『イクサガミ』はなぜヒットしたのか? 配信時代にジャストフィットした企画の特殊性
Netflixシリーズ『イクサガミ』(全6話)が、日本のドラマシリーズとして驚異的な記録を達成した。11月13日から始まった同シリーズは、Netflix週間グローバルTOP10(非英語シリーズ)で2位を獲得し、日本を含む11の国と地域で週間TOP10首位を獲得。86の国と地域でTOP10入りを果たすなど、話題を呼んでいる。
そんな本シリーズ『イクサガミ』は、直木賞作家・今村翔吾の原作、主演の岡田准一はじめ大勢の日本の人気俳優が出演し、藤井道人監督を中心に演出された大作ドラマシリーズである。しかし、その設定、内容は驚くべきものだった。ここでは、その特殊性や、同様の性質の作品の系譜などを分析しながら、本シリーズがなぜ広くヒットしたのかを考えていきたい。
特徴的なのは、本作が明治維新の時代を背景に日本の東海道を舞台としながら、『イカゲーム』や『カイジ』を彷彿とさせる、大勢の参加者たちによる「デスゲーム」を描いているという点だ。戊辰戦争によって幕府が倒され、敗北した侍たちは主君や俸禄を失い、いわゆる「廃刀令」によって刀などの武器を取り上げられたのは歴史的事実だ。そこで、明治政府から見捨てられ、明日の糧にも困る元・武士たちが、謎の呼びかけによって全国から集められ、「蠱毒(こどく)」と称した殺し合いをさせられるのである。
この「遊び」に参加した者たちは、東京に向けて東海道を進み、定められた宿場に到達、そこでノルマとして他の参加者が首に下げている木札を宿場ごとに決められた数だけ提示しなければならない。ルール上、必然的に戦って奪うしかなくなるのだ。そして、条件を達成してゴールにたどり着いた者たちが、当時の価値で30億円以上になるだろう“10万円”という大金を山分けできるのである。途中で木札を奪われたり棄権をしようとすれば、見張りの者たちに銃殺されるしかない。
もはや、この設定の時点で、リアリティは彼方へとぶっ飛んでいる。歴史を題材にしながら、発想が現代的な娯楽作に寄り添いすぎているのだ。とはいえ、こういったデスゲーム要素を時代劇に移し替えてみるという試みにおいて、明治の時代を選んだのは面白い。なぜなら、西洋の文明によって幕府が破れ、日本が西洋的な近代化を果たそうとするなかで、突然に“武士”、“侍”という存在が認められなくなり、消えねばならなかったからだ。つまり、デスゲームによって急速に数を減らしていく武士たちの姿は、その身分自体が抹消されていった時代のメタファーだと解釈できるのだ。
そもそも、映画のスタジオシステムが崩壊し、かつての映画づくりの技術の継承が途絶えてきている日本の製作現場において、“正統派の時代劇”などという枠組みは、すでに機能しなくなっている。もっといえば、時代考証が厳密な時代劇映画やドラマが隆盛したという事実もない。そう思えば、こういったリアリティ度外視の時代劇ドラマシリーズが楽しまれることに眉をしかめる必要もないかもしれない。