『俺のこと、なんか言ってた?』ラストで変化した“問い”の行き先 宮藤官九郎が描いた再起

※本稿には『俺のこと、なんか言ってた?』最終話までのネタバレが含まれます。

 宮藤官九郎が脚本を手がけたNetflixシリーズ『俺のこと、なんか言ってた?』は、主人公・高瀬川玄(役所広司)のタイトルどおりの口癖で始まり、同じ一言で幕を閉じる。ただし、その問いが向かう先はまるで違う。冒頭は世間に向けた、承認欲求ダダ漏れの確認。ラストは、映像業界を去ったひとりの助監督をめぐる、ささやかな問いかけだ。全8話は、問いの向かう先が変わっていくまでの物語だと言っていい。

 ロンドンのグローブ座で『リア王』を大成功させて帰国した大物俳優が、ワクチンによる集団記憶障害で、世間からも家族からもきれいさっぱり忘れられてしまう。設定はトンデモSFだが、骨格は王道の再起ものだ。どん底に落ちた男が、ホームレス生活、バイト、エキストラと、一段ずつ役者への階段を上っていく。

 宮藤作品の主人公には、芸を通して自分を確立するキャラクターが多い。『タイガー&ドラゴン』(2005年/TBS系)の落語、『あまちゃん』(2013年/NHK総合)のアイドル、『俺の家の話』(2021年/TBS系)の能とプロレス。親や師匠から何かを受け継ぐことで、彼らは何者かになっていった。

 高瀬川もまた、二世俳優として芸を受け継いだ男。だが彼の場合、芸が過剰に育ちすぎた。主役の芝居しか知らない彼は、普通の演技ができない。かつては「背景が悔しがってどうする?」とエキストラを差し替えさせた側の人間でもある。芸は彼を何者かにすると同時に、エゴを肥大させるブースターでもあったのだ。

 この“普通ができない男”を、当代きっての名優が演じていることが本作最大の仕掛けだろう。裁判長役のオーディションでは、「主文。被告人を懲役15年に処す」の一言が重々しすぎて浮いてしまう。改札を通るだけの芝居でもNGを連発し、「やってる感を出さないで」とダメ出しされる始末。声のデカさ、所作の大きさ、立っているだけで画面の中心になってしまう存在感。役所広司が長年磨いてきた主役の技術が、まるごと笑いのネタとして裏返されている。

 しかも役所は、『PERFECT DAYS』(2023年)で公衆トイレの清掃員を演じ、カンヌ国際映画祭で男優賞に輝いた俳優でもある。つまり、何者でもない男を見事に体現した人が、普通ができない男を演じているのだ。役所自身、「普通とか、自然に見せるというのが一番難しいですね」(※1)と語っているほど。“普通”の難しさを知り尽くしているからこそ、その“普通”に失敗する芝居が、あまりにも精密で笑える。

 とはいえ、その継承のかたちは一筋縄ではいかない。高瀬川の父は、舞台に立たなかった昭和の銀幕スター。息子は父とは逆に、舞台だけを選んだ。だが彼は京都で、父が息子に自分の道を切り開かせるため、あえて舞台のオファーを断っていたことを知る。受け継いでいたのは芸の型ではなく、自身と同じ道を無理に継がせないというカタチの愛情だったのだ。その思いは一度も言葉にされることなく、息子の人生を支えていた。

 代表作が『リア王』であることも示唆的。この悲劇は、年老いた王が娘たちに「どれだけ自分を愛しているか、言葉で示せ」と迫るところから始まる。要するに、老境の家父長が承認をねだる物語なのだ。

 リアはやがて娘たちに裏切られ、すべてを失う。その転落をなぞるのが第7話だ。ようやく家族からも認められた高瀬川は、『リア王 2029』の主演会見で、これまで出会ってきた仲間たちの苦悩を代弁する。ところがそのスピーチは傲慢と受け取られ、過去の不倫まで掘り起こされて、再びすべてを失ってしまうのだ。

 ここに、同じく宮藤官九郎脚本のドラマ『不適切にもほどがある!』(2024年/TBS系)との違いがある。『ふてほど』の小川市郎(阿部サダヲ)は、昭和からタイムスリップしてきた部外者として、無遠慮な物言いで令和の窮屈さに風穴を開けた。その遠慮のなさが、ときに痛快な正論として響いたのだ。対して高瀬川は、業界の頂点にいた特権的な男。そんな彼の善意の代弁は、本作では主役ムーブとして容赦なく突き落とされる。誰が、どの立場から声を上げるのか。宮藤はおじさんの声を、もう一段深く疑ってみせたのである。

 宮藤自身、「何をやっても、良くも悪くもクドカン」(※2)と言われる身だと明かし、誰も自分を知らない世界を夢想することもあるという。ブランドを剥ぎ取られた俳優がイチから自分を証明し直す物語は、もし自身からクドカンというラベルを一度剥がしてみるとどうなるかを脚本をとおして考えた思考実験でもあるのだろう。

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