エメラルド・フェネル版『嵐が丘』なぜ賛否両論に? 過激な性描写が暴く古典文学の本質
目の覚めるような過激な展開によって、世に衝撃を与えた『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020年)や『Saltburn』(2023年)の監督エメラルド・フェネル。近年、最も注目されている監督のひとりだ。そんな先鋭化を遂げ続けている彼女が、なんとイギリス文学史上の最高峰といえるゴシック小説を映画化した。エミリー・ブロンテ原作の『嵐が丘』である。
予想通り公開されるや、その鮮烈なビジュアルと露悪的とすらいえる刺激的な表現の数々によって、エメラルド・フェネル版『嵐が丘』は、賛否両論の渦を巻き起こしている。果たして、この過激な『嵐が丘』は、何を観客にうったえかけているのだろうか。ここでは、このエクストリームでありながら謎めいた作品の正体が何なのかを、あぶり出していきたい。
文学中の文学作品といえる原作『嵐が丘』は、舞台作品はもちろん、何度も映画化を果たした小説である。原作における複数の語り部による入れ子構造を採用しなかったり、物語が大きく盛り上がるところで幕を下ろすなど、フェネル版も他の映画化版と同じように、簡略化されている部分が少なくない。そして、登場人物の設定や役割が改変され、解釈を加えている部分があるものの、ストーリー自体は原作を踏襲している。とりわけ原作の印象と大きく異なるのは、描写の過激さである。
映画冒頭で早くも、衝撃的な光景が映し出される。罪人が絞首刑に処されるところが見せ物になっている「公開処刑」シーンだ。このように死刑を娯楽化する野蛮な慣習は、エミリー・ブロンテが『嵐が丘』を発表した時代には、まだまだ現役で続いていた。民衆は、縛り首がある日「ハンギング・デイ」に足を運んで熱狂し、大いに楽しんでいたのだ。
本作のオープニングでは、性的な息遣いに聴こえる声が、縛り首になる男性のものであることが示唆され、さらに彼が、吊られたまま身体的な反射で男性器を硬直させる描写がある。それを発見して、また大喜びする観衆。こんな極限的な様子をまじまじと見ているのが、本作の主人公のひとりである、地方の地主の令嬢キャサリンだ。この頃は子ども時代であり、興味津々で恐ろしい光景を見続けている。もちろん公開処刑を見にいくことなど父親に禁じられていただろうが、鞭を欲しがるような野生的な面がある彼女にとって、人の生死の姿には興味津々だったのだろう。
こうした公開処刑の描写は、原作小説には存在していない。そもそも、野蛮な風習がおこなわれていたとはいえ、身分制度や社会規範によって性的な表現がタブーだったヴィクトリア朝の時代に、この映画のような描写のある小説を発表することは不可能だっただろう。本作では、教会のシスターまでもが、死刑囚の息絶える様子を見て性的な興奮に打ち震えている様子まで描かれるのだ。おそらくフェネル監督は、規範というカーテンによって隠された、この時代の凶悪な点をあえて表に出すことで、むしろ作品世界の本質をえぐり出そうとしたのではないか。
同時に、この冒頭部でフェネル監督は、“生と死”が“性的な営み”と不可分であるという見方を強調しているように思える。物語の舞台であるイングランド北部のウェストヨークシャー地方は、エミリー・ブロンテを含むブロンテ姉妹が住んでいた場所でもある。とくに「ヒース・ムーア」(荒野の湿原)が広がる広大な自然の世界は、教会や法の手が届きにくい孤立した環境だ。そこで育った野性的な男女が、本能のままに振る舞い、丘を駆けるという『嵐が丘』の原風景を、フェネル風に解釈したらこのような描き方になったということなのだろう。
本作の中心となるのは、「嵐が丘」の地主アーンショウ氏(マーティン・クルーンズ)の娘キャサリン(マーゴット・ロビー)と、彼女の父親が引き取った孤児ヒースクリフ(ジェイコブ・エロルディ)。ふたりは子ども時代から親しく交流することで恋愛感情を抱き、精神上、互いに分かち難い存在になっていた。しかしキャサリンは、経済上の問題から裕福なエドガー(シャザト・ラティフ)を結婚相手に選ぶことにする。傷心のヒースクリフは嵐が丘を自ら去り、キャサリンもそのことによって傷つくのだった。だが数年後、嵐が丘に戻ってきたヒースクリフは裕福な人物に変貌しており、再びキャサリンの心を翻弄することとなる。
設定の具体的な変更点としては、原作で主に活躍するのが10代、20代の若者たちであるのに対し、マーゴット・ロビーやジェイコブ・エロルディが演じることで、全体的に年齢が引き上げられていること。また原作に登場したキャサリンの兄を消去し、その性質をアーンショウ氏ひとりに統合したり、家政婦の娘ネリー(ホン・チャウ)がキャサリンとヒースクリフの仲を引き裂こうと意図的に暗躍する人物として描き直されてもいる。ヒースクリフから復讐的な虐待の的となる、エドガーの妹イザベラ(アリソン・オリヴァー)が、SMプレイのようなものを受ける描写もある。