「アニメの時代」を振り返る:2016~2026
『キンプリ』から『ヒプマイ』『超かぐや姫!』へ “応援上映”が発展した歴史を解説
この連載は、2016年以降を「アニメの時代」と定義し、なぜアニメが映画館の興行の牽引役となったのか、その変化の根幹を探ることを企図している。
そして、連載3回目と4回目はIPをテーマとし、現在の日本の映画館は「推しの晴れ舞台」として、推し活の最前線となっていることが興行を牽引している要因であると述べた。
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日本の映画興行ではキャラクターIPが圧倒的に強く、映画館はファンが「推し」のキャラクターを応援し輝かせる「晴れ舞台」として機能し…そんな推し活的興行の先鋭的な事例の一つとして、ライブ的な上映形態が挙げられる。近年は、「応援上映」や「発声可能上映」などと呼ばれる、声を殺してスクリーンを見つめるのではなく、音楽コンサート会場のように声援を挙げたり、ペンライトを振ったりするような、特殊な上映形態を実施する作品が増えてきた。
また、映画館市場の変化として映画以外のコンテンツ、いわゆる「ODS(other digital stuff)」上映の機会も増加している。そのODSにおいて特に人気が高いのは、音楽アーティストや演劇のライブビューイングである。
ライブ会場化したその空間は、従来同じ内容を反復上映するものであった映画館に、一回性の体験をもたらしている。
今、映画館はライブ会場化している。それはIP論で論じた「推しの晴れ舞台」化とも密接な関わりがあると思われる。
「映画館のライブ会場化」をキーワードにした時、やはり特異点となるのは、この連載が軸としている2016年だ。エポックメイキングな作品として『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(以下、『キンプリ』)が登場したからだ。2016年は本当に歴史的に重要な作品がひしめき合っている。
前史:ライブビューイング/ODSやマサラ上映の存在
『キンプリ』の話に入る前に、「映画館のライブ会場化」の“前史”を語っておくべきだろう。この現象は2016年に突然生まれたわけではない。
先行していたのは、ODS上映だ。ODSは2000年代のデジタル上映の普及に伴い拡大した。最初にデジタル上映設備を導入したティ・ジョイはシネコンとして知られるが、会社の黎明期から映画だけに頼らない番組作りを目指していたという。
ティ・ジョイ興行部の原晋也氏は「そもそも“シネコンではなく、エンタテイメントコンプレックス”としてのポジショニングを視野に会社が始まりました。当時はシネコンが世の中に浸透しつつある状況でしたが、まだ半信半疑の状態にあったと思います。そこで、デジタルを武器に、映画だけに頼らないシネコンを作ろうという狙いがありました。(※1)
この発言は、シネコンはそもそも映画以外のコンテンツも楽しめる場として事業設計されていたということを意味する。ここに映画館のライブ会場化の芽がある。
舞台やコンサートの生中継を映画館で楽しむライブビューイングもティ・ジョイが始めたものだ。同社は「劇団☆新感線」と2003年にプロジェクトを開始、舞台『髑髏城の七人~アカドクロ』を「ゲキ×シネ」第1弾として、2004年に展開した。(※2)
この後、松竹はシネマ歌舞伎を始め、2011年になると専門会社のライブビューイングジャパンが設立され、ODS作品は音楽や舞台のみならず、スポーツ中継やお笑いコンテンツなど、幅広い内容を扱うようになっていった。リアルタイムの生中継の作品もあれば、収録したものを上映する形態もある。
また、ODSとは別の方向から劇場のライブ化を促す流れもあった。1990年代後半、インド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』がインドブームを巻き起こした。歌い踊るシーンがてんこ盛りのその内容は、日本映画にもアメリカ映画にもない独特の魅力に溢れており、熱狂的なファンを生み出す。そして、そのブームはインド映画の上映増加にとどまらず、インドの上映形式の輸入へと至る。インドでは、観客がスクリーンに向かって歓声を送ったり紙吹雪を飛ばしたり、鳴り物を鳴らしながら映画を楽しむ風習があるが、これを「マサラ上映」と名づけ、特殊な鑑賞形態として定着させた。
マサラ上映は、どんな人が観客として参加するのかで大きく体験が異なるもので、一回性のある上映体験の日本における先駆けと言える。
こうした発声も可能とした上映形態がアニメ作品に導入された事例では、『プリキュア』などで、入場特典のミラクルライトを振りながら画面のプリキュアたちを応援する形態が2000年代から定着していた。深夜アニメの劇場版などでも立川シネマシティが2011年『映画けいおん!』でライブスタイル上映を実施するなどの事例がある。また、『キンプリ』の前身と言える『プリティーシリーズ』も同様のスタイルの上映形態を実施していた。
常時応援上映『キンプリ』の登場
そうした流れを受けて『キンプリ』が2016年に登場。本作が画期的だったのは、常時応援上映の形態を実施したことだ。通常、応援上映のような特殊な上映形態は、ごくたまに実施されるものだ。しかし、『キンプリ』は観客が合いの手の声援をいれることを前提に制作されており、それが演出にも反映されている。冒頭、二人乗りの男女の女性の顔が黒塗りになり、アイスクリームを男性に食べさせるシーンで「あ〜ん♥」と字幕が大きく表示され、ここで観客が字幕に合わせて「あ〜ん♥」と合いの手を入れるようになっている。
筆者はかつて、『キンプリ』の合いの手前提の制作スタイルを、歌舞伎の大向こうに例えたことがある。歌舞伎の演目『お祭り』では、客席が「待ってました」と声をかけると、役者が「待っていたとはありがてぇ」と返すことになっている。作品の展開に観客とのやり取りが組み込まれているのだ。(※3)
その意味で『キンプリ』は従来の映画とは異なる。映画は上映される作品に対して、観客が受動的であることを前提とするが、『キンプリ』はあらかじめインタラクティブなやり取りを組み込んだ演出になっていることが画期的だった。
そしてこの上映形態の面白さは多くの熱狂的なファンを生みだし、各々が推しを見つけ応援していくようになっていく。その後もシリーズを重ね、新作が登場する度に熱心なファンは何度も劇場に足を運び、地方の劇場も含めて遠征をするようになっていく。まるで、アイドルや人気バンドの追っかけのようだ。
そして、『キンプリ』の面白さはファンの応援練度の高さにもある。アニメファン文化に詳しい渡辺由美子氏は『キンプリ』のファンの練度の高さ自体がコンテンツとして機能している点を指摘している。
菱田正和監督による現実世界にイリュージョンが染み出すような演出により、「キンプリの応援上映」は独自に進化した。観客が、舞台を演出する“大道具係(黒子)”になるのが特徴だ。
花火のシーンでは、ペンライトの色を切り替え続けて「色とりどりの花火」を表わす。蛍が夜空を舞うシーンでは、ペンライトを白色にして空中でくるくると動かす。後方座席から見ると、光がまるで舞台装置のように見える。自分たちが舞台装置となることで、スタァがいる現実世界=「映画館の空間」を輝かせるという発想だ。(※4)
また、場所が変われば当然参加者も異なるので、地域ごとに異なる応援芸が生まれていると渡辺氏は指摘する。そして、面白い応援芸があれば、体験した人が別の劇場に持ち込み、さらに発展していく。そうして、毎回異なる応援芸が体験できるのが『キンプリ』であり、それぞれの劇場も競い合うように個性を生み出していったという。
『キンプリ』において観客はただの観客ではない。一緒に作品を完成させる参加者なのだ。
映画は本来、複製メディアであり、全国で同じ作品を上映できることに強みがある。しかし、それでは「ここだけ、今だけ」という体感は生まれにくい。インターネットとデジタル技術が普及し、あらゆるコンテンツが手軽に複製可能となると、今度は一回性のライブ体験が重要性を帯びるようになってきた。しかし、アーティストのコンサートでも舞台でも、大規模動員が見込める都市部に開催が集中しやすい。
しかし、映画は複製可能で全国に作品自体を運べる。『キンプリ』はそこに観客に能動的な参加を促すことで、どの映画館でも一回性の体験を生み出すことに成功した事例だ。画面は同じでも観客が毎回異なるので、何度訪れても新鮮な体験を可能にしている。
これは、連載2回目で作家性について論じた時に紹介した「計画から生成へ」という概念にも通じるものがある。作家が作り上げた世界観(計画)をただ受動的に受け取るのではなく、ユーザーがそれぞれに作品を受け取り、何かを生み出していくこと(生成)のほうが価値があるとされる時代に、『キンプリ』は応答したコンテンツであると言えるだろう。(※5)