内山拓也監督が信じる映画の“可能性” 自伝的作品『しびれ』の原風景と希望への決意

「映画という表現物にはまだまだ計り知れない可能性がある」

――大人になった大地を演じた北村匠海さんとのタッグはいかがでしたか? これまでに見たことのない北村さんの表情が引き出されていたと感じます。

内山:彼がいたからこそ、最終的にこの企画を走り出させることができました。オファーするときに「見たことのないあなたを撮りたい、その引き出しを開けさせてほしい」という手紙を書いて渡したんです。彼自身、喋ればすごく明るい人ですけど、根本は静かで口下手なところがある。お互いに背中を見せ合いながら、苦しいシーンも北村匠海という存在がいたからこそ乗り越えられました。

――内山監督にとって、現場で「役者とお芝居を作る」とはどういうプロセスなのでしょうか?

内山:自分で書いておきながら、役者には「僕以上にこの役に詳しくなってほしい」と思って現場に臨んでいます。最終的には「なんでこの選択肢を選んだの?」と聞くと、役者のほうがキャラクターの目線で「脚本にはこう書いてあるけど、この人間は今こう感じているから」と教えてくれるようになる。監督である僕を役者が追い越していってくれる瞬間が、一番嬉しいですね。

――内山監督の作品には一貫して、どこか行き場のない閉塞感の中で泥臭く生きようとする人々の姿が描かれています。映画という表現形式へのこだわりについて教えてください。

内山:自分ではテーマを意識して作っているわけではないのですが、宇宙へ行く話であろうと砂漠にポツンと人がいる話であろうと、僕にとって「映画=人間」なんです。A地点からB地点へ人間が移動し、心が変化していく。そこに自分自身のリアルな実感が伴っていれば、どんなジャンルであっても本質は変わらないと思っています。

――前作は4カ国合作で、本作は海外の映画祭でも高い評価を得ていましたが、国内外での映画作りの環境や受け止められ方の違いについてどう感じていますか?

内山:芸術や映画に対する国単位での向き合い方や視座の高さは、ヨーロッパや他のアジア諸国と比べても日本は独特だなと感じます。海外の映画祭に行くと、若者も含めて「映画という文化そのものを箱推ししている」ような熱量を肌で感じるんですよね。ただ、日本には東京のようなカオスでオールジャンルなカルチャーが溢れていて、多様な選択肢があるという良さもある。コロナ以降、日本映画が海外で求められる風向きは年単位で大きく変わってきています。だからこそ、海外で吸収したものを持ち帰り、日本の映画界にカスタマイズして還元していく作業が今すごく大事なフェーズに来ていると感じています。

――もともとは服飾を学ばれていた内山さんが、10代で映画の世界に没頭し、表現者として走り続けてきた原動力はなんだったのでしょうか?

内山:文化服装学院時代に友人に勧められて観た『時計じかけのオレンジ』に目が飛び出るほどの衝撃を受けて、「映画ってこんな表現ができるのか」と一気にのめり込んでファッションを辞めたのが始まりでした。当時の自分は、立ち止まると足元に穴が開いて落ちてしまうような感覚があって、後ろを振り向かずに走り続けることでしか自分を保てなかったんです。表現することがもともと好きで、自分の目で世界をどう見つめ、何を感じたのかを模索し続けた結果、行き着いたのが「映画監督」という職業でした。映画はただ作品を観るだけでなく、劇場という場所や空間、体験を通して、誰かの視野を広げるきっかけになれる。時代が変わっても、映画という表現物にはまだまだ計り知れない可能性があると信じています。

■公開情報
『しびれ』
TOHOシネマズ シャンテほかにて公開中
出演:北村匠海、宮沢りえ、榎本司、加藤庵次、穐本陽月、奥野瑛太、赤堀雅秋、赤間麻里子、永瀬正敏
監督・原案・脚本:内山拓也
企画・制作:カラーバード
製作幹事・制作プロダクション:RIKIプロジェクト
配給:NAKACHIKA
©2025「しびれ」製作委員会
公式サイト:https://shibire.jp/

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