうも思ってないんです。アンソロピックには若い哲学者が在籍していて人文的な思想を重視しているんだという話は一時期騒がれましたし、今年に入ってからも創業者の一人がローマ教皇の回勅の会合に参加したことが話題になりましたが、ともにアンソロピックなりの広報として捉えたほうがいいのではないか。「アンソロピックだけが人類の未来について考えている人文的で良識的なAI企業なのだ」という受け取り方は、あまりに素朴だと思います。
――桂さんは日本でIT企業を経営している立場からみて、そういったシリコンバレーの様々な経営者の思想についてはどう思われますか?
桂:まず、右派左派関係なく、いまはITの力があまりに大きくなってしまい、国家間の問題などと結びつけて考えざるを得ない局面に来ているので、どちらもそこに関わらざるを得ないという要請はあると思っています。そのうえでカープが『テクノロジカル・リパブリック』で書いたことについては賛同するところもあります。というのは、彼はシリコンバレーがSNSと広告ばかりに携わってきたことを批判するわけですが、日本のIT業界でも「トップエンジニアがガチャゲーばかり作っているのはどうなんだ」ということは繰り返し言われてきた問題だからです。ただ他方で、彼が「だからITはもっと国防に役立つべきだ」という主張に行くのはちょっと過剰にナショナリズムに傾倒しているようにも思っています。
次にアンソロピックについて言えば、僕はアンソロピックがやっていることがキャンペーンなのか本当に善良なのかはどちらでも良いと思う。むしろ、たとえアンソロピックが善良だったとしても、その1社がLLMのあり方をすべて握ってしまうとダメだと思うんです。それは僕らがリベラルテックと呼んで望んでいる状況とはほど遠い。“リベラル=自由”であるということは、「善良な王」が覇権を握ればいいというものではない。たとえば複数の国家の複数のオープンウェイトが存在して、どんなAIを使うかの選択肢がわれわれの手元にあるということと密接に結びつきます。なので、個々のプレイヤーがどうという話がすべてではないということのほうが重要かなと。