横浜流星×小芝風花の涙なしには観られない名演 『べらぼう』2人の夢が示した“愛し合う”形
瀬川(小芝風花)が落籍する日を目前に、蔦重(横浜流星)は2人きりで言葉を交わすことができた。その手には「女郎をしてない女郎」たちの姿が生き生きと描かれた錦絵本『青楼美人合姿鏡』。
完成した『青楼美人合姿鏡』を「忙しいから自分で渡してくれよ。え? なんでダメなの?」と、とぼけてみせた松葉屋の主人・松葉屋半左衛門(正名僕蔵)の粋な計らいに胸が詰まった。想いを通わせ、足抜けをも考えた蔦重と瀬川。ともすれば、また逃げ出すことを目論むことも考えられる。しかし、この2人は違うと思えたからこそ、この時間が許されたのだろう。個人の感情で突き進むことをせず、吉原のこれからのために歩み進めようと決めた2人に、最後に会わせてやることが自分にできるせめてもの餞だと言わんばかりに。
一時は、瀬川が客を取っている様子をわざと蔦重に見せてまで、2人の想いを断ち切ろうとした松葉屋。それも蔦重と瀬川のことが憎くて取った手段ではなかった。むしろ彼らが必死に叶えようとしていた夢を感じ取っていたのではないか。そして、2人が吉原から逃げることでは、その本当に叶えたかったことは叶わないと、あえて残酷な現実を突きつけたのかもしれない。
NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第10話「『青楼美人』の見る夢は」では、蔦重と瀬川が見た夢が、これからの2人の生き様を決める様が描かれた。吉原は女性たちがモノとして消費されて、文字通り捨てられるような場所だ。自分の意志で人生を切り開くことも、想い人と添い遂げることも簡単には許されない場所。それでも、瀬川は「女郎をしてない」自分の絵姿に「ずるいよ、こんなふうに描かれると楽しかったことばかり思い出しちまうよ」と笑った。
女性たちにとって地獄のような場所でも、人と関わればどんなに小さくとも楽しい思い出はできる。瀬川にとってはそれが蔦重の勧めてくれる本を読む瞬間であったし、その先にある蔦重との会話だったことは言うまでもない。
客足が遠のいていた吉原を盛り上げると言い出した蔦重に協力していくうちに、5代目・瀬川の名跡を継ぐことになった。蔦重が生き生きと本を作る姿を見るのが楽しかった。自分がその力になれていることが、さらにうれしかった。
2人が慕った朝顔(愛希れいか)のような最期を遂げる女郎がいなくなってほしいと願ったことが始まりだった。でも、いつしかその願いは、今この吉原で生きるすべての女性たちの幸せへと広がっていった。
多くの客の中から、女郎たちが選ぶことのできる自由を手にしてほしい。次々と舞い込んでくる身請け話の中から、「この人となら」と思える良縁に恵まれてほしい。年季明けまで残ることもなく、もちろんそれまでに命を落とすようなこともない。そんな「吉原に来れば、人生が開ける」と夢を見られるような場所にしたい……と。
「けど、お前も同じだったんじゃねぇの? これは2人で見てた夢じゃねぇの?」
そんな蔦重の言葉にグッと喉が詰まった瀬川の表情が胸に響いた。吉原では日常的に売り買いされる「色恋」とは全く別の次元で、2人は繋がることができていたのだと悟ったのかもしれない。
こんな未来を手にしたいと夢見ることは、厳しい現実を生きる理由になる。そして、その夢を誰かとともにするということは、ともに生きるということでもある。その相手が、すぐ隣にいなかったとしても。そしてもう二度と2人きりでは会うことが叶わない相手だったとしても。肌を重ねることを強いられる吉原という場所だからこそたどり着いた、2人ならではの「愛し合う」形だったのではないだろうか。